第十話 一休み
ウォルフの読み通り、検問での検査は呆気ないほどスムーズに進んだ。むしろその先がある意味本命で、川の幅こそ狭いが高さがかなりあり、そこにかかっている橋がずいぶん傷んでいたのである。マリアンとウォルフがしり込みする中、エマが一人ずんずん進んで渡り切ってしまう姿を見せられた二人は目を丸くするほかなかった。
橋を過ぎてから道の両側が緑に覆われる程ますます木々が生い茂るようになり、少し薄暗くなって逆に人通りがめっきり減っていった。それでも道は主要街道らしくしっかりと整備されており、馬車の轍も浅く歩きやすい。草木との距離が近くなったせいか草原の時とは違う、濃い草の香りがマリアンの鼻を刺激するが、彼の視線は相変わらず先頭を歩くエマに向けられていた。正直、エマがここまで恩知らずで皮の面が厚いとは思いもしなかったし、それを見抜けなかったどころか感情に流されて周りを巻き込んで無理を通してしまったことへの後悔も湧き上がり始めている。だがこうなってしまった以上、途中で投げ出すわけにもいかない。
「…終わらせることだけを考えよう」
自らに言い聞かせるように、マリアンがぽつり呟いて両手で背負子の背負い紐を強く握りなおす。どれくらい歩いたのか、目的地までどの辺りまで来たのかが気になりだしたところ不意にマリアンの腹部からぐーという音が鳴った。それを聞いたエマとウォルフが足を止めて顔でマリアンの方へ目をやる。
「仕方ないだろ…」
一斉に視線を浴びせられて顔を赤くするマリアンに、ウォルフがはにかんだ。
「そろそろ一休みするか、丁度いい場所もある」
ウォルフが指さした方向には腰掛けるのにちょうどよさそうな岩が幾つか鎮座し、葉が生い茂った一本の大木が生えている。その周りはちょっとした広場になっていた。丁度太陽も空の真上に上りつつあり、大木の陰なら降り注ぐ太陽光も幾分防げそうである。そこに辿りついた三人の中で意の一番にマリアンが背負子を地面に下ろすと、重しから解放された体を思いっきり上下へ伸ばした。
三人が大木の陰に入り各々の傍らに荷物を降ろし、岩を椅子代わりに腰掛け始める。マリアンとウォルフは岩の綺麗な場所を探してそのまま座ったが、エマは更に丁寧に岩の土埃を払って腰掛ける。
「お昼はある?」
「一応」
荷物を漁る手を止めたウォルフがエマに視線を送ると、エマが小さい籠を取り出したところだった。マリアンも一足先に同じような籠を取り出して両手で包みながら膝の上に載せている。続いてウォルフもマリアンと同じように籠を膝に乗せると、お互いが目くばせした。そしてタイミングを合わせるように両手を胸の前で組み指を絡ませて少しうつむくと目を閉じる。
「「主よ。あなたのいつくしみに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、私たちの心と体を支える糧としてください。」」
神妙な顔つきで短く囁くように食事前の祈りを捧げる二人を見て、エマが籠の蓋を開ける手を止めながらどこか戸惑ったような表情になる。そしてすぐに二人が手の指をほどき、籠の蓋を取った。籠の中には数切れの干し肉と小麦を焼き固めた正方形の薄い保存食が入っていた。これらは常温でも長期保存が利くため、特に短距離の旅路では必須の携行食だ。マリアンが保存食を手に取って口に運ぶと、相変わらずの味気無さが口の中に広がる。続いて干し肉を手に取って齧るが、今度は塩味が強い。保存食は保存期間を重視するあまり、味の良さはあまり考慮されていないためかそれぞれ味が両極端だった。マリアンもこれは覚悟していたし、修行の一環とも割り切れるが流石にいつも食べている暖かい食事のありがたみを認識させられる。
「そういえば…、この道であってるの?」
マリアンが食事を取りながらふと思い立ったことを口にした。静かに食べていた二人が顔を上げる。
「さぁ、私は知らないけど…」
「えっ、知らないんですか!?」
エマの言葉にマリアンが目を見開いて食いつく。
「当たり前でしょ! 初めていくのよ?」
「それはそうですけど…、せめて地図くらい…」
相変わらず顔に冷淡な雰囲気が見え隠れするエマに、マリアンがあきれ顔を向ける。そんな二人のやり取りを聞いたウォルフが気にしてなさそうな顔をする。
「まぁ大丈夫だろ…。一本道だし、看板も立ってるしな」
「それなら…」
ウォルフの説明にマリアンが不安を抱えつつも胸を撫でおろす。一方のエマは表情を変えないまま保存食を口に運んでいる。マリアンが相変わらずのエマとの折り合いの悪さから目を背けるように、周囲に目をやった。見渡す限り無数の木々に囲まれている景色が続き、暗がりになっている木々の隙間が黒く目立つ。マリアンはまるでその隙間に吸い込まれるのではないかという錯覚を感じ、一点の暗がりを凝視した。
「…何してんの?」
あまりに一点を凝視し続けるマリアンを見かねて、微かに眉を顰めたエマが口を開く。彼女の声が耳の飛び込むと同時に「ふえっ」と変な声を上げながらマリアンが小さく跳ね、思わず膝上の籠を落としそうになる。
「い、いや、その…。見るもの全部が初めてで…」
「こいつ、町から出てたことないんだよ。勘弁してやってくれ」
あたふたしつつ言葉を紡ぐマリアンを脇目に、ウォルフがからかうような口ぶりでにやりと笑って見せた。
「ふーん」
ウォルフの言葉にエマが空っぽになった自らの籠の蓋を閉めつつ、怪訝そうな表情になる。そしてマリアンがエマにぎこちない苦笑いを向けた後、最後の一つとなった保存食を手に取ろうとした時、掴みそこなって指から滑り落ちた。
「あっ…」
マリアンが思わず転げ落ちた保存食を捕まえようと身を屈めた瞬間、突然風切り音と共に先ほどまで頭があった場所を一本の弓矢が飛び去った。