第四話 小競り合い
エドモテオが持ち場を離れた後、マリアンが仕切り直しと言わんばかりに大通りに視線を泳がせる。と、ほぼ同時にやや離れた位置に人だかりができつつあるのを見つけた。町の自警団の証である赤い腕章をつけた数人の男たちの真ん中で、淵が付いた長い黒色の三角帽が揺れている。
他の町と同様にヤンクロットにも自警団が存在するが、その実情は理想とはかけ離れていた。ふたを開けてみれば、食い詰めたごろつきの集まりという言葉がぴったりで町に繰り出しては露天商や浮浪者、旅人など立場の弱いものに難癖をつけて金品を巻き上げる行為を繰り返している連中である。当然町の住人からの評判はすこぶる悪いが、彼らに対抗できる力を持つ組織は領主か教会ぐらいしかなく、その二つも抜本的な対策には及び腰であったために実質野放しにされていた。
「おい、お前。ここでなにしてんだ?」
「…別に、旅の途中よ」
不敵な笑みを浮かべている自警団の男の一人に対し、三角帽を被った人物が冷たく言い放つ。声色からして女性のようだが、帽子の淵で目元は見えず裾が膝下まである黒いローブを纏っているせいで正確に性別を判別するのも難しかった。騒ぎを聞きつけた周辺の人々が一気に離れていく。
「そうか、じゃあよそ者だな。道理で怪しいわけだぜ」
「荷物の中を見せてくれ、全部」
「…は? 何言ってるの。私何もしてないけど?」
街の住人でないことを知った自警団の男たちが次々と軽口をたたき、その中の一人が女性のローブの隙間から見えている少し膨らんだ肩掛けバックを指さす。一方、二本のツタが絡まりあったような形状の背丈ほどもある細い木の杖を抱えた三角帽の女性は負け時と顔を上げ自警団の一人を睨み返した。
「お、なんだ。反抗すんのか?」
睨みつけられた自警団の男から笑顔が消え、威嚇するように手に持っていたこん棒で自らの左手の掌を何度か叩く。それに呼応するように残りの二人も女性の背後から距離を詰め始めた。
「おい!!」
最初こそ遠巻きに騒動を見ていたマリアンだったが、自警団の横暴さに居ても立っても居られなくなり思わず声を上げた。その良く通る声は周囲に響き渡り、自警団の三人の動きを止めさせる。
「何やってるんだ!!」
肩を怒らせ不愉快そうに眉を寄せてずんずんと歩みを進めるマリアンの周りから人々が離れて勝手に道が開いていく。自警団の三人が神父の方向へ体の向きを変える中、その後ろの三角帽の女性…、もとい少女は杖をぎゅっと抱きしめてわずかに顔を青くしているのが見えた。
「…これは神父様、見ての通り不審者がいたので調べているだけですが?」
相変わらずこん棒を構えたままの自警団の男が不敵な笑みでマリアンの問いに答える。敬意を微塵も感じとれないその態度にマリアンが男を睨みつけるように目を細めた。国教の神父への不敬、という行為がマリアンの癇に障る。
「…彼女を解放しろ」
「はぁ?」
先ほどとは打って変わって静かな声のマリアンの言葉に、自警団の男たちが目を見開いた。
「どうせいつもの言いがかりだろう? それに女の子一人に三人も集まって、男らしくない」
「なんだと!?」
マリアンが三人を睨みつけたまま、挑発とも取れ台詞を口走ると男たちが怒り心頭といった感じでマリアンを睨み返した。周囲には改めて人だかりができ始めるている。するとマリアンが魔払いの杖を手に取り、腰のベルトから外した。それを見た自警団の三人が顔に焦りの色が浮かべる中、マリアンが魔払いの杖を放り投げ、投げられた杖が金属音を奏でながら地面を転がる。適合者が使う魔払いの杖は使用者の身体能力を向上させてくれるが、マリアンはそうではない。職務上魔払いの杖が与えられているものの、使用しないのであればただの重しにしかならなかった。
「素手でいい、こいよ。まとめて相手してやる」
マリアンが両足を肩幅に開き、両腕を胸の前に持ち上げるようにして構える。その顔は少なくとも聖職者がしてはいけない、これから訪れるスリルに胸を膨らませているような笑みだった。
「な、なめやがって!」
数々の挑発行為に完全に頭に血が上った自警団の三人が雄たけびを上げ、各々が持っているこん棒を振り上げながらマリアンに突っ込んでいく。先頭の一人の間合いが詰まり、マリアンに向かって上からこん棒が振り下ろされるが、彼は華麗な足さばきと鮮やか体の動きであっさり回避してしまう。まるで相手の動きが予測できているような身のこなしだ。すかさずマリアンが先頭の男の顔面に向かって右の拳を繰り出すと、振りかぶりすぎて隙だらけの先頭の男はそれをまともに食らってこん棒を手放しながら後ろにのけ反った。
「ぶへ!?」
「どりやぁぁ!!」
先頭の男が無様な悲鳴を上げる中、マリアンは二人目に対処するため足を動かす。二人目の男も力任せにこん棒を振り回しているだけで、その軌道は簡単に読めた。マリアンは笑みを浮かべたままひらりとこん棒を回避すると、今度は一気に懐に踏み込み二人目の男の腹部に向かって拳を一発繰り出す。二人目の男の体がくの字に曲がった。
