始まり その2
始まり その1の続きになります。
(どれだけ歩いたんだろう)
司が女性について歩き始めてから、長いこと経っている。それでも目的地には着かないようで、女性が止まる気配は無い。
段々と人の通りはまばらになり、古びたビルばかりが建つ通りに入ってきた。
(こんなところにある会社って……)
「こんな通りだけど、なかなか良いとこよ。到着までもう少しだから、頑張って」
司の思考を読んだかのように、女性から声をかけられる。
(きっと、偶然だ)
浮かんだ違和感を振り払い、司も口を開く。
「あの、お名前聞いてもいいですか?」
「そうだ。まだ自己紹介してなかった」
そう言った女性は立ち止まると、くるりと回って司の方を向く。
「私、天原 輪花。よろしくね」
「平田 司です。よろしくお願いします」
「そして、あそこに見える建物が紹介したい会社よ」
天原が指したのは、正面に見える五階建てのビル。その全ての窓にはガムテープがバツ印に貼られ、外壁は灰色にくすんでいる。
「まぁ、見た目はちょっとアレだけど……中はキレイだから」
再び歩き出す天原に、また司もついていく。
さらに近づくと、ビルがよく見えた。
さっきは見えていなかった、一階の出入り口らしいドア横にかけられた横長の木製の看板には、『とくつみしょ なんでも まずは相談どうぞ』と筆で書かれている。
「では司くん。ようこそ、とくつみしょへ」
「とく、つみしょ……」
「話は中でしましょう。さすがに寒いし」
天原がドアに近づいたとき、
「先輩!」
内開きのドアが開き、大きな声が響いた。
そこから出てきたのは男性。司より少し高い身長で、整った顔立ちをしており、長めの黒髪を襟足でひとつに結んでいる。
「あら、タロ。ただいま」
「なかなか外回りから帰ってこないんで、心配してたんです……って、こいつ誰ですか」
天原に向けていた人懐っこそうな目つきから一転、男性の眉が中央に寄り険しくなる。
「タロ、そんな顔しない。ほら、部長が言ってた新入り探し。見つけてきたから、連れてきたの。今から部長に話つけてくるから。タロ、案内してあげて」
そう言って、天原は開けられたドアから中へ入っていった。
外に、司と天原にタロと呼ばれていた男性が残される。
「そんなとこ突っ立ってないで、入れよ」
「は、はい」
男性に指されるまま、司は急ぎ足でドアを通る。
中へ入ると、暖かい空気が司を包んだ。
(あったかい)
ほっとしたのも束の間。
背後でしたドアの閉まる音に、司は振り向く。
「名前は」
「ひ、平田 司です」
「俺は柴山 太郎もしおまえが入ることになったら、俺が先輩だからな。こっち来い」
司の横を通り、柴山が先導する。
通されたのはドアから入ってすぐ右手にある、応接間のようなところだった。
とは言え、パーテーションで区切られた空間なので、フロア内の会話は丸聞こえになる。
「部長、貫田部長!」
司がコートを脱いでいる間に、天原の声がフロアに響く。
「天原くん、遅かったね。おつか――」
「前に部長が言ってた新入り探し。私、見つけてきたんで、今からお願いします」
「い、今からかい!? 困ったなぁ。もうすぐ部長会議なんだけど」
「お願いします」
何か紙の束を置いた音の後、二組の足音がフロアに響き始める。
「ま、頑張れよ」
それと同時に、柴山が司の右肩を軽く叩いて出て行った。
「きみが、天原くんが見つけてきた人かな」
柴山と入れ替わるようにして入ってきたのは、猫背の中年男性。その後ろから、天原が続く。
「平田 司と申します。本日は、よろしくお願い致します」
司は挨拶をして一礼する。
「うんうん。まず平田くん、頭を上げて。天原くんは戻っていいよ。二人で話さないといけないから」
司が頭を上げると、天原が手を振って出て行くところだった。
「じゃあ、座ろうか。もし履歴書を持っていたら、出してもらえるかな?」
「はい」
念の為と余分に持ち歩いていた履歴書を出すと、男性が眼鏡をかけて読み始めた。
「今が二月の末だから、もうすぐ大学を卒業だね……いくつか、質問させてもらっていいかな」
「はい」
司は、正していた姿勢を更に正す。
男性が、履歴書を裏返してテーブルに置く。そして胸ポケットから鉛筆を出すと、司をまっすぐに見て、
「動物、いじめたことある?」
「……えっ?」
反応してから、司は「しまった」と思うが、もう手遅れだ。
スーツを着た体が、一気に汗をかき始める。室内は、暖房が効き過ぎているわけでもないのに。
「いじめたこと、ある?」
質問が繰り返され、同時にレンズ奥の垂れ目からジッと見つめられる。
「な、無いです」
「そう」
質問への返答後、男性は鉛筆で履歴書の空白部分に線を一本書いた。
「動物って、人より上の存在だと思う? それとも、下?」
さっきと同じように、男性は司を見つめて質問する。
(何を試されているんだろう?)
疑問に思いながらも、司は口を開く。
「動物と人の関係に、上下があるとは思いません」
「……そう」
先ほどと違う溜めのある反応の後、男性は鉛筆を胸ポケットにしまった。
「ここに就職が決まったら、寮で暮らしてもらうのが必須なんだけど。そこは大丈夫?」
「はい」
「そう……じゃあ、これで話は終わり。お疲れ様でした」
男性は軽く頭を下げ立ち上がると、履歴書を持って応接間を出て行った。
(えっと……?)
履歴書を出したということは、今のは面接だったのだろうか。しかし、誰も面接の「め」の字も出さなかった。それに、面接で必ずと言っていいほど聞かれる志望動機のようなことも、聞かれなかった。
(僕は、何を受けたんだ?)
司の脳内に、数々のハテナが浮かぶ。
「じゃあ、司くん。仕事のことを説明したいんだけど……どうしたの?」
「あ、いえ。その……」
再び入ってきた天原に尋ねられ、司は言葉を詰まらせる。
「そっか。特に説明も無いまま、急に面接始まってビックリしたよね。でも、司くんなら大丈夫だと思うけどな」
「それ――」
「仕事!!」
司の問いは、勢いよく開いたドアと外からの風の音に遮られた。
その3へ続きます。