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陽は暮れて



「あー、明石さんかー。私、あの人あんまり好きじゃないんだよね」

 先輩たちの後を付けるのは良いのだが、何故か変態まで付いて来ていた。

「……そうなの?」

「うん。だって何だか、こう、ウマが合わなさそうって言うか、むかつく! って感じがしない?」

 ほう、珍しい。明石つみきの本質、本性に気付く人間が私以外にも存在していたとは。良いだろう、加古川シホ。お前の事を少し見直してやろうではないか。

「と言うか、その明石さんの隣を歩いてるのって誰だろ」

 ふふふ、それは秘密である。彼について知っているのはこの世で私一人いれば良いのだ。

「彼氏かな? いや、でも何かイケてないと言うか、どこにでもいるような、こう、冴えない感じが……」

 良し加古川、そこに跪け。



 先輩たちはやはり駅前に向かって移動しているらしかった。

「ねえ委員長、そろそろどこへ行くか教えてくれても良いんじゃないかな」

「あら、知りたいの?」

「そりゃ、こんな時間まで君を待ってたんだし。それに本当は僕、後輩と約束もしてたんだよ?」

「ごめんなさいね。うーん、でも、どうしようかなあ」

 ちっ、かわいこぶりやがって。

「そうだ。ねえ、そろそろ委員長じゃなくて、私の事を名前で呼んでくれたら、考えてあげる」

「名前って、明石?」

「ふふ、下の方でも良いわよ?」

 舌引っこ抜いたろかコラ。

「でも、委員長は委員長って感じなんだよなあ」

「それって、どういう意味かしら」

「いや、そのままの意味だけど」

 そうして先輩たちの会話を盗み聞きしていると、ちょんちょんと肩を叩かれる。

「ね、ね、やっぱりあの二人付き合ってるのかな?」

「……さあ」

「うーん、学校一の女生徒明石つみき二年生と、何かその辺の男が付き合ってた! かあ、イマイチ。面白くなさそう。明石さんってすっごい出来る女って感じだけど、ああいうのに限って変な男捕まえたりするよね」

 私に同意を求めるのはお門違いの筋違いだ。ああクソ忌々しい。つーか近い。近いんだよ明石つみき、それ以上私の先輩に近寄るな! 離れろ! 車道に飛び出して大型のトラックに轢かれて脳漿をぶちまけろ!

「……どこに行くんだろう」

「さあ? どうだろうね、駅前じゃないかな。あそこだったら、まあ、そこそこ時間は潰せそうだし。それより七篠さん、どうしてあの人たちをつけてるの?」

「……それは」

 しまった。どうしよう。こんな事ならきっちり校門で加古川の活動を止めておくべきだった。ううん、ここで私と先輩との仲をバラしてしまうのは嫌だ。嫌過ぎる。しかし、それでは私は見ず知らずの人間をつけ回す変態女のレッテルを貼られてしまうではないか。

「あ、そうだとしたらちょっとショックなんだけど、やっぱり七篠さんも明石さんのファンなのかな?」

 まあ、ここでイエスと答えておくのが無難だろう。しかし、嘘でも明石つみきのファンなどと宣言するのは……っ!

「……趣味」

「しゅ!? え、び、尾行が? 七篠さん、尾行が趣味、なの?」

 おお、良い反応じゃないか。勇気を振り絞った甲斐がある。こうやって引いてくれるなら、明日からは、と言うか今この瞬間から、二度と私に近付かなくなるんじゃなかろうか。

 加古川はガッツポーズを作り、私の肩を再度叩く。

「私と同じだね!」

 うわ、凄く良い顔をしているぞこいつ。

「…………近付かないで」

「ええっ、どうして!?」

「……ストーカーの分際で」

「七篠さんだってそうじゃな……むううう!」

 私は咄嗟に加古川の口を手で塞いだ。やばいやばい。こいつの声は大き過ぎる。さっきからナナシノサーンナナシノサーンって連呼しやがるし、あの二人に気付かれていないだろうか。いや、距離はかなり開けているし、間には他の人間もいる。大丈夫だ。大丈夫。

