第三話 警護司祭
ここヤンクロットは交通の要衝であり、昔から国中の人と物が集まる。それ故に行商人の取引と彼ら相手の仕事が盛んだ。一方で職を求めて地方から流れつくも、仕事にりつけなかった人間も増えている。そんな街の昼下がり、大きく開け放たれたノルマンド教会の聖堂の正門へマリアンが人を連れてゆっくり入っていく。いつもと違いキャソックに白地に淵に赤の刺繍のストラを首から下げ、更に胸部と肩、背中と両腕の二の腕から手首までを防護するプレートアーマーを着用していた。そんな彼の脇にはすっかり腰が曲がり、杖を突いて見るからに歩きづらそうな歩幅の小さい一人の老婦人がおり、マリアンにその体を支えられている。
「ごめんさない、こんなことまでしてもらって…」
「いえいえ、これも務めですから」
申し訳なさそうな表情の老婦人に、マリアンが満面の笑みを返す。聖堂の中は重厚な白い大理石の石柱や壁、飛梁、大きなドーム状の天井があり中心には赤い絨毯が敷かれた通路、その左右に等間隔に長椅子が並ぶ。更に聖堂の最奥には見上げるほどの大きな長方形のステンドグラスが埋め込まれた壁を背景に、無数の燭台とそれに乗せられた明かりたたえるろうそく達と、最後にそれらに囲まれた大きな十字架が掲げられていた。
「ありがとう、ここでいいわ」
「はい、またいつでもお呼びくださいね」
マリアンが一番正門に近い位置の長椅子の端に老婦人を座らせ、別れの言葉を交わすとおもむろに聖堂の奥を見た。聖堂の壁一面に長方形ではめ込まれたステンドグラスの中央から放射状に縁どられた極彩色のガラス片が散りばめられたそれらの中心には、ひと際目立つように煌びやかな衣装に身を包み、髭を蓄えた長髪の男性―、普段主と崇拝している神の姿が縁どられている。否応なしにマリアンの視界にステンドグラスが目に入ると、『主』と目が合った気がして思わず息をのんだ。
「綺麗だ…」
マリアンの口から思わず感嘆の言葉が漏れる。実際、このステンドグラスも熟練の職人が精魂を傾けて作り上げたものなのだから芸術品としての価値はあるのだろう。しかしマリアンに取ってはそれは副次的な意味合いしか持たない。かつて受けた大きな恩に報いるため、生涯をかけて神に仕えると決めた者に取ってその姿にある種の美しさを見出してしまうのは当然だった。
「すごいじゃないか!!」
ステンドグラスにうっとり見とれていたマリアンの意識が男性の大声で現実に引き戻される。ハッとして声の方向を見れば十字架の下で一人の神父と若い夫婦、そして夫婦が連れてきたであろう男の子の姿があった。よく見ると男の子の手に儀式用の小さいメイスが握られていて、それが淡く光っている。
「これは珍しい、修行していない人間に反応するなんて滅多にないんですよ」
「わーい」とはしゃぐ男の子の脇で驚きの表情を見せる神父。それを見たマリアンの表情が曇り、胸のあたりに黒く重たい感情が沸き起こる。通常神父になる場合は幼少期から修道士として厳しい修行を行い、それに耐え抜いた上で『魔払いの杖』と呼ばれている全体に青い装飾が埋め込まれた全長六十センチのメイスに『選ばれる』必要があった。昇格試験の際に魔払いの杖と同じ装飾が埋め込まれた儀式用の小型メイスを持ち、それが青く光れば神に認められた者として一人前の神父への道が開かれる。当然マリアンもパスするだろうと、彼に関わっていた人間や本人を含めそう思っていた。
だが現実は非情にもマリアンを適合者とは認めなかった。その時の光景を思い出してマリアンが思わず唇を噛み、腰にぶら下げている魔払いの杖に手をかけようするが、指が触れそうになった瞬間にふと思いとどまって手が止まる。
「今ここで確かめたところでどうなる…」
マリアンが諦めを含んだ顔で首を振る。十字架のたもとから響いてくる笑い声と無邪気な子供の声に文字通り背を向けて、聖堂を後にした。
「こんにちは、神父様」
「こ、こんにちは」
