とくつみしょの秘密 その1
とくつみしょの秘密が明らかになる話の始まりです。
「ふぅ……これで、大体の荷造りは終わりかな」
ガムテープを切り、司は立ち上がる。
備え付けのベッドや棚の家具や家電以外は、整理して段ボールに詰めたし、掃除も済ませた。あとは段ボールを運び出してしまえば、引っ越せる状態だった。
「ばあちゃん、今日は快晴だよ。引っ越し日和だ」
ひとつだけ、リュックの側にある小さな段ボールの上に置いた写真に話しかけていると、インターホンが鳴った。
「はい」
写真を段ボールに入れ、返事をする。
「新入り、開けてくれ!」
軽くノックされているドアを開けると、ツナギ姿の柴山が立っていた。
「おう、新入り。卒業、おめでとうな」
「ありがとうございます、柴山先輩」
「じゃ、さっさと運んでしまうか」
柴山が靴を脱ぎ、中へと入ってくる。
「これで荷物は全部か?」
司がドアを閉めている間に、柴山は部屋を見渡したらしく、質問してくる。
「はい。この部屋にある段ボールを運べば、引っ越し完了です」
「そうか。これは、まだ梱包中か?」
柴山が、さっき司が写真を入れた段ボールを指す。
「これだけは、僕が運ぶので。大丈夫です」
「なら、始めるぞ。新入りは、下の軽トラで待機しててくれ。万が一、荷物が盗みでもされたら大変だからな」
そう言って、柴山が段ボールをひとつ抱える。
「わかりました。よろしくお願いします」
柴山と共に部屋を出て施錠していると、同じドアの開く音がした。同時に、ガランッと軽い金属がぶつかる大きな音。
「今日の今日まで……」
司は小さくため息をつく。
「なんだ? これ」
司の横に放置されたそれを、柴山があごで指す。
「隣のゴミです」
「それが、なんでこんなところに置かれるんだ? 出すところ、ここじゃないだろ?」
「僕のせいなんで……気にしないでください」
鍵を閉め終わり、司は空き缶の入ったゴミ袋に手を伸ばす。
すると、その手の前に段ボールが現れた。
「これ、持ってろ」
「は、はい」
渡されるまま、司は両手を出して段ボールを抱えた。
一方、柴山はゴミ袋を持ったかと思うと、隣へと向かっていく。そしてインターホンを鳴らすが、あの学生が出てくる気配は無い。
「居留守かよ」
柴山の呟くそれが司の耳に届いたと同時に、柴山がいきなりドアを開け放った。
「ゴミくらい、自分で出しやがれ!」
室内へ低い声で怒鳴ると、持っていたゴミ袋を放りこんだ。ゴミ袋は派手に着地したようで、さっきよりもひどい音が鳴る。
「さ、行くぞ」
ドアを閉め、何事も無かったかのように柴山は司の持つ段ボールを取り、先に行く。
「ま、待ってください!」
その後ろ姿を、司は慌てて追いかける。見失わぬよう早足で階段を下り、近くのコインパーキングに停められた軽トラックのところで、やっと追いついた。
「新入り。部屋の鍵、運び終わるまで貸してくれ。念のため」
荷台に段ボールを置き、柴山が右手を出してくる。
「で、でも……」
「心配すんな。隣はクギを刺しとくだけだ。話し合いで」
尚も出されている柴山の手のひらを、司は見つめる。
(大丈夫かな……)
しかし、あの後処理を出来る気がしない司は、部屋の鍵を出して柴山の手のひらに乗せた。
「よし。ちゃっちゃと終わらせるか」
それからの荷運びは、一時間ほどで終わった。
「ほら、最後の段ボール持ってこいよ。それで終わりだ」
柴山に鍵を返され、司は学生アパートに向かう。
部屋のある三階まで上がり、ドアの並ぶ長い廊下を歩いていると、ちょうど隣の部屋からあの学生が出てくるところだった。
ドアを閉め、司のいる方へ顔を向けた学生と目が合う。たちまち、学生の顔が引きつった。
「す、すみませんでしたー!!」
叫ぶようにして言うと、学生は司の横を走り抜けて行く。
(柴山先輩、なにしたんだろう……)
