第九話 不穏な空気
「なんだあれ?」
マリアンののろけ話から少し経ち、その張本人が立ち止まって進行方向を見渡すように右手を額に当てた。木々が茂りだした道のその先の離れた場所で馬車が停まっており、人だかりができている。更にその先には橋のようなものがあった。
「例の、検問、ってやつじゃないかしら」
「…ようやく思ったことを喋ってくれたね」
マリアンの横でエマがぽつり呟くのを、ウォルフは聞き逃さなかった。それを聞いたエマが顔を背けバツの悪そうな表情になる。マリアンは手を下ろし真顔で検問を一瞥すると、検査待ちの列で休息できるかもしれないと淡い期待を抱く。
「文字通り関門ってわけだが、まぁ大丈夫だろう」
立ち尽くしている二人を差し置いて一足先に歩み出たウォルフが気を引き締めた顔つきで小さく手招きする。三人が検問に近づくに連れ、王国の兵士達が馬車を丹念に調べているのが見えた。マリアン達がその脇を通り過ぎる際も、剣で武装した兵士数名に囲まれた馬車の脇に立たされている御者とぼしき妙齢の男性が不安そうにしているのもはっきり見えた。
「王都まで行きたいんだが、どうしたらいい?」
「列に並んでください。神父様ならすぐ済みますよ」
先頭のウォルフが槍を片手に佇んていた兵士に話しかけると、彼の服装を見た兵士が明るい声色で隣の列に並ぶよう促した。その後をマリアンが、三番目にエマが続こうとした時、兵士が動いた。
「ちょっと待て」
「っ、何よ?」
進路を塞がれたエマが塞いだ兵士を負けじと睨み返す。エマの声に周囲の視線が二人に注がれる中、マリアンがすかさずその間に割って入る。
「…何か問題でも?」
「ちょっと!?」
「良いから」
兵士が乱入者に怯む隙に、眼光鋭いマリアンがエマを庇うように間に入ると、今にも飛び掛かりそうな彼女を制する。その様子を見た兵士が仕切り直すように咳払いした。
「女は徹底的に調べるように言われている、邪魔しないでいただきたいのだが」
兵士は年長者のウォルフと違い、マリアンに対しては高圧的な態度を崩さない。マリアンも態度の違いを腹に据えかねつつも、それを表に出さないように冷静に兵士を見据える。
「彼女は私たちの同行者だ、身分なら我々が保証する。それ以外に何かあるなら言ってみろ」
「う…」
鋭い目つきのマリアンに、兵士の先ほどの威勢が消え失せて言い淀む。コルマール正教会はベリアラス王国の国教であるが故、政治中枢との関りは太い。そうでなくても、民衆の心のよりどころであり、神父は人々の先導者であり、協力者であり、理解者でもある。少なくとも建前上は。そんな彼らとのトラブル、ましてや神父の意思に逆らうことはコルマール正教会への反抗、とも取られてしまうのだ。実際、正教会への過激な批判で首を刎ねられた者がいない年はない。
「…わかった」
騒ぎを聞きつけた周囲の刺さるような視線の重圧も手伝ってか、苦虫を嚙み潰したような顔をしつつ兵士がエマの進路を開ける。
「ありがと」
あからさまに皮肉を含んだ声色の言葉を投げつけ兵士を一瞥したエマがその前をスタスタと通り過ぎるのを見届けたのち、マリアンも兵士を一瞥して彼女の後に続く。
「全く、ヒヤヒヤしたぞ」
「ごめんごめん、つい…」
既に列に並び始めていたウォルフが、追いついてきたマリアンにため息をついた。ため息をつかれた本人は苦笑いしてみせるが、エマはその様子を何も言わず仏頂面で眺める。そんな彼女にマリアンが真顔で視線を送るも、エマは一言も発しなかった。
「…あの、お礼の一言もなし?」
「はぁ…。先ほどは助かりました神父様、ありがとうございます。これで満足?」
マリアンの催促に、エマが盛大にため息をつくと感情のこもっていない機械的な声色で感謝の言葉を発する。流石のマリアンも我慢の限界に達したのか、眉を吊り上げて握りこぶしを作るがすかさずウォルフに怒らせた肩を掴まれた。「やめろ」とウォルフが小声で首をふる。制止されたマリアンがふくれっ面になりながらも、止む無く握りこぶしを解いて列に並び直す。そんな気まずそうな三人を、先ほどの兵士が眺める。その口元を邪悪に歪ませながら。
「獲物が見つかった、後で皆に知らせよう」