始まり その3
始まり その2の続きになります。
前回より少し長いです。
(な、なにが起きて……?)
状況に頭が追いつかない司を置いたまま、天原が出て行く。
「彩、雪まみれじゃない!」
「これくらい、どうってことは……あれ? お客ですか?」
「うん。新入りくんの面接。もう終わったところ」
なんとなく出たほうがいいような気がして、司がコートとバッグを持って応接間を出ると。
閉められたドアの前には、黒いコートを着た、赤いインナーカラーの入った黒髪ボブの女性が立っていた。そのコートと髪についた雪を、隣に立つ天原が払っている。
「街中でビラ配りは、ごめんだぞ~」
突然、背後からした声に司が振り返ると、いつの間にか柴山が立っていた。読みかけていたのか、右手に持つ新聞で肩を叩いている。
「違いますし、今すぐ行かないといけないんで。閑古鳥鳴きの柴山先輩、早く支度してください」
女性がムッとした顔をして言い返す。
「閑古鳥は余計だろ。それに、先輩に頼む態度かよ」
「急ぎの仕事だから、仕方ないじゃないですか!」
「はいはい、そこまでね。司くんも行こう。仕事体験になるから」
今にも嚙みつき合いそうな勢いの女性と柴山の間に入りながら、天原が司に声をかけてくれる。
「は、はい」
返事をして、司はバッグを床に置き急いでコートを着る。
「先輩、上着です」
「ありがと、タロ。じゃあ、彩。案内お願い」
「はい。部長、いってきます!」
「依頼は迷子のネコ探しです。名前はキミちゃん。白猫の女の子で、首輪の色は赤。いなくなってから、もう三日経ったらしく……」
急ぎ足で前を行く女性が、口頭だけで説明していく。
「そいつが好きなおやつか何か、無いのか?」
天原と女性の後ろを歩く、柴山が尋ねる。柴山の隣を歩く司も、同意をこめて数回うなずく。
「飼い主からもらってます。ただ、人数分は無いので、二人でひ一つですけど」
後ろを向かずに女性が出して見せたのは、コマーシャルでよく見るネコ用のおやつ。
「じゃあ、二手に分かれましょう。私は司くんと組むから、彩とタロね」
「えーっ」
とたんにあがる、二つの不満の声。
「文句言わない。将来の後輩くんに優しくね。それと彩、歩きながらでいいから、司くんに自己紹介」
「あたし、黒石 彩。よろしく、未来の後輩くん」
「よろしくお願いします」
黒石が振り向くことなく、自己紹介は済み。
「ここです」
それから程なくして、黒石が立ち止まる。
そこは、植え込みと木に囲まれた公園だった。葉の落ちた木は枝を短めに切ってあるが、植え込みはうっそうと生い茂っている。それに、雪空のせいか奥のほうは薄暗くて見えにくい。それでも、人の気配が無いのは確認できた。
「昨日の夕方、飼い主さんがキミちゃんらしき姿を見たのが、この公園だそうです」
黒石が見せるスマホには、白髪のおばあさんに抱かれたキミちゃんらしい白猫の写真が映っていた。
「打ち合わせ通り、二手にね。彩かタロがキミちゃん見つけたら、私のスマホ鳴らして。行こう、司くん」
「は、はい」
公園の奥へ進んでいく天原を、司は追いかける。
「キミちゃーん」
「キ、キミちゃーん」
植え込みに頭を突っ込みそうな勢いで探す天原を、司も可能な限り真似する。
しかし、ネコどころか動物自体が見当たらない。
(小鳥くらい、いそうだけど)
司は頭を上げ、辺りを見渡す。
「居ないわね……司くん、おやつ持ってて。私は中身を指先につけて探すから。キミちゃーん」
司におやつを渡すと、また別の植え込みへと天原は向かっていく。
「僕も、頑張らないと……キミちゃーん」
頑張って声を出しながら、司も植え込みへ顔を近づける。そのとき、視界の隅に白いものが見えた。
「ん?」
見えた方向へ、視線を移す。そこには一本の木があった。そして、その根元にはふわふわした白い塊。
一度、植え込みから離れてその木に近寄ると、根本でネコが丸くなっていた。毛に埋もれて見えにくいが、その首元には赤い線が確認できる。
