第一話 クラスLv90の素人
その日、夜闇に紛れてカノンとミラベルは、とある貴族の屋敷へと潜入を行っていた。
そこは、領民たち曰く――、誇大妄想家で虚言癖を持つ尊大極まりない貴族が住まう屋敷であった。
カノン「はあ……」
暗い屋敷内を忍び足で進みつつ黒髪剣士カノン・ブリードはため息を付く。それを見て、彼の相棒である盗賊少女ミラベル・オブライエンは首を傾げて言った。
ミラベル「どうしたのダーリン?」
その問にカノンは苦笑いしながら答えを返す。
カノン「アイツからの依頼とはいえ……、面倒そうな依頼を受けちまったな――と」
ミラベル「まあ……ね、でも一応悪人を摘発するってだけだし」
ミラベルはそう笑顔で言葉をカノンに返す。カノンは再びため息を付いてから言った。
カノン「まあ、な……、それはいいんだが」
ミラベルはいたずらっ子っぽい笑顔でカノンを見つめる。
ミラベル「くふふ……、ダーリンって、リィン姉には何かと弱いもんね」
カノン「む……」
そのミラベルの言葉に、カノンは少し心外だと言ったふうに眉根を寄せた。
そして――、時間は、その時より数日前の帝都ミラガルデンでの出来事に遡る。
◆◇◆
その日、とある人物から呼び出し連絡を受けたカノンとミラベルは、指定された酒場で件の人物を待っていた。
そして……、会う予定である時間から十数分遅れて、件の人物が二人の前に慌てた様子で現れたのである。
その人物とは――、ガルディア帝国軍上級将校が身につける軍服を身につけた、赤いポニーテール髪の、おそらく二十代前半であろう若い女性であった。
開いているのかいないのかわからない糸目で二人を見つけると、その女性は満面の笑みで二人の側へと走ってゆき……、自分より明らかに小柄なミラベルに抱きついて、ひたすら頬ずりし始めたのである。
軍服を着た女性「ミラ~~!! ゴメンね――、最近、仕事が忙しくて会えなくて!!」
ミラベル「むう……、リィン姉……苦しい」
ミラベルは、その行為にされるがままになりながらも、ジト目でその女性――【リィン・アシュヴァール】を睨みつつ抗議する。
その抗議が聞こえていない様子で、リィンはミラベルに頬ずりしつつ隣に立つカノンを見て言った。
リィン「むふふ……、今度休暇を取ったら、少佐様と三人で一緒に遊ぼうね!!」
そう楽しげな様子で言うリィンに、呆れ顔を向けつつカノンは言った。
カノン「おい……、リィン――、仕事の話をしに来たんじゃないのか? それと……いい加減少佐様はやめろ」
カノンのその言葉に、リィンはやっとミラベルを解放し――、カノンへと向き直って恭しく敬礼してから言葉を返した。
リィン「ははは……、いいじゃないですか。私にとっては、この呼び方が何かとしっくり来るんですよ」
カノン「俺はもう、お前と違って帝国軍人じゃないってのに……」
ため息を付くカノンに、苦笑いを向けつつリィンは席について話を続ける。
リィン「はは……すみません。……で、今回の仕事の話なんですが――。簡単に言うと、ある若い貴族を始末してほしいんです」
カノン「始末……って、俺はもうそういった政治的な抗争には――」
うってかわって真面目な様子で語るリィンに、カノンは抗議の目を向けてそう言った。
その返しに、リィンは慌てた様子で首を横に振って、先程の発言を訂正した。
リィン「あ……、すみません。端折りすぎて誤解を招きましたね? 始末って言っても殺すとかではなく……、駆け出し冒険者としてその貴族の悪事を暴いて、決定的瞬間に制圧してほしいんです」
カノン「む……、それって要するに――、帝国軍の代わりに……って?」
訝しげに語るカノンに、小さく笑いつつリィンは語る。
リィン「はい……、冒険者協会への依頼は、その貴族の領地内に住むある有力者から――、というていで、領地内でこれまで起こった五人の女性の誘拐強姦殺人事件の捜査を行い……、その果てに依頼を受けた新米冒険者が貴族の悪事を偶然暴いてしまった――、という筋書きになります」
そこまで聞いてミラベルが口を挟む。
ミラベル「ふ~~ん? それって悪徳貴族の処罰ってこと? なんで帝国自ら動かないの?」
リィンはミラベルのその問に満面の笑顔を向けて答えた。
リィン「いい質問です! 流石ミラちゃん!! そいつは帝国でもそこそこの地位である上級貴族の身内でして……。まあその悪癖もその人が甘やかした結果というやつでして……」
カノン「帝国が直接動こうとすれば、必ず妨害されてしまう……と?」
リィン「そうです……、でも、ある程度帝国から自由な冒険者が、偶然悪事を暴いてしまったなら、もはやその上級貴族が手を出す事は不可能となります」
カノンはリィンの話を頭で整理しつつ、納得した様子で言った。
カノン「じゃあ……、おそらく、その悪徳貴族が事をなそうとする瞬間を、お前のところの情報部が監視して……、その瞬間に俺達が居合わせるように仕向ける――と?」
