第十一話 襲撃
「マリアン!?」
一部始終を見ていたウォルフが籠と中身が落ちるのも気にせず立ち上がり、険しい顔でマリアンに駆け寄る。一方でエマは手に取ったばかりの杖を持ったまま状況が理解できずにぽかんとした。
「な、なに? ―っ!?」
ウォルフの風雲急を告げる声にマリアンも一瞬事態が飲み込めない顔をするが、振り返った際にその先の光景を見て目を見開いて思わず二度見する。先ほどまでなかった弓矢が一本、倒れた木の幹に刺さっているのだ。
「無事か!?」
「ああ、大丈夫」
駆け寄ってきたウォルフにマリアンが一瞥しながら立ち上がると、ウォルフの肩越しに何かを睨みつけながら腰にぶら下げた魔払いの杖を手に取る。それに釣られてウォルフがマリアンの見ている方向に視線を移すと、目を見開いてつばを飲み込んだ。森の暗がりから数人の人影が繰り出してくるのが見えたからだ。
「運がいいねぇ、神父の兄ちゃん」
合計五人の人間たちが森から出てくると、中央にいた男がどこか嬉しそうな声色でいやらしい笑顔を浮かべる。全員いかにも盗賊といった風体で、そのうちの一人は矢筒でも背負っているのか肩の後ろから弓の束が飛び出していた。各々が同じようにいやらしい笑みを浮かべつつ不気味に刃の部分が光っている得物を手にしていて、完全に戦闘態勢であるのは明白だ。
「なんだお前たちは…、何をしてるのかわかってるのか?」
マリアンが杖の先端を下にした状態で一歩前に出て身構える。その雰囲気は先ほどまで会話にしどろもどろしていたとは想像もできないくらい程の緊張感を纏っていた。
「誰でもいいさ、悪いが神父さん方にはここで死んでもらう。そこの小娘を渡してくれたら最後のお祈りの時間くらいは用意してやってもいいけどなぁ」
「ふざけるのも大概にしろ。我らへの侮辱は主への侮辱も同義だぞ?」
相変わらずいやらしい笑顔で手ごろな大きさの手斧の柄を左手の掌に打ち付けて音を鳴らすリーダー格の男へ鋭い眼光を飛ばすマリアン。その間にウォルフも魔払いの杖を構え、エマを庇うように背後に押し込む。
「ごちゃごちゃうるせぇ! お前らやっちまえ!」
「うっす。―どりやあぁぁ!」
リーダーの男が斧の切っ先をマリアンに向けると、まず二人の盗賊が得物を振り上げ襲い掛かる。一人目の得物が脳天目がけて振り下ろされる瞬間、マリアンはいつもの通りと言わんばかりにキャソックの裾やストラを靡かせつつ綺麗な動きでそれを躱して見せる。すぐに二人目の得物がマリアンの首元を狙って薙ぎ払われるが、これは魔払いの杖で弾いた。小気味いい金属音が周囲に響く。
「っ、くそ…」
二人目の攻撃を凌いだ直後にマリアンの表情が曇る、普段相手にしている自警団とはわけが違うことに気づいたのだ。二人同時に浴びせられる殺気から、場数の質の差も感じ取る。リーダー格の言っていることは本気であることも気づかされ、魔払いの杖を握る右手が力む。
そうしている間にも二人組の盗賊は攻撃の手を緩めない。二人はうまい具合にタイミングを合わせ、確実に急所を狙って繰り出される刃物の舞にマリアンは後ずさりながら斬撃をいなすことで精いっぱいだ。しかしなぜかマリアンの頭の中に恐怖と共に別の感覚が沸き起こる。全身の毛が逆立つような、胸が躍るような感覚。先日の自警団との小競り合いで感じたものと同じ。
「逃げてばっかりかぁ!!」
思わず自身の内側に向きそうになった意識が盗賊のその一言で引き戻される。焦りが浮かぶ表情でマリアンがどうにか狙い済まして魔払いの杖を風切り音と共に振り上げるが、慣れない旅路で足が悲鳴を上げているのかあっさり躱される。続いて一歩踏み込んで杖を盗賊の一人にへ向けて振り下ろそうとするものの、その瞬間に杖のフランジを得物に絡められて動きを止められてしまう。
「流石に動きが単調すぎるぞ!」
盗賊の口から余裕綽々といった声色でそんな台詞が吐き出された瞬間、マリアンは腹部に強烈な痛みを感じる。胸部のアーマーの下、防護されていない腹部へ狙いすました膝蹴りをくわえられたのだ。
「っ…、あがぁ!?」
マリアンが強烈な痛みに目を見開いて悶絶し、そのまま左腕で腹部を抑えて腰を折った。そのまま流れるように地面に跪き、四つん這いになる。続いて胃から何かが突き上げられる感覚に襲われると、先ほどの昼食だったものが喉を鳴らしながら逆流し、それを思いっきり地面にぶちまけた。