 加古川から手を離すと、何故かこいつはうっとりとした表情を浮かべていた。

「ああ、七篠さんの手が、私の口に、唇に……」

 私、本当にこれからの学校生活どうしたら良いんだろう。



「ゲームセンターだね」

「……見れば分かる」

 ちくしょうガッデムさのばびっち! 明石つみきめ、先輩とゲームセンターに入るだなんて、許すまじ。マジ許さない。

「制服で堂々と入っちゃってるけど、良いのかな?」

 ん? そう言えば、そうだな。しかも、あの明石つみきがゲームセンター? 少し想像と違うな。奴の委員長っぽい雰囲気が偽物だと私は気付いているが、先輩は気付いていないだろう。と、なれば、明石が自分から化けの皮を剥がすような真似をするか? 否、しない。しない筈だ。してくれた方が有難いのだが、奴はそこまで簡単ではないだろう。

「ねえねえ七篠さん、私たちも中に入ろうよー」

 外からでは店内の様子が確認出来ない。先輩たちの動向を確認するにはそうするのが一番なのだろう。

「退屈だし、一緒にゲームやろうよー」

 そろそろこいつも邪魔になってきたところだ。先輩たちに見付からないように様子を観察して、外に出て行くのを待つ。ゲームセンターで上手く加古川を撒けば完璧だな。



「……うあ」

 店内に足を踏み入れた瞬間、思わず声を漏らしてしまった。私の声はゲームセンターの音に掻き消されてしまったが。

 人生初のゲームセンターである。私は生まれて初めてゲーセンに来てしまったのだ。何だろう、人はいっぱいるんだけど、何をやっているか分からない。あっちでは太鼓を叩いたり、こっちではカードを動かしたり。飛び交う罵声と耳障りな男どもの笑い声。ううん、独特の空気と言うか、雰囲気がある。閉ざされた世界? 何だか、外とは全く違う世界に来てしまったような。

「久しぶりに来たけど、ゲーセンって良くない? 何かこう、一体感を感じると言うかさ」

 何言い出すのこいつ。それより先輩たちだ。どこに行ってしまったのだろう。

「七篠さーん、あっちに新作のゲームがあるんだってさー、ちょっと見に行こうよー!」

「……行けば?」

「え? ごめん、ちょっと聞こえなかったー!」

 すぐ近くにいるというのに、声が全く通らない。私が喋っているんだからゲームの電源を落とせ! お前ら黙れ! くそう、やっぱり私にはこんなところ似合わない。第一、こいつらは何なんだ。ピコピコゲームの何が面白いと言うのだ。所詮画面の中の嘘の世界じゃないか。逃げてるだけだ。こいつら二次元に逃げ込んでやがる。

「ちょっと見に行ってくるねー!」

 やっとうるさい奴から解放された。

 私は先輩を探すべく、しかし先輩たちには見付からないよう慎重に店内を歩く。まあ、こういう騒がしいところだからな、下手を打たない限りはバレないだろう。

「ざけんなよコラァ!」

 ……お? はっはあ、いかにもって声がしたぞ。柄の悪い、若い男の声だ。滅びてしまえ。

 ちらりと、向こうの(恐らく)格闘ゲームが並んだエリアでは、私と同じ学校の制服を着た男子生徒が、店員らしき男に喚き散らしている。何かあったのだろうか。

「あー、ダメダメだね、あの子」

 背中越しに良くないものを感じたので、私は咄嗟に肘鉄を食らわせる。うげえとか聞こえたので振り返ると、思った通りの奴がいたので安心した。

「な、何するの? でも、こういうのって友達同士でやるコミュニケーションって言うか、ああ、ちょっと嬉しいかも」

 加古川きめえ。

「……あれ、何?」

 加古川はお腹を摩りながら口を開く。

「ほら、六時回ってるでしょ。ゲーセンって十六歳未満の奴は出入り禁止になるの。もしかして知らなかった?」

 知らなかった。

「知ってた」

「あれ、多分うちの一年生じゃないのかな」

 それを言うなら、私たちも高校一年生なのだけれど。

「制服でうろついてたんじゃバレバレだよね。私服なら、ほら、老けてる子とかバレないじゃん。だから、まあ、あの子はどっちにしても甘いよねえ」

 なるほど。つまり、あの一年坊主は十六歳未満だと店員にばれてしまったのか。それでいちゃもんを付けている訳である。ん?