「がっ!?」
二人目の男が腹部を押さえ跪き地面に胃の中身をぶちまけるのを気にも留めず、マリアンの視線が三人目の男を捉える。彼は多少武芸の心得があるのか、はたまた先の二人の惨状から学習したのか下から上へ切り上げるようにこん棒を振りかぶった。しかし、マリアンはその動きも見えていたかのように今度は距離を取る様にして間合いをずらし、その結果こん棒はむなしく風切り音を奏でるだけに終った。それに合わせるようにマリアンが三人目の男の顔面に向かって回し蹴りを放ち、それをもろに食らった男が勢いよく地面に突っ伏す。その瞬間に野次馬たちから小さく歓声があがった。
「ふー…」
一仕事終えたマリアンが手で顔の汗をぬぐう仕草をしつつ息を吐く。その顔はどこか満足気に、すっかり小競り合いを楽しんでるような笑顔が浮かんでいる。と、一呼吸おいて周囲に集まっている人々の視線に気づくとさっと表情が固くなった。どうしてか、力を振るう事に喜びがついて回るのだ。相手がいると特に。挙句に身も心も、暴力に支配されそうになる。そこまで考えてマリアンが雑念を振り払うように首を振った。
「ああ、ぐぞ…」
マリアンが張り付けた無表情で声した方向に振り返る。そこには最初に倒した自警団の男が背中を向けゆっくりを起き上がろうとしているのが見えた。微かに鉄の匂いが漂ってくる。
「おい…」
マリアンがわざとつかつかと足音を立て、一人目の男の背後に立つ。男の肩がピクっと震えるのが分かった。
「し、神父様ぁ…」
振り返った一人目の男の顔、特に口周りは悲惨な状態になっていた。鼻から血を流し、口元も血まみれなのか押さえている手から血が滴っている。その目には最初の威勢からは想像できない程の涙を溜め、恐怖の色さえ浮かんでいた。
「ずいまぜんでした、もうじまぜんから…」
口元を押さえている両手の指の上に溢れる鼻血を垂れ流し、情けない声色で許しを請う男をマリアンが見下ろす。無表情を装っていても、その生気のない目が何を考えているか如実に物語る。
自警団の評判は悪い、目の前の男も所詮は食い詰め者。苦痛から逃れるためだったらなんだってするだろう、嘘をつくことなんて造作もない。マリアンの頭の中でそんな思考が巡り、無意識に体が動く。据わる目つきのまま右の拳を振り上げる。
「ひいぃぃぃ!!」
自警団の男がマリアンを見て頭を抱えるように蹲る、そんな男の頭目がけて拳を振り下ろそうとしたし瞬間、右腕を何かに掴まれた。
「もうやめろ」
マリアンがハッとすると同時に聴き慣れた親友の声が耳へ飛び込んでくる。声の方向に顔を向けると、額に汗を浮かべ眉間にしわを寄せたウォルフの顔があった。
「やめるんだ」
改めてウォルフと目が合ったマリアンが憮然とした表情で右腕を下ろすと、その間に自警団の三人がバタバタとその場から逃げ出していく。
「―お騒がせしました。皆さん、もう大丈夫です。ご安心ください」
ウォルフが慣れた様子で周囲を見渡し野次馬たちへ手をかざしながら解散を促すと、一人また一人とその場を離れ始め、すぐに通りは何事もなかったかのように平常へ戻っていった。
「で、また喧嘩か?」
「ち、違うって…」
腰に手を当て冷淡な顔をしているウォルフがマリアンの方を見る。野次馬が散っていく様子をぼんやり眺めていたマリアンだったが、声をかけられた途端に顔に生気が戻った。
「女性が自警団に難癖をつけられてたんだ。それで助けようとして…」
マリアンが今度は困惑した目つきで周囲を見渡すと、少し離れた辺りで先ほどの三角帽の少女が呆然としているのが目に入る。
「すいません、ほったらかしにして。あ…」
「おい…」と言葉をかけそこなったウォルフそっちのけで平静を装いながらマリアンが少女に近づく。色白で綺麗な金髪を肩より少し下の長さで切りそろえた、あどけなさが残る顔と吸い込まれそうなほど澄んだ赤い瞳。それらを目にしたマリアンの動きが停まり、胸の高鳴りをはっきりと感じ取りながら見とれたような表情でじっと少女の顔を見つめてしまう。
「あ、あの…」
少女が動きの止まった神父を不審そうに見つめ返す、するとマリアンが胸の高鳴りを抑えつつ今日何度目かのハッとした顔を見せるもすぐに笑顔を作った。
「お怪我はないですか?」
「は、はい。助けていただいてありがとうございます…」
マリアンの笑顔を見て少女も困惑を含んだ笑顔を返す。そんな二人のやり取りを見ているウォルフが意味ありげに眉を上げ腕を組んだ。
「なら良かった…。えっと、もう戻らないと…。ではこれで…」
何時もなら笑顔でさらっと受け答えするマリアンのどうもぎこちない所作に、ウォルフの口元が思わず緩む。少女も何かを察したのか、微かに顔つきが変わった。
「あの…!」
会釈したマリアン達が背中を向けようとしたタイミングで少女が二人を呼び止める、その顔は意を決したような面持ちだ。
「お話があるのですが…」
「はい…?」
呼び止められたマリアンの口元が嬉しさで微かにむずむずしているのをウォルフは見逃さなかった。