「マリアン!?」
「っ、行っちゃダメだ!!」
地面に突っ伏したマリアンから少し離れた場所でエマが悲鳴を上げた。そのまま近づこうとするのをウォルフが左腕で制止する。ウォルフは少しへっぴり腰ながら別の二組の盗賊の攻撃を凌いでいるが、相手が手心を加えているというのは火を見るよりも明らか明らかだった。
「っはー、がっ…」
一方のマリアンは腹部の痛みで蹲ったまま動けない。それでも逆流した胃の内容物でべた付きひどく気持ちの悪い口内の感触だけはしっかりある。
「こいつ大したことなかったな」
こちらに向かって二人分の足音が近づいてくるが、体がいう事を聞かず地面を凝視していることしかできない。
「兄貴、さっさとやっちゃいましょ」
「そうだな、ぶっ殺すか」
頭上で二人の盗賊が暢気に言葉を交わしている中、マリアンの耳に「殺す」という言葉がこびりつく。先ほどと打って変わって動かない体、助けようにも助けに来られない仲間たち。マリアンの脳が異様なほどフル回転する。殺生の忌避や戦闘で興奮している自分への嫌悪、そんなことを言っている場合ではない。目の前で危機に晒された仲間がいる、今ここで何もしなければ全員が死ぬ。自分がきっかけで。そこまで考えた時、マリアンの中で何かが爆ぜた。
「ふざけんな…」
マリアンが歯を食いしばり、強い意志のこもった瞳で再び目の前の盗賊の方へ鎌首をもたげた。盗賊の一人が勝利を確信したような不快な笑みを浮かべて剣を大きく振りぶっている。だが幸いなことにマリアンはまだ魔払いの杖を手放していなかった。最早祈っている暇はない。
「ああああ!!」
マリアンは盗賊を睨みつけると、痛みを無視して立ち上がる勢いもそのままに思いっきり伸ばすように体を反らし、微かに青く光り始めた魔払いの杖を振るった。直後に杖のフランジが盗賊の顎へ直撃し、周囲に返り血と数本の歯をまき散らす。
「あ、兄貴ー!?」
「はぁ、はぁ…」
うめき声を上げながら倒れる盗賊を見た相方が悲鳴を上げるのと同時に、周囲が水を打ったように静かになり、最後にウォルフが戦っていた盗賊の武器を弾き飛ばす音が一回だけ響いた。
「なんだ、どうした!?」
盗賊たちから視線を反らせないために死角の状況が分からないウォルフが毒づく。
「…マリアンが一人倒した」
僅かな間の沈黙の後、蚊が鳴くような声でエマが呟く。「兄貴、兄貴!」と仰向けに倒れて動かない相方をゆすっている盗賊の傍で、マリアンが苦悶の形相で肩で息をしつつ腹部を左手で押さえて立っている。それを見たリーダー格は顔色を変えて斧を握りなおすと、すかさずマリアンの死角へ駆け込んだ。
「くたばれ!!」
マリアンの死角に回り込んだリーダー格が脳天に向かって斧を振り下ろす。が、マリアンはまるで分っていたかのように魔払いの杖で斧を受け止め弾いた。
「ち!?」
リーダー格が目を丸くする中、マリアンが正対するように体制を整え魔払いの杖を両手で握り直す。相変わらず表情は苦悶のそれだが幾分痛みが和らいだのか、落ち着いて深呼吸している。
「くそっ!?」
打って変わって焦りが隠しきれなくなった表情のリーダー格が再び斧で薙ぎ払いにかかるが、マリアンは魔払いの杖を構えたまま動じない。マリアンの視界の中で、リーダー格の動きが揺らいで見える。頭の先から足の先まで、それらの移動先が実体よりも先に輪郭で表示されているのだ。相手の動きが読める、そんな感覚だった。当然、手にしている斧の軌道の先も輪郭として現れていた。
マリアンは頭が真っ白のまま、ただ自身の胴体へ向かって薙ぎ払われようとする斧の動きに合わせて魔払いの杖を振るった。金属音が響くと共に斧の刃と杖のフランジを絡ませ、動きを止めたかと思えば上手く力を利用してリーダー格の手から斧を弾き落とした。
「な…!?」
斧が地面にたたきつけられると同時に丸腰になったリーダー格の首元に魔払いの杖が突き付けられる。片手で突き付けているマリアンの顔は鬼の形相そのものだ。
「…今立ち去るなら見逃してやる。さっさと失せろ」
血の付いた魔払いの杖をを突き付けられ、それが微かに上に上げられると冷や汗が止まらないリーダー格の顎もそれに従う。
「くそ…、いったん退くぞ!」
「でも…」
「さっさとしろ!!」
怖気づいたリーダー格の指示で盗賊の取り巻き達が最初に倒された仲間を抱え上げ、その場を立ち去る。その最中もマリアンは姿勢を崩さない。