カノンの言葉に頷きつつ、リィンは二人の目を見て元気に答えた。
リィン「はい、そのとおりです! 冒険者が捜査をしたという表向きの工作はこちらでしますので……、少佐達は私の部下の指示で直接貴族の屋敷に潜入をしていただく形になります」
カノンはそこまで話を聞いて……、小さくため息をつくと、リィンに向かって笑いながら言った。
カノン「ふう……、帝国軍からの指示というのは気に入らんが――、お前の依頼なら仕方ないな」
リィン「ありがとうございます少佐!」
リィンのその嬉しそうな顔に、カノンは苦笑いを向けつつ頷いたのである。
◆◇◆
そして――、現在、その目標である貴族の屋敷に、カノン達はまさに潜入している最中である。
ミラベルはリィンの笑顔を思い出しながらカノンに言った。
ミラベル「リィン姉、相変わらず忙しそうだね」
カノン「まあな……、あの歳で――、帝国軍では色々出世が難しい女性でもあって――、それなのにすでに帝国軍情報部のお偉いさんになってるからな」
まさにカノンの言った通り――、帝国軍というのはまさしく男性社会であって、何かと女性には不利な部分がある。
そういった状況を打開するために、大抵の女性将校はあえて女の武器を利用したりするのだが――、リィンの場合は、そういった横道を進まずにまっすぐ実力だけで出世してきた。
それはまさに彼女の驚異的な能力を裏打ちしており、それはカノンをして最優の我が右腕であると認めている事でも確かであった。
ミラベル「まあ……リィン姉の凄さは、ダーリンの副官だった時代を見てて少しは知ってるけど……」
カノン「アイツは恐ろしく頭のまわるやつだからな。少なくとも頭で俺がアイツに勝てるビジョンは全く見えないほどだし……」
ミラベル「ダーリンとリィン姉は……、ボクがダーリンと出会う前からの付き合いだから――、色々深く知ってるんだよね? ……リィン姉に嫉妬していい?」
少し上目遣いで言うミラベルに、苦笑いを向けながらカノンは答えた。
カノン「やめとけ、やめとけ……。俺でも勝てるかわからん奴に、お前が敵うわけ無いだろ――」
ミラベル「むう……」
拗ねた様子のミラベルに笑いかけながら、屋敷内を忍び足で歩んでゆくカノン。彼は少し訝しげな表情でミラベルに言った。
カノン「しかし……、アイツ最後に気になることを言ってたな?」
ミラベル「あ……、貴族のある噂は本当であり――、でもダーリンなら特に問題ないって、そう言ってたアレ?」
カノン「結局、どういった噂かは、アイツの口からは聞けなかったが……。ふう――、しかし、この屋敷、あまりに静かじゃないか? 護衛や見張りらしきものも居ないし……、昼間は居た使用人もどこかに行ってるみたいだし……」
屋敷をいくら進んでも人気のない様子に、本格的に困惑の表情を浮かべるカノン。ミラベルはカノンに続いて歩きつつ周囲を確認し答えた。
ミラベル「うん……、あまりに静かすぎるね」
カノン「まあ……潜入が簡単でいいが――、なんか嫌な予感がする」
ミラベル「むう……、とりあえず貴族がいるはずの寝所へと急ごう」
カノン「ああ……」
◆◇◆
それから数分後、二人は屋敷の二階の奥にある、とある扉の前に立った。
ミラベルは、その扉に耳をつけて中の様子を探った。
ミラベル「……」
女性の声「いやあ! やめて!!」
男の声「ははは……! 抵抗するなよ……、死にたのかい?!」
その会話はカノンの耳にも届いてきて――、ミラベルはカノンの方に向き直って言った。
ミラベル「ダーリン!」
カノン「ああ……踏み込むぞ」
カノンを先頭に二人は扉を開いてその中へと飛び込む。
その先に、女性をベッドに押し倒さんとする、腰に両刃長剣を携えた若い男――、今回のターゲットである変態貴族が待っていた。
その貴族は踊り込んできた二人を見て――、全く慌てず、落ち着いた様子で静かに言葉を発した。
貴族「む? 貴様たちは……、そうか、最近領地内で勝手なことをしている冒険者か……」
貴族に襲われているその女性は、貴族の手を振り払って二人の方へと走ってきた。
ミラベルは急いでその女性に近づいて、貴族から見て自身の背後に彼女を隠した。
女性はミラベルの背後に隠れて震えつつ、怯えた声を発する。
女性「ああ! 助けてください!!」
ミラベル「大丈夫? 貴方……」
その様子を見ても全く慌てずに、貴族は朗らかに笑いつつカノン達二人に向かって言った。
貴族「ふ……、まさか下賤な冒険者風情が、こともあろうに私の屋敷に無断で踏み込み、――そして逆らうと?」
カノン「は……、決定的瞬間を見られてそこまで冷静とは――、この状況をどうにか出来る方法があるのか?」
貴族「ははは……無論であるとも!」
不意に貴族が、カノンをして視認し難い高速で疾走った。
ヒュン! ――ザン!
