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昼休み終了五分前



 振り下ろされた拳は大きかった。確かに、当たってしまえばただでは済まないだろう。シホとやらが言った通り、私のような小柄な女子にとっては恐ろしいものである。いや、流石ゴリラと言われているだけはあった。何を食べたらこんなに大きくなれるのだろう。ここまで極端な体型にはなりたくないが、ほんのちょっぴり羨ましい。

「え?」

 痛いだろう。当たったら怪我するかも。確かに、このゴリラはそんじょそこらの女子ではないっつーか女ではない。しかし、しかしである。

「島ちゃん何やってんのー?」

 あまりにも、遅過ぎるのではないか?

「ち、ちがっ、こいつ……!」

 どんなに重く、強い一撃も速さの前では無意味である。つまり、私には一生当たらない。

「……今、殴ろうとした?」

「このチビっ」

 喧嘩と言うのはあまり好きではない。怪我するとかしないとかではなく、その後が面倒だからである。そもそも、喧嘩する相手に恵まれた経験がないのだ。先輩はああいう人だし、争いごとに発展した事はない。しかし、こうやって売られたからには喧嘩を買うのもやぶさかではないな。降り掛かる火の粉を払わなきゃ、火傷をするのはこっちなのだから。ふふふ、しかも、事後のフォローもばっちりである。何故なら、先に仕掛けたのは向こうなのだから。これは言わば正当防衛である。だよね?

 だからっ。

「島ちゃん、もう良いよ。やっちゃってよ」

「あははは、シホちゃんドラマみたい」

「私お腹空いたー」

 黙れ鳥ども。次はお前らの番だと言うのを忘れるなよ。

「さっさと土下座しなよ」

 ぶおんと風を切る音。

 強く、重く、遅い攻撃。

 身を低くしてゴリラの拳を避け、一息に懐に飛び込む。その、驚いた顔は一層不細工だった。

 狙いは、腹だ。急所は狙わない。一撃で失神などと生易しい真似はしない。くくく、ボディーブローは地獄の苦しみだと聞く。喰らえよゴリラ。

「……ブース」

「がっ……!」

 ブッサイクな声吐きやがって。

 こちらに倒れてくるゴリラの顎を蹴っ飛ばしてロッカーにぶち当ててやる。衝突音が長く尾を引いて響き、女とは思えない巨体がゆっくりと沈んでいった。

 その間、残った三人の女は固まったままである。まあ、無理もないか。どうやら? あのゴリラが交渉とやらの切り札だったらしいし。さてさて、ポーカーフェイスとは程遠い表情をしていらっしゃるようだが、切るべきカードはまだ残っているのだろうか。まだ続ける気なのだろうか。どちらにせよ、私は切られた札など関係なく、場ごと蹴り飛ばして殴り潰すだけなのだけれど。

「し、島ちゃん……?」

 恐る恐ると言った具合に声を掛ける取り巻きその一。

 ドアからは邪魔者がいなくなったのだから、ここで帰ってしまっても構わない。だけど、そう簡単には逃がさない。こんな、誰も来ない場所に呼んだのだ。その理由、その身を以って証明してもらおうではないか。有り体に言えばやりたい放題。

「……酷い」

 念には念を入れて呟いておく。

「はっ?」

「あ、あんた、何を……?」

 おい、指を差すな。欧米では大変失礼な事にあたるのだと先輩が言っていたぞ。

「……四人がかりで一人を襲うなんて、どう考えても酷い話」

「はっ、はっ、はあああ!?」

「あんた島ちゃんボコっといてそりゃあないでしょ!」

「この子頭おかしいよ!」

 御託は良いから掛かって来い。などとは言うまい。もっと怖がれ。もっと焦れ。……そしてもう二度と、私に近付くな。

 吠える犬どもをじっと眺めていると、取り巻きその一が動く。こちらを警戒しながら少しずつ後退り、ダンボールの箱からダンベルを拾い上げた。

「ちょ、ちょっと、それはやり過ぎじゃ……」

「でも、私たち舐められてるんだよ? こっ、これぐらいやんなきゃ」

 確か、あのダンベルの重さは二キロだったか? ふん、日頃鍛えていないからだろう。取り巻きの右腕は既に震えている。それとも、まさかここまでしておいて人を殴った事がないから震えているのだろうか。

「……来ないの?」

 瞬間、ダンベルを投げ付けられる。勿論、当たる訳がない。外れたダンベルはドアを凹ませる勢いで激突して重い音を立てた。私は右足で踏み込み、一番近くにいた取り巻きその二の腹を蹴り上げる。次いで、逃げようとして背中を向けた取り巻きその一の足を払った。こんな狭いところから、一体どこに行こうと言うのかね。