「キミ、ちゃん?」
試しに名前を呼んでみる。
すると、ネコがゆっくりと顔を上げた。
「ンナァ~」
小さく口を開け、かすかに一声だけ鳴く。
「い、いました! キミちゃん!」
「そん――」
天原の声が聞こえたと同時に。
丸くなっていたネコが立ち上がり、素早く木を登っていく。そして、あっという間にたくさんある枝の一本に座りこんだ。
「あーあ。誰が登るんだ、これ」
「幹を揺らして動くなら、いいんだけど」
後ろから近づいてきた声に振り向くと、柴山と黒石がいた。
二人とも頭に葉っぱが、手には枝で引っかいたのか細かな切り傷がついている。
「司くん」
呼ばれて左を見ると、目を伏せた天原がいた。
「大きな声を出すと、ビックリしてキミちゃん逃げちゃうから。だから、見つけたらスマホを鳴らすようにしてたんだけど……私の説明不足。ごめんなさい、司くん」
「い、いえ! 僕のほうこそ知らなくて……ごめんなさい」
謝罪と共に頭を下げた天原に、司も頭を下げる。
「新入り候補。謝るのは簡単だけどよ。どうする、あれ」
柴山が指すのは、木の上にいるキミちゃん。
この寒さのせいか、遠目からでもわかるほど震えている。
「消防の仕事、かな」
「あんまり呼びたくないんだけど……」
「それは俺もわかるけどさ」
司から少し離れたところでキミちゃんを見張りながら、天原・柴山・黒石の三人は話し合っている。
(僕の責任だ。僕が大きな声なんて出してなかったら、今頃はキミちゃんを捕まえられていたはず)
司の脳内を、後悔がぐるぐると巡る。
「新入り候補。なにか策あるか?」
「さ、策……ですか?」
「消防に頼むには狭いんだよ、公園が。飼い主も、今は呼べないらしい」
柴山の言葉に、司はうつむく。
「僕に、良い策なんて……」
そう司が言いかけていると、
「庭師でも通りすがってくれたら、すぐ頼むのにな」
ま、ありえないかと柴山は後頭部で手を組み、キミちゃんのいる枝を見上げる。
「どうして、庭師なんですか?」
「このくらいの木だったら、登ってくれそうだからな」
「木に、登る……」
柴山の返答に、司は自分の両手を見つめる。
(もう、かなり前のことだし……でも、誰かがやらないと、キミちゃんはずっとあのままだ)
司は深呼吸をして、ぎゅっと両手を握りしめる。
それから、天原と黒石の元へ戻った柴山を含む三人に近づいて、
「あ、あの」
発した声が震えている。
それは、司にも充分わかった。
「司くん、どうしたの?」
「僕、登ります」
「えっ?」
重なった三つの声に、司は怯みたくなる。
しかし、その次に出てきたのは。
「木登り、やったことあるの?」
優しく問いかける天原の声で、司は怯みたくなる心を奮い立たせた。
「小学生の頃ですけど……この木は低い方だから、少しでも登れたら手が届くと思うんです」
言いながら、司はバッグを地面に置き、動きやすいようコートとジャケットを脱ぐ。
「登って、どうするの?」
「僕にビックリして、ジャンプしてくれないかなって……」
黒石の質問に答えながら、司の声はしぼんでいく。
「そこを、私たちが捕まえたらいいのね?」
「でも。待ってる方向に跳んでくれる保証なんて――」
「俺、その作戦に乗った」
黒石の言葉を遮ったのは、柴山だった。
「先輩と黒石で、俺の上着を広げて救助マット代わりにしてください。俺はこいつので」
柴山もコートを脱いで、黒石に渡す。そして司のコートを拾い上げると、いっぱいに広げた。
「よーし、いつでもこい!」
柴山は腰を落とし、いつでも迎えられるような体勢を取る。
「彩、やろう。一か八かかもしれないけど、やらないよりはいいよ。きっと」
「……っ、わかりました。やります」
天原と黒石が、柴山のコートを広げる。そして、二人が柴山より少し離れたところで構えたとき。
「司くん、準備オッケーよ」