貴族が腰に下げた両刃長剣が横薙ぎに振られて、カノンはその身に小さくない切り傷を得る。
小さな血しぶきが飛んで――、カノンは貴族から、ミラベルと女性の二人をかばいつつ間合いをあけた。
その鋭い動きに、カノンは目を細めて貴族を睨む。
カノン「お前の動き……」
貴族「ククク……、わかるか? わかるよな?」
カノン「……」
その貴族は心底楽しそうに笑いながらカノンを見つめる。カノンは黙って貴族を睨み返した。
貴族「お前のクラスLvはいくつだ?」
不意に貴族が、カノンへと嘲笑を向けながらそう言った。カノンは訝しげに思いながらも答える。
カノン「……? 剣士Lv68だが?」
その答えに、一瞬鼻で笑ってから貴族は言った。
貴族「ならば冒険者よ! 私のクラスLvを知りたいか?」
カノン「……いや、どうでもいい」
そのきっぱりとした答えに貴族は一瞬言葉を失うが――。
貴族「……。く! 聞け!」
気を取り直して貴族はカノンに向かって怒鳴った。
カノン「……」
貴族「我がクラスLvは……、剣士Lv90だ!」
その答えに、女性は貴族に向かって怯えた目を向け、ミラベルは困惑の表情を浮かべ、そしてカノンは全てを理解したという様子で頷いた。
カノン「……ほう? なるほど、そう言う事か……。どうりで護衛を一切置いていないと思ったら……」
その言葉にミラベルが補足する。
ミラベル「……自分がやってる秘密の遊びを外部に漏らさないように――、護衛を初めとして外部の者を周辺に置かなかった――と? ――そもそも外敵は自分自身で処理できるし?」
二人の言葉を聞いた貴族は、嬉しそうに笑いながらカノンに向かって指をさす。
貴族「……そうだとも! 理解したか? 貴様が誰を相手にしようとしている愚か者か?!」
その大げさかつ尊大な態度に、呆れた顔を向けながらカノンは言った。
カノン「ふう……、お前のその態度、クラスLv90であると言う事……。まあ、お前がどんな奴かはだいたい理解した」
カノンの言葉に少し首を傾げる貴族。その様子に苦笑いしながらカノンは話を続ける。
カノン「知ってるか? 勇者パーティのメンバー、彼女らは魔王討伐まで付き合って、軒並みクラスLv80代だ……。ならばお前は、それと同等かそれ以上の偉業を成してる事になる……、が、とてもそうは見えない」
貴族「……なんだと!」
カノンのあまりの物言いに貴族は怒りの目を向けた。
その怒りを気にもとめずに、カノンは笑いながら貴族へと一言発したのである。
カノン「お前、……くだらん近道をしたな?」
その言葉に貴族は驚愕の表情で目を開いた。
◆◇◆
二人の会話を聞いていた女性が、ミラベルに向かって疑問を投げかける。
女性「……? あれは一体どう言う意味です?」
ミラベル「ああ、貴方――、お嬢さんはクラスLvいくつ?」
問に対して問を返され、困惑しながらも女性は答えを返した。
女性「え? ……治癒士Lv6ですが」
ミラベル「なら……、限界突破した事ないだろうし、わからないか……」
女性「限界突破……」
首を傾げる女性にミラベルは笑いながら説明を始める。
ミラベル「クラスLvは戦闘経験などである程度上昇するけど、ある地点で上昇が止まる。それ以上にするにはそれ以上のクラスLvにふさわしい技量が必要なの。それを備えたうえで制限を越える事を限界突破って言うけど……、何事にもチートってのはあってね……、これで限界突破する方法もある」
指で輪を作るミラベルを見て、女性は困惑の表情で言葉を返す。
女性「これ……、ってお金?」
ミラベル「そう。あのバカ貴族、援助を受けた――そのお金を資金に、クラスLvアップアイテムや、限界突破アイテムを購入して経験や訓練に依らずクラスLv90にしたのね。だからクラスLv90止まり……と」