「……その理屈で言うなら、私たちは?」

 加古川は唇に指を当てて考える素振りを見せ、そして笑った。

「制服だし、アウトー、かな?」

 早く出なきゃ! いや、けど先輩たちはどうなんだろう。一応は十六歳以上だろうけど、制服を着てたし、んん? 分からなくなってきたぞ。と言うか、先輩はいずこへ。

「とりあえず向こうのゲームをやってから……」



 ゲームセンターの近くにあった自販機で無糖の缶コーヒーを購入する。路地裏に置いてあった自転車のサドルに跨り、タブを開けた。

「ちょ、ちょっと! どうして置いていくの!?」

 涙目の加古川が詰め寄ってくる。ぶっかけてやろうか。今からでも遅くはない。ホットの缶コーヒーを買って、こいつの顔面に。

「私と七篠さんは友達なのにっ、友達を置いていくなんて酷いっ! 私だけ店員に怒られちゃったじゃん!」

 あっそう。

「あ、私もコーヒー飲もうっと。……七篠さん、ブラックなんだ」

「……悪い?」

「ううん、ふふっ、イメージ通りだと思って」

 立ち直りの早い奴だ。加古川は鼻歌を歌いながら自販機まで歩いていく。私は手元の缶を見遣った。イメージ通り、か。ならば目論見は半分程度成功している。そも、私は甘党だ。いや、別に甘いものが好きって訳じゃない。どちらかと言えば強いて言えばの範疇で、である。更に言えば私はブラックのコーヒーが、嫌いだ。こういうのは先輩が好んで飲んでいたように見受けられたので……まあ、真似をしている。無糖ってのが大人の味なのだろうか。いつか理解出来れば良いなあ。

「見てよ七篠さん、この黒と黄色の警戒色! マックスだってマックスっ、これはきっと女の子に警告しているんだよ、飲んだら太っちゃうよ? って! でも飲む、甘くて美味しそう」

 見せびらかされた缶コーヒー。あ、どうせなら私もそっちを飲みたい。

「ところで七篠さん、さっき明石さんを見たよ」

 え、マジで。

「良く分からないんだけど、ゲーセンの店員と仲良さげに話してたよ?」

 店員と? 何故、明石つみきがゲームセンターの店員と話を?

「……今は、どこに?」

「んー? 多分、あっちじゃないのかな」

 加古川が指差したのは、ハンバーガーの看板だった。



 先に言っておくが、私はジャンクフードがあまり好きではない。ジャンクなんて、言わば屑の食べ物ではないか。いや、それとも屑が食べるから屑なのか。ともかく屑を食べるなど、私には信じられない。

 だから、ファストフード、ハンバーガーを食べるのが生まれて初めてなのは、別段恥ずかしい事ではない。むしろ恥ずべきなのは嬉々としてジャンクフードに被り付く屑どもなのである。そしてそもそも店にすら入った事のない私を讃えるべきだ。