「ひっ、ああっ」

 見上げる視線は、まるで森の中で熊と出会ったようなそれである。人を何だと思っているのだ。

「あ――っ」

 勿論制裁。手加減はしておいたが、踵落としは実に痛かろう。

 さて、一瞬で静かになった訳だけど。

「……あなたは何もしないの?」

「う、え、あ?」

 ベンチに座ったままのシホに目を向けると、彼女は呆けた顔で自分を指差した。涙を浮かべたその表情、サディストが見たら泣いて喜ぶかもしれない。ああ、明石つみきとか。奴にとってはスイーツのように甘いものに見えるのかも。本当、胸糞の悪い話ではあるが。

「こ、殺したの……?」

 だから、人を何だと思っているのだ。殺す筈ないし、こんな可愛い少女が人を殺せるほどの力を持っている訳ないだろう。ちょっと蹴ったりしただけだ。ほら、良く見ろ良く聞け。短く痙攣したり呻いたりでちゃんと生きているじゃないか。

 私は溜め息を吐き、

「あああああああああっ!」

 後ろを見ないで標的の腹を捉える。

 流石に一発、二発じゃ倒れないとは思っていたけど。いやいや、伊達にゴリラと渾名されてはいない。中々にタフではないか。尤も、そのでかい図体で奇襲とは片腹痛い。

「しっ、島ちゃんダメっ!」

「おおおおおおおおおっ!」

 野太い声である。一種の錯乱、興奮状態に陥っていて痛みをしっかりと感じていないのか? ゴリラは尚も立ち上がり、私に向かって突進してくる。

 一発、二発じゃ倒れない。ならば話は簡単だ。倒れるまで、黙るまで、私は蹴るのを止めない。それだけだ。狭い部室で暴れ狂うそれは脅威である。これ以上調子に乗って部屋を壊されるのも癪だし。

 まずは身を低くして、顎に蹴りを放つ。精々舌を噛んでくれるなよ。

「お、お願い!」

 シホが何か叫んでいるが、無視。

 私の力では一撃の下、意識を刈り取るまでいかない。なので追撃。くの字に折れるゴリラの腹に膝蹴りを三発打ち込み、股を潜ってでかいケツを蹴り上げる。

「もう何もしないからっ!」

 尻に足を乗せて低く飛ぶ。ゴリラの背中に膝を叩き付けても、こいつはまだ倒れない。ならばと、背を踏み台代わりにもう一度低く飛び、後頭部に両膝を叩き付けてやった。それだけじゃ、こいつは倒れないだろう。だから、髪の毛を両手で鷲掴み、全体重を掛けてやる。

「……落ちろ」

 ゴリラはもうふらふらだし、膝はがくがくだ。さしたる抵抗も見せず、彼女は顔面から床に突っ伏す。ずしんと鈍い音。重い感触が部室に伝わっていった。……やり過ぎたかな。まあ、元から大した顔ではなかったし問題はないだろう。

「あ、し、島ちゃん……」

「……先輩が言っていた」

「ひっ……」

 私はスカートの埃を払いながら立ち上がり、シホを強く見据える。

「……日頃良い格好の若者が馬鹿にする相手に逆に馬鹿にされて? どのツラを下げて生きているのだ、と」

 勿論、私の先輩はそんなブシドーでサムラァイな事言わないのだけれど。

「たっ、助けて」

「……なら、あなたには言うべき事がある筈」

「あ、の、もっ、もうしない! 何もしないから! な、七篠さんには何もしないから!」

 駄目だな。

「……それだけ?」

「え、だ、だって……」

 こいつは、こいつらはここまでされた理由を分かっていないのか?

「ご、ごめん、なさい。すっ、すみませんでした」

 頭を下げるシホ。だが、その対象は私だけでは足らない。

「……二度と、他人を馬鹿にしないと誓って」

「え?」

「誓って」

 今後、私との力関係が明確になる事を躊躇したのだろう。シホは何度も俯いたり、こちらの様子を窺ったりしていた。だが、最終的には小さく頷き、蚊の鳴くような声で肯定の意を告げる。手間取らせやがって。

 では、帰るとしよう。お腹超減ったし。次は容赦しないとか言おうとしたけど、これじゃあただの悪役だし、何より本人たちが一番良く分かっていただろう。

「あっ、あのっ……」

「……何?」

 昼休みが終わってしまうと言うのに、シホはたっぷりと間を取った後、

「あ、あの二人は、七篠さんの友達なの?」

 そんな、そんな、くだらない事を聞いた。



 部室から出て、部室棟を歩いていく。やばい、もう昼休みが終わってしまう。急いで学食に行かなければ。

 そう思って歩幅を広げた時である。

「……ちっ」

 でか眼鏡、陸上部の現顧問である河原が姿を覗かせたのは。

「七篠、昼休みが終わってしまうぞ。早く教室に戻るんだな」

「……はい」

 こいつ、何を考えている? どうして、ここにいるのだ? まずい。まずいぞ。もしも、私が部室でやっていた事がばれたら反省文、謹慎……退学。たっ、退学はまずいぞ。先輩と会える確率が減っちゃうし、そもそも、そんな不良と会いたいとも思ってくれなくなっちゃう。やばい。これは死活問題だ。今は私の人生を左右する場面なのかもしれない。

