第七話 旅立ち
翌日の早朝、朝日が差し込み始めた教会の正門の前に荷物をまとめた背負子を背負ったマリアンの姿があった。明るい顔で期待で胸を膨らませている彼の隣で同じく荷物をまとめた背負子を背負ったウォルフが立っている。しかしその顔は眠気からか少々げんなりしていた。本来ならベッドから起き上がる時間だが、出立のためかなり早くに起こされたためだ。もちろん起こした犯人は隣にいるマリアンである。
「わざわざお見送りなんて…」
マリアンの視線の先には、半開きになった正門の扉の前に立つオーレッドの姿がある。さすが上級司祭と言わんばかりにその表情は穏やかなものだ。
「まぁ、大事なことだからな」
そう言ってオーレッドがしっかり封がされた封筒をマリアンに差し出す。マリアンはそれを受け取ると、腰のベルトについているポーチにしっかりとしまった。
「それと、これを」
「え…?」
続いてオーレッドが自らの首にかけているロザリオを外し、マリアンに差し出す。それを見たマリアンが目を見開き、困惑した。
「い、良いんですか?」
司祭のロザリオと呼ばれるそれは魔払いの杖と同じ材質でできていて、任意のタイミングで知性面の能力を向上させることができる代物である。これもまた司祭以上の神父が着用を許されるもので、マリアンのロザリオはただの金属製だった。
「旅路の間だけだが、構わん。持っていけ」
「ありがとうございます!」
もの言いたげにしているウォルフの視線も気にせずマリアンが興奮を抑えつつ身に着けていたロザリオとオーレッドのロザリオを入れ替える。
「コホン。では行ってまいります。神のご加護を」
「神のご加護を」
マリアンとウォルフが会釈し、町の門へ向かう背中をオーレッドは見えなくなるまで見つめていた。
「まさかお目付け役がウォルフだったなんて…」
「そうか? 俺はだいたい予想がついてた。おかげでこんな朝早く起きる羽目になったぜ」
まだ人通りが疎らな石畳の大通りの真ん中をプレートアーマーの擦れあう金属音を響かせて歩きながら、マリアンが気まずそうにウォルフの顔を見る。ウォルフは不機嫌そうな表情を隠そうともせず、マリアンへ首を傾けた。
「悪かったよ…」
「冗談だって、そんなにしょげるなよ。まだ旅ははじまってもないぞ」
相棒の態度に肩を落とすマリアンを見て、ウォルフは一瞬で表情を切り替えるとからかうような笑顔を見せマリアンの肩を叩く。マリアンは気持ちが少し軽くなるのを感じながら困惑が入り混じった笑顔を返した。
教会から町の門までは、そう離れてはいない。二人が街中を進んでいくにつれて、通りにどこからともなく同じように荷物を背負った商人や旅人らしき人影が増えていく。みな同じ方向、門の方向へ向かって歩みを進めてる。そうしていると徐々に同じ方向に向かう人間が増え、手前に金属の格子が嵌り、奥に観音開きの扉が鎮座している門を形作る二つの塔が見上げるほどになることには、その前にちょっとした人だかりができる程に人が集まっていた。その様子を初めて見たマリアンが目を見開く。
「あ、朝早くからこんなに人が…」
「そりゃそうだろ、夕方にはどの町も門が閉められるんだ。少しでも早く目的地につくためならこれくらいするさ」
門の周りでがやがやとしている人だかりを少し離れた場所から呆然と眺めているマリアンと対照的に、「あ、お前はこれを見るの初めてだったよな」とウォルフは平然とした顔で人だかりを見渡した。マリアン自身、町の外に出向いたことはあったが早朝に門の前を訪ねたのは初めてだ。
「さてと…。おい、あれじゃないか?」
何をか見つけたウォルフがマリアンの腕を肘で突く。マリアンが人だかりの衝撃が抜けきらないまま、ウォルフに促された方向に目をやると門の支柱から町の内側に伸びる石垣にもたれ掛かる人影に見慣れた三角帽が乗っているのが目に入った。その瞬間、マリアンの胸に昨日の高鳴りがよみがえる。
「…ゴホン」
「行くぞ」
マリアンの咳払いを冷めた目で見ていたウォルフが一足先にエマの元へ進み始めると、表情を引き締めたマリアンもそれに続く。
「おはようございます、エマさん」
「おはようございます、神父さん。今日はよろしくお願いしますね」
最初ににこやかな顔で声をかけたウォルフに対して、エマが笑顔ながら事務的な雰囲気を醸し出しつつ会釈してみせた。
「こちらこそ、よろしく」
「ええ、よろしく」
続いてウォルフと同じようにマリアンが挨拶するが、エマは腕を組み明らかにそっけない態度を露わにした。目も合わせないほどだ。
「え、えっと…。何かありました?」
「別に、あなたには関係ないでしょう」
エマの明らかな態度の変容にマリアンが困惑したような目つきを向けるが、彼女の様子は変わらない。そんな二人をウォルフがまるでさもなりあん、と書いてあるような表情で眺める。
「お、見張りが出てきたぞ!」
「「えっ?」」
すると人だかりの中から不意に大声が響く。日が昇り周囲が明るくなっていく中、気まずい雰囲気そっちのけでマリアンとエマが辺りを見渡すのを見て、「ほら」とウォルフが上を指さす。その差した指の先は、門の左右に伸びている細い塔の頂上へ上半身を出した二人の衛兵へ向けられていた。衛兵たちは手にした細い単眼鏡で町を囲む城壁の外を見渡しているようだった。
「なにしてるんだ?」
「町の外に異常がないか見てるんだ。最近はめっきりないけど、昔は門を開けた瞬間に隠れてた野盗とかが襲ってくることがあったんだと」
「へえ~」
解説するウォルフの隣で、マリアンが衛兵の背中を見上げたまま感嘆を含んだ声を漏らす。一方のエマも興味なさげに衛兵を見上げている。
「異常なーし!!」
「こっちもだ!!」
「よーし!」
見張りの衛兵二人が身をよじって下側へ大声で状況報告すると、それを受けた門の傍にいる衛兵が塔を見上げながら右腕を上を振り上げた。
「門を開けろ!!」
続いて門の傍らにいる衛兵が右腕を水平に振りかざす。すると門から鈍い金属音が響き始めたかと思えば、金属の格子がゆっくりと上にせり上がっていく。その様子を、感嘆とした様子で眺めるマリアン。
そんなマリアンをしり目に、門の格子が上がりきると巨大な扉がこちらも鈍い音を響かせながらゆっくりと町の外側に向かって開きはじめた。扉の隙間から飛び込んできた光が三人を照らし、そのまぶしさに思わず三人とも目を細める。完全に門が開いたその先には、ようやく青くなり始めた空と草原の真ん中を真っすぐ突っ切る土色の道が伸びていた。それを見たマリアンはまるで誘われているような感覚を覚える。
しかし次の瞬間には、門の内側で待機していた旅人たちが一斉に外へ向かって歩き出す足音がマリアンの耳に飛び込こんだ。最早日常の一部と言わんばかりに慣れきってしまっているのか無表情が目立つ旅人たちがどんどん町の外へ、目的地に向けて歩みを進めていく。
「行きましょ」
旅人たちに呼応するかのように、杖を抱えたエマが人だかりの少し後ろをついていき始めた。続いてウォルフが歩き始めたところで、未だにぽかんとしている後輩に声をかける。
「おい、行くぞ」
「あ…、待って…」
ようやっと現実に引き戻されたマリアンが慌てて二人の後を追いかけ、旅人たちの集団から数刻遅れて町の外に飛び出した。