第八話 新たな世界
すっかり日が昇り、朝焼けも消え失せた頃、見渡す限りの草原の真ん中に付けられた土色の道をマリアンが脇目をふりながら進んでいく。今朝の門の前での喧騒はどこへやらと言わんばかりに道くゆく旅人は少なくなり、時折拭く風がヤンクロットではまず感じとれない草の匂いを運んできたかと思えば、道の脇で数匹の小鳥が小さく鳴きながら地面の虫をついばんでいるのも見える。遠くにはちょっとした草の塊が点在していて、それが風になびいて揺れていた。
「こんな景色があったなんて…」
マリアンがその長い髪を揺らしながら興味津々に旅慣れた人間からすれば殺風景な景色に感嘆としつつ、一人の荷物を抱えた旅人とすれ違うのを見送って改めて進行方向に目をやった。少し間を開けて歩くエマの後ろ姿が映るが、それを見たマリアンの表情が曇る。既にヤンクロットが見えなくなるくらいの距離を歩いたが、その間エマはマリアン含めウォルフにさえ一言も言葉を発していない。困窮者を助けるのも神父の役割の一つとは言え、こうもあからさまに利用している態度を隠さないとなると黒い感情が湧き上がるのは無理もなかった。
しかしマリアンはそれを否定するようにかぶりを振り、違う事を考えて感情を押し殺そうとする。これほどに長い距離を歩いたのはいつぶりだったかと、記憶をたどってみるが、その間にも背負い紐越しに伝わってくる背負子の重みとプレートアーマーで籠った体の熱がマリアンの不快感を積み上げていく。
そうして不快感に導かれるようにマリアンの思考が一つの答えを導きだしたのと同じタイミングで、隣を歩いていたウォルフが彼の脇を肘で小突く。
「手紙を届ける仕事を用意してもらってよかったな。じゃなきゃ俺たちはただの間抜け野郎だ」
「…何が言いたいんだよ?」
ウォルフが器用に首を傾け音量小さく囁くと、それを聞いたマリアンが微かに眉を顰める。
「あの子に一杯食わされたってこと」
清々しいくらい呆れ顔のウォルフを見て、マリアンが思わず足を止める。
「今なんて言った?」
「利用されてるんだよ俺たち。あんなに分かりやすい態度の変え方ないだろ」
マリアンが癇に障ってムッとした顔を向けても、ウォルフは意に返していないように涼しい顔をしている。そして内に秘めていた確信に触れられた気がしたマリアンの目が泳ぎ出す。
「それは…、きっと緊張してるとかなにかで…」
マリアンがまるで確信から目を反らしてぶつぶつ言い始めるのを見て、ウォルフがニイッと口端を歪めた。
「ははーん、さてはお前あの子に惚れたな?」
心の中を見透かされたマリアンが思わず目を見開いて恥ずかしそう顔を赤くした。マリアンは何とかして言いつくろうと頭を回転させるが、何も浮かばない。
「そ、そんなわけないだろ!」
「図星かぁ。お前あんなのが好みなんだな~」
結局、マリアンがありがちな言葉を吐き出したところで、益々ウォルフの確信を強める結果になってしまった。その証拠に、相変わらずウォルフは得意げな笑みを浮かべたままだ。
「ふざけないでくれよ!」
「おーおー、照れるな照れるな」
「ちょっと!!」
茶化してくるウォルフにマリアンが思わず声を上げ、赤いままの顔をプイッと反らす。そんな彼をウォルフが愉快そうな顔で眺めていると、エマの大声が飛んできた。いつの間にか二人の方を向き、腰に手を当てて軽く睨んでいる。
「二人とも、早く来てよ!」
「い、今行きます!」
「…あいつも可愛げあるなぁ」
すかさず駆けだしたマリアンを眺め、ウォルフが呟くとそのまま後輩の背中を追いかける。三人の行く先の道は、鬱蒼とした森へと続いていた。