天原の合図に司はうなずいて、キミちゃんがいる木に近づく。幹に手と足をかけ、少しずつ登っていく。何度かずり落ちながら、けれど確実に登り進める。
「くっ、うぅ……」
キミちゃんの乗る枝と、反対側の枝に手がかかる。それから、司は顔を上げてキミちゃんの方を見た。
「キミちゃん、お家に帰ろう」
ジッと、キミちゃんが司を見つめる。
(あと少しで、触れる……)
司の伸ばした指先が、キミちゃんの鼻先をかすめた。
そのとき、
「シャーッ!」
キミちゃんが威嚇の声をあげ、立ち上がった。そのまま、司の背中側へジャンプする。
「任せろ!」
柴山の声と共に、派手に砂が擦れる音がした。
「本当に、ありがとうございました。おかげさまで、キミが帰ってこられました」
「よかったです。キミちゃん、もう出てっちゃダメだよ?」
和風の一軒家の玄関口、飼い主に抱かれたキミちゃんに、黒石が声をかけている。
司はそれを、少し離れたところから天原と柴山と共に見ていた。
「ックシッ」
「司くん、やっぱり寒いでしょ? タロ、上着貸してあげて」
跳び降りたキミちゃんをキャッチするために使われた司のコートは、公園の砂とキミちゃんの毛だらけになっていた。それらを払って司はコートを着ようとしたが、「病気か虫がついてるかもしれないから」と三人に止められ、スーツ姿でいる。
「もう雪は止みましたし、あとは帰るだけなんで」
「いいから着とけっ」
後ろから押しつけるようにして、コートを被せられる。その勢いに、司の体は前のめりになった。
「でも、これだと柴山さんが……」
司は体勢を立て直して、柴山に言うが。
「俺は事務所に帰れば、もう一着あるからな」
だからいいと言わんばかりに、柴山に両肩を掴まれる。
「汚れた上着は、キレイにして返すからね。あ、終わったみたい」
天原の言葉に黒石の方を見ると、
「お困りごとがあれば、とくつみしょまでどうぞ。では、失礼します」
そう言って、玄関ドアを閉めていた。そして閉じ終わると、司たちの方へ歩いてくる。
「おつかれさま、彩」
「天原先輩、依頼のお手伝いありがとうございました。それと、新入り候補くんも」
「あ、いえ僕は……」
言いながら司は、小さく頭を左右に振る。
「そんな縮こまらないの。司くんが木に登ってくれなかったら、大変だったんだから」
天原の言葉に、柴山と黒石がうなずいている。
「えっと……僕で助けになれたのなら、よかったです」
ぺこりと、頭を下げる。
「うんうん、それでよろしい!」
頭を上げると、天原がそう言いながら司の背中を叩いた。
「よーし! 依頼料は踏み倒されなかったし、今日は気持ちよく寝られますね」
ぐっと伸びをして、黒石が歩き出す。
「あ、おい黒石。俺を飛ばすのは違うだろ」
「先輩は最近運動不足って言ってたから、体を動かせてちょうどよかったですね」
「いや、だから俺に礼!」
「ありがとうございましたー」
「棒読みかよ!」
先を行く黒石を、柴山が追いかける。
「さ、司くんに仕事の説明をしないとね。案外、それどころじゃない仕事だったから。歩きながらでいい?」
「はい」
歩きだす天原の隣に並ぶようにして、司も歩を進める。
「とくつみしょの仕事を一言で表すなら、なんでも屋ね」
「なんでも屋、ですか」
「そう。今日みたいな迷子探しや、庭の草むしり、買い物の代行に……まぁ、迷子探しが一番多いんだけどね」
眉を下げた天原は、指折りで数えていた左手を開くと。
「もちろん、人の法に触れることや悪行はお断りよ。そんなことしたら、何が起こるかわからないから」
「えっ? 警察沙汰になるんじゃ――」
「そこは、入社したら知れるから。じゃ、司くん。前の二人に追いつかないと、私のお昼休みが無くなるから。走ろう!」
ヒールを鳴らして、天原が走り出す。
「ま、待ってください!」
小さくなっていく天原の後ろ姿を、司は慌てて追いかけた。
次の、その4で第一話は完結します。
今回よりまた少し長いですが、お付き合いください。