「ところで、先ほど何か凄まじい物音を聞いたのだが」

「……気のせいでは? 先を急ぎますから、これで」

「七篠、スカートに血が付いているぞ」

「付いていません」

 まさか、聞かれていた? 見られていた? 知られているのか?

 いや、確実に聞かれている。見られていた。河原は事態のある程度を把握している。その上で鎌を掛けているのだ。白を切り続けられるのも時間の問題だろう。こいつは、私が何をしていたのか分かっているのだ。

「そうか、私の気のせいだったか」

 ……消すしかない。

 私の蛮行を知られたからには生かしておけない。誰かにチクられる前にここで、こいつの息の根を――。

「ん? そう構えるな。七篠、心配しなくても良い。私は既に事態を把握している。そんな気がしているんだからな」

 河原は眼鏡の位置を指で押し上げ、不敵に微笑む。

「実はな、昼休みが始まってすぐ、私のところに加古川が部室の鍵を借りたいと申し出ていてな」

「……カコガワ?」

「呆れたな。七篠、同じ部活で、同じクラスの奴の名前ぐらい知っておけ」

 だって興味がないんだもん。ああ、でも、加古川ってもしかして、シホと呼ばれていた女の事だろうか。

「その加古川が部室に忘れ物をしたから鍵を貸してくれ、と。高が忘れ物に三人もの人間を引き連れて行くのはどうかと思ったが、女子の習性なのだから仕方がない。私も特に怪しまずにいたのだが、お前が部室棟の方へ向かうのを見掛けてな」

「……付けて来たと?」

「真実なのだが、まあ、そう睨むな。……部室の近くまで来たところで物音を聞いた。そうだな、例えば、大きな人間が何かにぶつかって倒れるような、そんな音を聞いた」

 こいつ、よくも抜け抜けと。

「それから、大きな声も聞こえたよ。言い争う、と言うより一方的にまくし立てるような、そんな声だ。七篠、どう思う?」

「……質問の意味が分かりません」

「お前なら、そんな音を聞いてどう思う? これは何かあると、そう思うのが自然ではないか?」

 逃げられないな、これは。

「四人の人間がいるであろう部屋に、か弱い女子がひとりで入り、しばらくしてから激しい物音や声が聞こえてきた。どんなに鈍い者でもある程度の見当は付くだろう。尤も、出てきたのが無傷のか弱い女子だとは予想出来ないだろうがな」

「……先生はそのか弱い女子に謹慎、あるいは退学の処分を下すおつもりですか?」

「いや? そんなつもりはないぞ。あくまで、今の話は私の勝手な推論だ。妄想と言っても構わん。私は物音を聞いただけで、実際に中を覗いた訳ではない。何が行われていたのかを知らないのだからな」

 何を言っているんだ? ここまで状況証拠が揃っていて、尚且つ部室には今も倒れたままであろうゴリラや、事態を把握している加古川が残っている。河原が話を聞けば、私の罪は一発で露見するだろう。

「仮定の話を続けよう。私の読みが当たっていれば、四人の女子は七篠に何か恨みの一つでもあったのだろうな。そこであらぬ因縁を吹っ掛け、喧嘩を売った。彼女らにとってはお前が喧嘩を買おうが、泣いて謝ろうがそのどちらでも構わなかった筈だ」

 本当はどこかで見てたんじゃないのかってぐらい当たってやがる。

「さて、あの音からして七篠は喧嘩を買ったのだろうな。プライドの高いお前の事だ。他者に頭を下げるなど想像出来ん。そして、勝った。無傷で四人を退けるとは、いや、恐れ入る。天晴れだ。しかし、ここで問題だ。はて、さて、仮に今の話が真実だとして、私はどうするべきなのだろうな」

「……今日はとてもお喋りなんですね」

「気にするな。……善悪を区別して、罪と罰を選別するのは非常に難しい。そうは思わんか? この場合、四人で一人をどうにかしようとした方が悪いのか、それとも、一人で四人を返り討ちにした方が悪いのか。どちらだろうな。七篠、君が無傷である以上、暴力を振るわれたとは言い難い。何せ証言者は向こうが四人だ。『振っていません。一方的にやられました』と口を揃って言われれば数的に不利。違うか?」

