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第二話 鍛錬と忘れ物

 ヤンクロット、ベリアラス王国領土内の地方城壁都市のひとつだ。その中にあるノルマンド教会は町のコルマール正教会の拠点であり、それなりの人数の信徒を収容できる屋根の先端に十字架を掲げた石造りの重厚感ある聖堂や、それに付随して修道士や神父などの関係者が過ごす建物は町の規模相応といった感じだった。当然、敷地となるとそれよりも広い。


 ヤンクロット東側に立ち並ぶレンガ造りの建物の背景が明るくなり始めた頃、教会の敷地内のちょっとした中庭のようになっている場所にマリアンが立っていた。少し離れた場所の木のテーブルの上に数枚のタオルとロザリオ、キャソックが大事そうに掛けてあり、テーブルの脇の地面には水がたっぷり入った縦長の桶まで用意している。


 一方のマリアンは腕まくりした白いシャツ姿で、先端に近い部分に丸い鉄球が付いた六十センチほどの長さの金属棒、訓練用メイスを両手で構えていた。既に体を動かしたのか、肩を上下させシャツが少し汗ばんでいる。するとおもむろにマリアンが足を踏み込む。脳内に思い浮かべた仮想の敵と一騎打ちを始めたのだ。


 明らかに重そうな風切り音がするほど素早く訓練用メイスを上下左右に操り的確に攻撃と防御を組み合わせ、それと共に素早い足さばきでの中庭に敷かれている通路替わりの敷石の上でブーツの足音を響かせる。長い髪を揺らしながら鍛錬するマリアンの表情が思わずはにかむ。心臓の鼓動とは違った胸の高鳴りへ心地よさを感じてしまう。そんな中で最後に仮想敵へ回し蹴りをお見舞いすると、心地よさに水を差すように軸足に窮屈さを感じた。着用を命じられているブーツが硬く、足首の動きを制限しているのだった。


 一戦終えたマリアンが姿勢を直立状態に戻し、訓練用メイスを上下している肩で担ぎながら自らの足を見下ろす。その顔は不満の色が浮かんでいた。


「大分履き慣らしたつもりだけど、まだ足りないのか…」


 マリアンが一言呟くと、そのままキャソックがかかっているテーブルに歩みを進める。その脇に訓練用メイスを立てかけてタオルを手に取ったところで人気を感じとった。既に小鳥たちが鳴き、太陽が建物から顔を出さんと言わんばかりに周囲を照らし始めていて、そろそろ町が起き始めようとする頃合いだ。


 マリアンが桶の中のまだ冷たい水に浸したタオルで汗を拭きながら人気の方向に目をやると、細身で生え際の後退した年配の神父が歩いてくるのが見えた。しっかりと身に着けたキャソックの上から白地に淵に金の刺繍が入ったストラを身につけている。『上級司祭』という、王都勤めや地方の教会の責任者を務められる程の階級の証で、ウォルフよりも一つ上の位になる。


「おはようございます、オーレッド様」


「おはようマリアン、今日も朝早いな」


「もちろんです、お勤めには必要な事ですから」


 汗を拭うのもそこそこに、マリアンが笑顔でオーレッドと呼んだ年配の神父に向き直る。オーレッドはここノルマンド教会の責任者で、彼もまたマリアンを良く知る人物である。そんな彼も興奮を隠しきれないマリアンの様子に、穏やかな様子で「そうか」と答える。


「でも珍しいですね、こんな朝早くに」


「ああ、最近君がずっと朝に鍛錬しているとウォルフから聞いてな。少し覗き見させてもらったが、見事な身のこなしだった」


 優しい笑顔で語り掛けるオーレッドに対しマリアンの表情に恥ずかしさと困惑の色が浮かぶ。


「そ、そんな。ありがとうございます…」


「はは、だが根を詰めすぎているようだな。ほら」


 マリアンが照れくさそうに後頭部へ手を当て視線を反らしている中、相変わらず穏やかな顔のオーレッドが後ろに回してた両手を前に差し出す。その手には綺麗に畳まれたマリアンの白地の淵に銀の刺繍が入ったストラがあった。


「あっ…、しまった…」


 自らのストラを見たマリアンが目を丸くしてテーブル周りに目をやるも、持ってきていたつもりだったストラは当然影も形もなかった。冷や汗が噴き出して顔色がどんどん青くなる。


「も、申し訳ありません!」


「まぁ待て。まだ務めは始まっていない。私がたまたま預かっただけだ。さ」


 と真っ青になっているマリアンに対し、オーレッドは雰囲気を崩さぬまま語り掛けると静かにストラを差し出す。


「ありがとうございます…」


 マリアンが肝を冷やしたという言葉が書いてあるようなげんなりした顔でストラを受け取る。するとどこからか食欲をそそる香りが漂ってきた。


「お、もうこんな時間か」


「やっべ…」


 オーレッドが香りのする方向へ首を向ける。その先には食堂として使われている建物があり、既に何人かの修道士や神父が挨拶を交わしながら建物の中に吸い込まれていくのが見えた。一方でマリアンは再び慌てた顔でその場に広げた道具をかき集め始める。少なくとも訓練用メイスは使用時以外は武器庫に収めておかないと、保管係から怒られるのは確実だからだ。


「さ、先に行っててください! 朝食の時間までには必ず!!」


「…気をつけろよ」


 マリアンがキャソックとストラ、訓練用メイスを抱え、食堂に向かっていた修道士や神父たちの視線を集めながら武器庫のある建物の中へ飛び込んでいくのをオーレッドがやや呆然としながら見送った。


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