「へえ、七篠さんってこういうトコ来るの初めてなんだあ?」

 にやにやとした笑みをぶら下げて、加古川はジンジャーエールに口を付ける。

「初めて……初体験。七篠さんの処女が散る現場に居合わせられるなんて、私は幸せで幸せでしょうがないよー」

 屑が。この場は貴様のような奴にこそ相応しい。

「……出来るなら殺してやりたい」

「七篠さんに殺されるなら本望かも」

 しかし先輩たちは一体何をしているのだろう。

「ゲーセンにファストフード……完全にデートだよね。次はホテルとか行っちゃうんじゃないの」

 そうなったら、とりあえずお前から殺すからな。

「ところで、明石さんを追うのは飽きちゃったの?」

「……?」

「いや、だってあの人ら二階にいるじゃん。でも七篠さんは一階にいる。何が何だか分からなくない?」

「……大体分かる」

「分かるの!?」

 分かるわボケ。明石つみきが対象ならともかく、先輩に関して分からない事などあるものか。ほら、今だってポテトを無理矢理口に押し込まれて笑われている。

「さっすが七篠さんだね。よっ、ストーカーの鑑だね!」

 屈辱である。

「それよりさそれよりさ、どうですか七篠さん、初めての味というのは」

「……ん」と、私はストロベリーシェイクを飲みながら考えるふりをした。

「……悪くないと思う」

「でっしょー!? ほらほら、少しは私に感謝して欲しいなー、私がいなきゃ、七篠さんはここに来なかったんだからさー。具体的に言えば、キスとかして欲しい」

「……特に意味はないけど言っておく。部室での私は本気じゃなかった」

「意味ありげだよ!?」

 ちなみに変身を二回残していたり、体力が十パーセントを切るとステータスが上がったり、十三キロメートル伸びたりする。

「あはは、冗談だよ。そう冗談、ホントに冗談だから気にしないで良いよ」

 ならば舌なめずりしてこちらをガン見するのはやめてくれ。全く手に負えない。こいつ殴っても喜ぶし、殺しても喜びそうだ。

「……ん、来る」

「え、何? せい――」

 私は加古川の口にハンバーガーの包み紙を押し込み、鼻の穴にポテトを差し込む。

「……先輩たちが下りてくる」

 くそ油断してた。早くどこかに逃げなければ。

「ほぉひふぇ」

 は?

「……実験動物が何か喋った」

 奇妙な物体エックスは鼻からポテトを噴出し、口からは涎に塗れた包み紙を吐き出した。

「あー、びっくりしたけど気持ち良かった。……あ、そうだ。だから、トイレに隠れるの!」

「……早く言ってよ」

 トレイやらはそのままで立ち上がり、私と加古川はトイレのドアを開けて、二人して中に入る。

「はぁはあ、やっと二人きりになれたね歩ぅ……」

「本気で殺すぞ」



 店内から先輩たちの気が薄れていったのを感じて、私たちはトイレから出た。店員に訝しげな視線を注がれたので睨み返しておく。

「次はどこに行ったんだろうね」

 さっぱりだ。先輩の行動パターンならともかく、あの人を振り回しているであろう明石つみきの行きそうな場所など知るものか。

「んー、この時間だしさ、まだ帰らないと思うよ。私たちも適当にぶらついてみようよ」

 一理ある、か? ここから動かなきゃ永遠に先輩を見つけられないし。

「……どこに行けば良いか分からない。あなたに任せる」

「ホントにっ? じゃ、ほら、早速ホテルへ行こうよ! 安心して私に全てを委ねて、そして私だけを感じて!」

 やっぱり一人で探そう。アミューズメント的なプレイスを回ってけばいつか見つかるだろう。

「あっはは、七篠さんたら怯えちゃってー。冗談ったら冗談だってば、冗談だよ、冗談」

 ならばぎらついた視線をよそに移せ。

「家と学校の往復しか知らない七篠さん、駅前なら私が案内するよー」

 もしかしてだけど、こいつは私に喧嘩を売っているのだろうか。



 駅前の全ての施設に足を伸ばしたかもしれない。それでも先輩たちは見つからなかった。

「あー楽しかった。いやあ、素の自分を出して、こんなに遊んだのは久しぶり。ううん、初めてかも」

 あーそりゃよござんすね。くそう、どこに行ったんだろ。運悪くすれ違いを繰り返していたのか、もしかしてとっくに解散しちゃってたのかも。

「私たちも帰ろっか」

「……いや、まだ……」

 せめて先輩の無事を確かめなければ……!

「ん、あ、ほら、アレってそうじゃない?」

 加古川が人込みを指差す。有象無象の有形無形なクソどもの中に、輝いて見える方がいた。いてくれた。……くっ、くっくっ、もう逃がさない。

「……でも、どこに行くんだろう」

「今度こそラブホじゃないの? ねーねー私たちも行こうよー、絶対に悪い風にはしないからさー」

 キッと睨んだら加古川は黙った。うるさい黙れ気が散る。一瞬の油断が命取り。

 と、先輩たちが路地裏に入っていった。

「……あれは?」

「ホテルまでの近道だったっけ。多分」

 どうして加古川がそんな事を知っているのかはどうでも良い。そして、人間とは自分の頭だけで処理出来ない、許容不可能な直面にぶち当たると、意外にも冷静さを保てるらしい。……問題なのは、今が七篠歩の絶対危機である事だ。このままでは先輩の貞操が奪われてしまう。阻止だ。こうなったらなりふり構っていられない。先輩の貞操は、明石つみきを殺してでも奪い取る。

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