第十六話 血に染まって
「ん…?」
マリアンがふと気づくと、森の中の街道の真ん中に立っていた。空は明るく幾つかの大きな白い雲が浮かんでいて、森の木々も青々と茂り、小風に揺れている。
「あれ、僕は確か…」
ここまでに至る経緯がなぜか思い出せず、マリアンがゆっくりと俯く。と手に持っている魔払いの杖が目に入った。フランジから柄の半分までが赤黒くなっている。
「うわっ?」
マリアンが思わず魔払いの杖を放り投げると、今度は顔がぬるぬるすることに気づく。恐る恐る左手で鼻から頬の辺りに触れると、左手の手袋から鉄の匂いが一気に嗅覚に流れ込んでくる。
「ひっ!?」
鉄の匂いに驚いて左手を引き離した拍子に目についた服の袖にも、色が同化しているが明らかに血が付いている。そのまま自らの体へ目を凝らすと、あちこち血が付いた部分がある。文字通り全身が返り血を浴びたようになっているのだ。
「な、なんだよこれ…。―ッ!?」
マリアンが血まみれの両手を驚愕して見つめていると、今度はブーツに何かしみ込んでくる感触を覚える。いつの間にか土だったはずの地面が赤黒い液体で覆われていて、その液体がブーツにしみ込んできたのだ。
「どうなってるんだ…。そうだ、早く二人と合流しないと…」
空や木々がどす黒い赤い色に変わってしまった中、バシャバシャと水音を立てて後ずさりしながら、目の前の光景から逃避するようにエマとウォルフの事を思い出しその場を離れようとする。すると何かが足に当たった。
「…ひぃ!?」
マリアンが恐怖で引きつる顔をゆっくりと足元へ向けると、そこには液体に半分浸かった最初に倒した「兄貴」と呼ばれていた盗賊の死体が倒れていた。砕けた下あごが液体に浸かった状態で、目だけ不自然にマリアンの方を向いている。
「うそだろ…、うそだろ!?」
恐怖に駆られたマリアンが別の方向を見ると、やはり二人目に倒した兄貴を慕っていた盗賊の死体が目の前にあった。彼もまた両目だけ不自然にマリアンの方を向いている。それに気づいた瞬間、マリアンの両足が竦む。
「ってことは…」
足が竦んで動かないために腰から上を捻って周囲を見渡すと、やはり顔の潰れた三人目と頭から中身が飛び出している四人目の盗賊も近くで液体に沈んでいた。同じく目がマリアンを見つめている。
「なんだよこれ、なんだよこれ…」
マリアンは体が強張り、冷や汗が噴き出して顔も青くなり文字通りわなわなと震え始める。
「よぉ…」
耳元でそんな声がした瞬間、マリアンの体の震えが止まった。一方でどんどん早くなる胸の鼓動がはっきりと感じとれるくらい感覚が研ぎ澄まされたような錯覚に陥る。全身のこわばりは相変わらず続き、指一本動かせない。
「お祈りはしないのかい、神父様?」
陽気な声色でその言葉がはっきりと聞こえた瞬間に、鼓動の音が消えた。耳が痛くなるほどの静寂に加えて、今まで行ってきた行為の一部始終がまるで濁流のように頭の中へ押し寄せる。マリアンの顔に恐怖の色が浮かび、開いた口は塞がらなくなっていた。
「ようこそこちら側へ。人殺しさん」
忘れられない声、忘れることのできない声。マリアンの目の前に立っている盗賊の頭目が、まるで仲間できたことを喜ぶような声色で囁く。
「あっ、あっ…。あああああ!!」
次の瞬間、マリアンは蹲って頭を抱えながら絶叫した。