「覚えてろ!」
数歩後ずさりしたリーダー格が捨て台詞を吐いて走り去る。残された三人が立ち尽くす中、盗賊たちの姿が見えなくなった途端、糸が切れた操り人形のようにマリアンが膝から崩れ落ちた。
「おい、マリアン!」
その様子に血相を変えたウォルフが駆け寄ると、文字通り魔払いの杖を『杖』として地面に立て真っ青になっているマリアンの顔を覗き込む。
「平気だ、少し休めば…」
「馬鹿、どうみても平気じゃないだろ!」
キリキリと差すような腹部の痛みがぶり返し、冷や汗も止まらない中でマリアンが強がって見せた。先ほどよりは回るようになった頭の中で、周囲を巻き込んだ罪悪感が芽を出す。
「何か、役に立ちそうなものは…」
「…ちょっといい?」
相変わらずぜぇぜぇと肩で息をしているマリアンの脇でしゃがんでいるウォルフが慌てふためく。と、それを見たエマが杖を携え歩み寄ってきた。帽子を脱ぐと、改めて綺麗な金髪の髪が小さく翻る。
「手を貸して」
「え、でも…」
「良いから! このままじゃ彼、動けないわよ」
エマの凛とした顔と強い意志の籠った赤い瞳を向けられたウォルフの表情が引き締まり、唾を飲み込む。
「何をすれば?」
「まずアーマーを脱がして」
するとそれを聞きつけたマリアンが負傷者らしからぬ声を上げた。
「ダメだ、今は任務中だから脱ぐのは規則違反…」
「うるさい!」
顔上げる余裕は無いのに脱げない理由をつらつらと語るマリアンを見て、エマの表情に怒りが宿った。眉を吊り上げて一喝する。
「いくら私でも、身を挺して守ってくれた相手を見殺しにするのは夢見が悪いのよ! そこまで冷酷にはなりたくない」
「でも、…っ」
先ほどよりも悲しみの色があるエマの瞳がようやく顔を上げたマリアンの視界に入り、そのまま言い淀む。
「さ、いう通りにしよう」
諭すようなウォルフの言葉にすっかり体の力が抜けてしまったのか、マリアンはされるがままに胴体のアーマーを脱がされていった。そしてウォルフの膝枕の元、マリアンが地面に仰向けに寝かされ、彼の腹部へエマが手を当てた。その瞬間、マリアンの顔が苦痛に歪む。
「ふう…。じゃ、行くわね」
エマが息を吐き、真剣な表情でマリアンの腹部に乗せた両手へ視線を落とすと、何か小言をぶつぶつと言い始めた。するとエマの掌が青白く光り始め、同時にマリアンの腹部へ何か暖かいものが当たっている感触が起こる。服越しにも関わらず、直接地肌を温められているような感覚だった。
「これって…」
「回復魔法にしちゃ大掛かりだな、初めて見る」
呆然とエマを見つめるマリアンに、ウォルフが小声で耳打ちする。そうしている間にも、見る見るうちにマリアンの腹部から痛みが消え去り、それどころか全身の気だるさも消えていく感覚が全身に伝わっていく。魔法を当てられている患部からほんのりと優しい温かみを感じながら、改めてマリアンがエマの横顔へ目をやる。相変わらず真剣な顔で術を呟くその顔を長髪の神父は食い入るように見つめた。
「ふう、とりあえず終わったわ」
エマが光の消えた掌をマリアンの腹部から離すと片手で額の汗を拭うような仕草を見せる。「どうだ?」と心配そうなウォルフに促されるままにマリアンが上半身を起こすと、すっかり腹部の痛みが消えどこか体も軽くなったような感覚を覚えた。
「すごい、さっきまでの痛みが嘘みたいだ…」
右手で自らの腹部をさすっているマリアンを見たエマが安堵したように一息つき、一瞥する。
「これでひとまずは大丈夫ね」
「よかった」
マリアンの後ろで安堵したウォルフが一呼吸開けた後、緊張感を纏った表情ですっと立ち上がる。
「…とはいえ無理はできないだろ。マリアン、お前の荷物を整理するぞ」
「私も荷物を取ってこようかしら」
離れた大木の脇に放置してある背負子の元へ向かうウォルフの後ろを、手に取った三角帽についた埃を払いながらついていくエマ。
「あ、ちょっと…」
その場に置き去りにされたマリアンが起き上がろうとして地面に手を付く、と何かが指先に触れた。視線を向けて手に取ったそれは、自身の魔払いの杖だった。フランジに赤黒くなった血が付着した杖をマリアンがまじまじと見つめると、ほんのり青く光っている。それを見たマリアンは喜びよりも驚愕と不安が勝り、表情が曇った。
「…主よ、自分には殺生がお似合いだというのですか?」