司の初仕事 その2
司、外回り頑張れー!
あっという間に時間は経ち、週が明けて火曜日。
ついに、司が外回りへ行く日がやってきた。
「さて。司くん、準備はいい?」
「はい」
司は持っているバッグの持ち手を、ぎゅっと握る。
「天原先輩。あたしと新入りくんだけでも、外回り大丈夫ですって」
デスクの上にバッグを置いて、黒石が言う。
「今回だけだから。彩、お願い!」
両手を合わせ、天原が頼む姿勢を取る。
「し、仕方ないですね……じゃあ、次は新入りくんと二人で行きますから」
「彩、ありがとう!」
天原が自分のデスク前から離れ、黒石に抱きつく。
「あ、天原先輩、さすがに恥ずかしい……!」
「いいじゃない!」
じゃれているような二人から、司が目を外すと。
「新入り」
いつの間に背後へ回っていたのか、柴山が肩を組んできた。
「し、柴山先輩」
「とりあえず、気をつけて外回り行ってこいよ。新入りが俺に言いたいこととかは、帰ったらいくらでも聞いてやるからな」
そう耳打ちして、柴山が離れていく。
「ほら、外回り組はそろそろ出ないといけないんじゃないかな?」
「あっ、すみません部長。じゃあ、行きましょうか」
天原と黒石が、薄手のコートを羽織る。
それを見た司も、バッグをデスクから下ろす。
「司くん、ドア開けてくれる?」
「はい」
先に玄関へ向かい、ドアの持ち手を掴む。
内側へ開くと、まだ冷たい外の風が吹きこんできた。
「いってきまーす」
「い、いってきます」
二人に遅れ、司も挨拶をする。
「いってらっしゃい」
ドアを閉める瞬間、聞こえたそれに司はくすぐったさを覚えながら。
そっとドアを閉めた。
「まずは印刷所からね。鈴ノ木印刷所さんに頼んでるチラシを取りに行くの」
数駅電車に揺られ、降りた駅から歩くこと二十分。
「新入りくん、ここが鈴ノ木印刷所」
ついて行くのに一所懸命だった司が顔を上げると、そこには小さめの工場があった。
「天原さーん! 黒石さーん!」
工場の敷地内からした声の方を見れば、腕ごと手を振りながら歩いてくる男性がいる。
「鈴木所長ー!」
それに黒石も手を振って返しながら、歩き始めた。その後ろを、天原と共に司も続く。
「やぁやぁ、美人おそろいで外回りかな? おや、その子は?」
まだ数メートルほど距離があるが、首にかけたタオルで手を拭きながら、男性が大きめの声で尋ねてくる。
「この度、とくつみしょに入社した平田 司と申します。本日は挨拶に伺いました」
「そうか、新入社員か。いやぁ、春だね」
近づきながら、男性が右手を差し出してくる。
「鈴ノ木印刷所の所長やってます、鈴木 一郎です。よろしく、平田くん」
「よろしくお願いいたします」
司も左手を出して、鈴木所長と握手を交わす。
しわとインクのついた手との握手は、経験したことが無いほど力強かった。
「じゃあ、明日までのチラシを渡そうか。事務所へどうぞ」
「ちょっと電話して、息子に持ってきてもらうから」
「ありがとうございます」
ポケットからスマホを出し、鈴木所長が出て行く。
残された司たちは、案内された事務所の三人掛けソファに座った。
「直に晴実が持ってくるんで。その間、お茶とお菓子でも」
鈴木所長が、ローテーブルに置かれたお菓子の入った器を三人の方へ動かす。
その瞬間、
「天原さーん!!」
その大声が聞こえたと感じたと同時に、事務所のドアが盛大に音を立てて開く。
驚いて司がドアの方を見ると、そこには金髪の青年が立っていた。
大量の紙が入った、持ち手の長い布製のバッグを抱えている。
「天原さん、オレと付き合ってください!」
「また今度ね~」
青年の方を見ることなく、即座に答える天原。
「じゃあ、次会うときには!」
しかし青年はサッパリとした声色で返すと、中へ入ってきた。
「あ、え……?」
「いつものことだから。流して」
困惑する司に、黒石が器からお菓子を取りながら淡々と言う。
「あぁ……晴実、そろそろ止めないか。天原さんも困るだろう」
「親父、オレの一目惚れを邪魔しないでくれ……って、誰だ、おまえ」
青年から厳しい視線を送られ、司は慌てて
「この度、とくつみしょに入社した平田 司です」
一礼すると、青年の顔がすぐ目の前にあった。
「……おまえ、天原さんのことどう思う?」
「ど、どう思うとは……?」
司の問いに、答えが返ってくることは無かった。
なぜなら、青年の顔は勢いよく司の眼前から離れたからだ。
「やめないか、晴実。すまないね、平田くん」
「い、いえ」
言いながら、司は若干のけぞっていた姿勢を静かに正す。
「ほら、晴実。平田くんに自己紹介」
「オレは鈴木 晴実。次期鈴ノ木印刷所の所長と、天原さんの未来の結婚相手だ」
抱えていたバッグをローテーブルに置き、腰に手を当て少し背中を反らせて名乗る晴実の頭を、鈴木所長が平手で叩く。
それは、スパンッと音が鳴るほどで。
「いった! 暴力反対!」
「早く工場に戻れっ」
「じゃあ、天原さん。次は良い返事待ってまーす!」
叩かれた頭を両手で押さえながら、晴実が出て行く。
「では……こちらが、二日分のチラシになります」
何事も無かったかのようにバッグから出されたのは、片面印刷されたA4の束。
「はい。たしかに、いただきました。新入りくん、これ肩にかけて」
「はい」
黒石に渡されるまま、司はチラシの入ったバッグを肩にかける。
「では、これで失礼します。また木曜日に伺いますね」
「はい。お待ちしています」
次回「その3」は、来週の土曜(9月20日)の16時台に投稿予定です。