不安に思いながら、司は自分の部屋の鍵を開ける、中に入れば、備え付けの物と床に置いたリュックと小さな段ボールひとつ以外、何も無い。
(いろいろ、あったな……)
少しだけ、眺めてから。
リュックを背負い、段ボールを抱える。
「お世話になりました」
一礼して、司は部屋を出た。
「お待たせして、すみません」
すでに運転席で待機していた柴山に、助手席のドアを開けて言う。
「駐車料金、払ってくる。ちょっと待ってろ」
司が乗ると同時に、柴山が小銭入れを持って降りていく。
「……ばあちゃん、いよいよだ」
膝に乗せた段ボールの蓋を撫で、司は呟く。
「新入り、出るぞ」
「はい、お願いします」
エンジンがかかり、軽トラックが動き出す。ドアミラー越しに、遠ざかっていく見慣れた景色に目を閉じて。司は運転席の柴山を見た。
「あの、柴山先輩。隣の人には何をしたんですか?」
「会ったのか?」
前を見たまま、柴山が問いかけてくる。
「顔を合わせただけです。でも、怖いものから逃げるように避けられたんで、気になって」
「べつに、ちょっと低い声で『大人げないことすんな』って言っただけだ。それだけで逃げたぞ、あいつ」
それより、と赤信号で止まったタイミングで、柴山が続ける。
「卒業式、一昨日だったんだろ? それからすぐ引っ越しって、忙しくなかったか?」
それを聞いたとたん、司は自分の顔が強張るのがわかった。
何度か崩してみようとしてみたが、どうにもならないので、左側の車窓を見ることで誤魔化す。
「……いいんです。これで」
「……そっか」
信号が青に変わり、発進する。
ラジオも音楽も流れない車内は、静かだ。
「寮は、とくつみしょの近くですか?」
その静けさに耐えかねて、司は話題を振る。
「近くも何も……まぁ、着けばわかる。百聞は一見にしかずってな。ほら、もう少しで着くぞ」
「この通りは……」
正面を見る司の目に映るのは、見覚えのあるビル。
「とくつみしょの上が、寮なんですか?」
「まぁ、そう焦るな……ブレーキかけるから、気をつけろ」
軽トラックは、とくつみしょのドア前に停車した。
「到着っと。まず段ボール全部、中に入れてしまうぞ。ほら、急げ」
エンジンを止めると同時に、素早くシートベルトを外して柴山が降りていく。
司も、シートベルトを外して降りたところで、
「新入り、ドア開けてくれ」
段ボールを抱えた柴山に頼まれ、司は急いでドアを開ける。
「柴山、戻りました!」
そう言って、柴山が中に入っていく。
(僕も、次を運ばないと)
助手席でずっと抱えていた段ボールを持って、司も中に入る。
「新入り、こっちだ!」
聞こえた柴山の声を頼りに、司は入ったことのない奥へと進む。
出入口のドアからまっすぐに進んでいくと、右側にデスクが並んでいるのが見えた。
「こっちだ、こっち」
デスクの反対側、左側に並ぶ棚の奥にドアがある。その前に、柴山は立っていた。
「とりあえず、ここに段ボールを積む。その大事なやつは、手前の右側にあるデスクに置いてこい」
「はい」
柴山に背を向け、デスクに向かう。
向かい合うようにしてくっつけられた、四つのデスク。それらの左端に、その四つよりも大きなデスクがひとつ付けられている。
「ここだ」
向かい合う四つのデスクの内、手前の右側にあるデスクには何も乗っていなかった。
他の三つは、整頓されていたり、書類やファイルが重なっておかれていたり、ファッション雑誌が積んであったりと賑やかなのに、だ。
「そこが、四月から新入りが働くデスクになるからな。ちなみに俺は左斜め前、向かい側は黒石、天原先輩が隣だ」
後ろから、柴山の説明が入る。
「僕の、デスク……」
司は、慎重に抱えていた段ボールを置く。
「よし、手が空いたな。どんどん運ぶぞ」
次回、その2は8月2日(土)の21:00に更新予定です。