第十九話 得たもの
二人の神父が一人の魔術師見習いを王都まで送り届けてから数日後、ノルマンド教会の一室で室内を照らす燭台のそうそくの明かりの元、綺麗に整えられたキャソックと助祭を現すストラを身に着けたマリアンが、備え付けられた小さい十字架に向かい頭を垂れ両手を胸の前で組み跪いていた。
閉じた瞼の裏で、先日の旅の様子を何度も振り返る。特に盗賊たちと一戦交えたあの時は、どうしても脳裏から離れない。悪人とは言え人を殺め、目を背けていた事実を突きつけられた。そしてその後は感情に流されるまま、エマと男女の一線を超えたことも。
受け止めらなければならない事の大きさもそうだが、教会の教えに背いてしまったことの罪悪感がずっとマリアンの心に重くのしかかっていた。
「主よ、もしできるのならお答えください。私は…、教えに背き自らの手を血で染めた私は神父を名乗る資格があるでしょうか?」
幾分顔つきが、特に目つきが変わったマリアンが頭を上げる。しかし見つめている十字架は沈黙して何も答えず、ろうそくの揺れる炎が小さく反射してささやかに輝いているだけだった。
マリアンが物言わぬ十字架をぼんやりと見つめ始めた頃、不意に部屋のドアがノックされた。呼び出しの合図だ。
「今行きます」
マリアンが立ち上がってキャソックの裾の汚れを払う。そして十字架を一瞥すると、緊張した面持ちでドアの方へ向かった。
数人の神父といつもよりは
複数の燭台に刺さったろうそくがノルマンド教会の聖堂内を照らしている。普段出入りしている信徒たちの姿は見られず、代わりに真ん中の通路を挟んで左右にローブのフードを深々と被り、その手に長いろうそくが刺さった燭台を胸元で掲げた修道士風の人々が等間隔に並んでいる。
彼らの先、唯一光が入っているステンドグラスの前にある十字架のたもとの講壇の前では、二人の神父を従えた緊張感のある表情のオーレッドと、更にその横で表情硬めで司祭のストラと魔払いの杖、司祭のロザリオが乗った入れ物を持ったウォルフが立ち、反対側の閉ざされた出入口を見つめていた。
一方の出入口の方は、扉が閉ざされていることもあって光の加減でちょうど暗闇にようになっており、ウォルフたちからは様子を伺うことはできない。
すると、その暗闇の中から人影が一つ現れる。後頭部で結われた紺色の髪を揺らしている神父は、この教会には一人しかいない。全身がはっきりと見える場所まで来ると、マリアンは小さく息を吐く。
マリアンが硬い表情ではあるものの、しっかりとした足取りで赤い絨毯を踏みしめて前に進みだす。すぐ目の前に、夢見たものがある。そう意識すると、喜びのあまり気持ちだけ先走りそうになるのを必死に抑えつつ、確実に修道士たちの間を歩み抜けていく。そしてマリアンが数段高くなっている講壇の前まで来ると、つばを飲み込んでオーレッドを見つめた。
「マリアン、我がノルマンド教会の助祭。相違ないな?」
「はい」
厳かな雰囲気が最高潮に達する中、オーレッドの静かだが威厳ある声にマリアンが何とか声を上ずらせることなく、はきはきと答えた。
「よろしい。汝の信仰に対する研鑽、およびか弱き者への庇護と導きを鑑み、司祭への昇格を認める。これからも信仰を守り信徒達を導くと誓うか?」
「尽力いたします」
「では、これよりその証として三つの品を授ける」
オーレッドの言葉を合図にマリアンが静かに身をかがめると、まず神父二人がマリアンのつけていたストラを静かに取り払った。次にオーレッドがウォルフの入れ物から司祭の証である銀の淵のストラを手にとってマリアンに着せ、続いて銀色に光る司祭のロザリオを首にかけた。
それが終わりマリアンが顔を上げると、オーレッドが魔払いの杖を両手で持つ。マリアンが静かに差し出した両手で杖を受け取ると、それが鈍く青く光る。その光を見たマリアンは思わず喜びで目を見開いた。正真正銘、ここまでくるために努力し切り開いた成果の証が自らの手の中にある。雰囲気が許せば、この場で飛び上がっただろう。
「顔を上げよ」
魔払いの杖に見とれて動きが停まっているマリアンの頭上から優しい声がかかる。顔を上げた先には、優しい笑みを浮かべたオーレッドの顔があった。
「おめでとう、マリアン。これからも研鑽と努力を怠るな?」
「はい!」
立ち上がったマリアンが清々しい笑みをオーレッドに向けた。
「さて…」
オーレッドが呟き、マリアンの背後で直立不動で佇む修道士たちを見渡す。
「儀式は終わった。この場でこの新しい司祭を祝いたいものが居れば、それを許可しよう」
「え?」
するとそれが合言葉だったように、修道士のフードを脱いだ神父達が講壇に集まり始めた。ぽかんとしているマリアンに向かって、もれなく笑顔を浮かべた見知った顔達が殺到する。
「おめでとう」
「やったな!」
「…みんな、ありがとう!」
同僚や先輩後輩の神父たちに囲まれ祝福されるマリアンを、ウォルフも優しい笑みを浮かべた顔で見守る。
「ありがとう、はは…。ん?」
笑顔で神父たちに対応していたマリアンが不意に遠方からの視線を感じとる。ふとその方向を見ると、死んだはずのヤギ髭を蓄えた盗賊の頭目がにやにやと嫌らしい笑みを浮かべて立っているのが見えた。すぐにマリアンの顔が青くなるも、その瞬間に彼の視界に若い先輩神父の顔が割り込んでくる。
「どうした?」
「え? あ、いや…」
慌てて我に返ったマリアンが先輩神父の肩越しに男のいた方を見るも、ヤギ髭の頭目の姿は影も形もなくなっている。
「はは、まだ緊張してるかも…」
「おいおい、大丈夫かよ」
再び笑顔を振りまくマリアンに先輩司祭が勢いよく肩を叩く。一抹の不安を抱えながら、マリアンは祝福ムードに流されていくのだった。