女性「……?」
ミラベル「クラスLv91以上は【伝説階位(=エンシェントランク)】。クラスLv+1ごとに、死線を越える冒険の果てに手に入る希少アイテムや、そもそもクラスLvにふさわしい技量を、示さなければならず、普通にお金で手に入るものではない。だから……あの貴族はクラスLv91以上に上げる事が出来ない」
女性「あ……なるほど」
そのミラベルの言葉に納得を得る女性。さらにミラベルは話を続ける。
ミラベル「術師である貴方なら知ってるでしょうが……。治癒士ってクラスLvを上げるだけで魔法を使用出来るの?」
女性「え? そんなはずないです、扱う魔法そのものを学ばないと……、あ!」
ミラベル「そう……、戦士系クラスであってもそれは同じよ。だから……あの貴族はボクのダーリンには勝てない」
ミラベルは笑いながら女性を見る。女性は頷きつつカノン達の方を向き直った。
――すでにその女性に怯えた様子は見えなかった。
◆◇◆
貴族に向かって冷たい目を向けつつカノンは言う。
カノン「お前、どれだけ死線を乗り越えて来た? どれだけ必死に鍛錬して来た? いや、そんな面倒くさい事はしないよな? チートを使えば近道出来るし……。はあ……くだらん」
心底呆れた様子でため息を付いて、大げさに首をふるカノン。その様子に、その貴族は自分がバカにされている事を自覚して怒りの目を向けた。
貴族「く……」
カノン「クラスLvが上がれば斬撃の威力はあがる。剣線の鋭さも増すだろう。身のこなしも上手くなる。……だがそれだけだ」
貴族「は? 剣士としての強さに、それ以外の何が必要だと?」
カノン「理解が及ばんか? ならそのままでいろ。お前にはそれが相応しかろう……」
貴族「クラスLv68風情が……、クラスLv90の私に向かって偉そうに!」
流石に頭にきた貴族は、両刃長剣を中段に構えて――、そしてカノンへ向けて一気に疾走る。
カノン「……」
しかし、カノンは身をほんの少し動かしただけでその場に留まり、腰に差した打刀を瞬時に引き抜いてから、空を切る貴族の長剣の剣線を打ち払った。
ヒュ! ――ガキン! ドン!
貴族は剣線を逸らされた勢いのまま、床に向かって長剣を振り下ろす。そのまま長剣の先が床を貫き――、そして、よろけた体勢で貴族の動きが止まった。
貴族「ぐ……?!」
呻いて長剣を構え直そうと動く貴族に向かって、カノンの大きな怒号が飛ぶ。
カノン「おい! 剣線を逸らされた程度でつんのめって、動きを止めるな! ド素人が!!」
貴族「ひ!」
その勢いに怯えを得た貴族は、身を震わせて怯えた目をカノンへと向ける。その瞬間にカノンの手にする打刀が、一条の閃光となって空を疾走った。
ヒュン! ――ザク!
その瞬間、血を撒き散らしながら長剣と、それを握る手首だけが空中に舞った。
手首から先を失ったその貴族は、一瞬絶句してから哀れに泣き叫びつつ、その場に転がった。
貴族「ああああ! ……私の腕!」
カノンはその哀れな貴族を見下ろしつつ、冷たい目で言葉をぶつける。
カノン「今と、その前と、どちらもお前の攻撃を俺が避けられた、その理由を教えてやる……。お前の剣術の型は、俺がガキの頃に読んでいた、剣術入門書にある動きとほとんど変わらなかったからだ……」
貴族「痛いよ〜〜! ママ〜〜!!」
とうの貴族は、そのカノンの言葉を聞くこと無くただ哀れに泣き叫ぶだけであった。
◆◇◆
そのあまりに情けない様子に、呆れ顔で女性は貴族を見つめる。
女性「……なんて、情けない……」
ミラベル「これでわかったでしょ? 自分自身の技量に合わないクラスLvがどれだけ無意味なのか」
女性「はい……、痛いほどに」
ミラベルの言葉に、女性は苦笑いしつつ、ただ一息ため息を付いた。