青空の元、持ち場に戻るまでの間に数名の女性信徒とすれ違った際もマリアンはいつもの通り笑顔で挨拶してすれ違った。しかし普段と違い、黒い感情を抱えているせいか笑顔を貼り付けている感覚が拭えない。そうしてようやく持ち場である教会の正門にたどり着くと、マリアンと同じプレートアーマーにストラを身に着け茶髪の髪を刈り上げた神父が腕組していた。今日の務め、警護司祭の相棒である。
「マリアン、遅いぞ」
「すいません先輩」
眉をひそめ呆れた声色の先輩司祭、もといエドモテオに対しマリアンがあからさまに申し訳なさそうな顔を見せる。
「我々警護司祭の役割はなんだ? マリアン」
「教会と神父、修道士たちの警護です」
腰に手を当てため息のエドモテオの質問に対し、マリアンが姿勢を正しやや不満げな顔で自らの役職の業務を的確に答えた。国教として絶大な地位と権力を所持しているコルマール正教会だが、それに対する不満はないわけでなく、また政治的な意図はないものの、不埒な企みを企てるものもいないわけででない。そんな連中から町を守るために自警団があるように、教会そのものや神父といった関係者を守るために特に武術に優れた者の中から『警護司祭』という役職に任命するようになった。マリアンもその中の一人なのだ。
「よろしい」
そう言ったエドモテオがマリアンに向かって右手を小さく差し出す。
「弱きものに手を差し伸べるのは大事だけどな、それをするのは今じゃない」
「―そんなこと言われましても、信徒と良い関係が築けるならこれくらいなら喜んでやるべきかと」
「…おい、このやりとり何回目だ? がむしゃらにやれば主がお認めになるわけじゃないんだぞ!」
むすっとしているマリアンを見て、思わずエドモテオの声の音量が大きくなる。が、すぐに道を行きかう人々の視線を感じ取って周囲を見渡した後、マリアンに顔を近づけた。エドモテオのこけた頬と刈り上げた茶髪がしっかり見える。
「とにかく、ちゃんと仕事しろ」
「…わかりました」
エドモテオの圧に納得できてない雰囲気を放ちつつマリアンが本来の定位置である正門の柱に前に立つと、改めて人々の活気で賑わう大通りへ目を光らせる。目の前の大通りは教会の反対側に簡素な布張りの屋根を貼った露店が立ち並び、店主と買い物客の声が響いていた。大通りの中央はそれなりに人や蹄の音を響かせる馬車が行きかっていて、特に行商人らしき人々が目につく。大抵は大きな荷物を持っていたり、馬車に荷物が満載されていたりと一目で分かるのだ。
そうして眼光鋭く唇を横一文字にしたマリアンが仁王立ちしている脇を数人の信徒が通り過ぎた頃、ふと教会の敷地内から女性の声がした。
「―エドモテオ様、居られますか?」
「っと、なんです?」
マリアンから見て反対側の柱の前に立っていたエドモテオが声のした方向にふり返る。マリアンも声の方向に顔を向けると、少し離れた場所にある木でできた柵の向こう側で修道服を着た一人の若いシスターが手を振っていて、その足元には無数のジャガイモが詰まった大きな籠があった。
「ちょっと手伝って下さりません? ジャガイモを入れすぎてしまって…」
「少々お待ちを、すぐ行きますから」
エドモテオの顔はすっかり口元が緩んで、声色も上がり調子だ。それを見たマリアンは思わずやるせなさを感じるも、それを押し殺す。
「すぐ戻るからな」
「わかってます」
マリアンはなんとなく軽やかな足取りで持ち場を離れていくエドモテオの足音を背中で聞きながら、失望と諦観が入り混じったため息を吐く。務めの重要性を説いておきながら当の本人はすぐに持ち場を離れてしまった。この手の愚痴をこぼすたびにウォルフに「そうなんでも杓子定規にってわけにはいかないさ」と窘められるが、納得できないマリアンの胸の中でどうしても不満という火種が燻ってしまう。違いがあるとすれば、一信徒とシスターという教会の関係者か否かということだが、それがどれだけの差を生むのだろう。どちらも困っているという部分では変わりないのに。そこまで考えたところでマリアンが不満を振り払うように首を振った。