 違わない。

「難しいな、教師と言うのも」

「……そうですか」

 ここまで気付かれているのなら私からは何も言うまい。何を言ったところで聞く耳を持ってもらえないだろうし。

 終わった、な。うん、終わってしまった。軽い気持ちでした。秘書がやりました。善処します。うー。あー。駄目だ。まるで駄目である。私がやったのは立派な暴力行為。不良の成す事問題事件だ。処罰は免れないだろう。反省文なら泣いて喜んでやっても良い。謹慎ならまだマシだ。退学なら、どうしよう。本当に殺すか。

「七篠、走るのは好きか?」

「………………は?」

「走るのは好きかと聞いた」

「……嫌いではないですが」

 大好きっ! って訳でもない。と言うか、何? この状況で尋ねるような事か?

「そうか。なら、陸上部も好きだな?」

 その問いには頷きかねる。走る。その行為自体はまだしも、部活となれば話は別だ。朝、放課後と練習に時間が割かれてしまうし、団体行動は吐き気がするほど嫌いなのである。……第一、辞めるし。目的を達成した今、陸上部なんか先輩との逢瀬を邪魔する障害でしかならない。

「……好きではないです」

「今日の放課後練習は参加するか?」

「……したくないです」

「では、退学だな」

 くっ、この……って、あれ? こいつ、どうして部活がどうのと聞いてきたのだ? 私はもはや犯罪者。部に属するだけで汚点ではないか。まさか。

「……交換条件、ですか。あなた本当に教師ですか?」

「教師とて人間だ。情に駆られて動く事もある」

 河原は断言をしない。曖昧に、言外にそうだと言っている。こいつめ、私の想像以上に食えない奴じゃないか。

 そこまで執着する理由は読めないが、どうやらこいつは私が陸上部員であるのを望んでいるらしい。部活を辞めれば退学。続ければお咎めなし。が、この条件を呑んでしまえば私はこの先学校を卒業するまで陸上奴隷となるだろう。辞めたいと言えばこの話を持ち出してくるに違いない。ただでさえ成績が良くないのに、内申をこれ以上悪くされたら……ああ、でもアレか。結婚して家庭に入って養ってもらえば良いかも。せっ、先輩とのスイートライフ!

「……お好きにどうぞ。私は圧政に屈しません」

「何が圧政か。妥協どころか七篠に有利な条件ではないか。良く考えろ、その足を活かせるのは陸上しかない。いや、陸上がベストであって他競技でも充分記録を作れるとは思うが。お前の身体能力ならオリンピックにも出場出来る。金メダルでオセロが出来るくらいに活躍しうる」

 私はアレか、腕に銃を仕込んだ海賊か。

「……メダルなんていりません。名誉も、名声も。私には興味のないものですから」

「じゃあ退学だな」

「…………脅しているのですか」

「物騒な事を言うものではない。私はただ、七篠が部活に参加するかしないかを聞いているだけだ。違うか?」

 違うわい。違うけど……違うんだよ。

「どうする?」

 考えろ、考えろ超可愛い美少女アスリート先輩の未来の猥婦、じゃない、ワイフ七篠歩。ここで河原の要求を突っ撥ねるのは簡単だ。しかし、断れば私の人生がやばい。宇宙やばい。ああ、だけど要求を呑んだらもうサボれない。好き勝手出来ない。

「……あの」

「なんだ?」

 リスクとリターンを考えた結果、私は部活を続けるのを承服するしかない。だって、退学とか怖いし。お母さん泣くかもしんないし、先輩に嫌われるだろうし。

「……たまには休んでも良いですか?」

 ただ、明日ぐらいは休んでも良いよね?



 助かった。生きた心地がしなかった。と言うか、今でも心臓は早鐘を打っている。河原はああ言っていたが、あの四人がごちゃごちゃ言い出したら面倒じゃないか。本当に部活に行って走ってるだけで不問にしてくれるのだろうか。

『七篠』

 しかし、しかしである。

『私は教師だ。しかしだな、私はお前と他の生徒を秤に掛ける事が可能なんだ。いや、そうせざるを得ないと言うべきか。そうしろと言われているようで……いや、忘れろ』

 最後に河原が言っていた言葉を信じよう。何だか分からないが、私は贔屓されてるみたいなんだから。うんうん、足が速くて良かった。人間、取り柄ってのはあっても邪魔にはならないな。

 が、どうやらご飯は食べられないらしかった。学食のおばちゃんたちは既に撤退準備を始めている。当然だ。昼休みはもう五分も残っていないのだから。

 どうして、私がこんな目に遭わなきゃいけないのだろう。不幸だ。

「……はあ、皆死ねば良いのに」

「おっ、いたいたー! さくらー、七篠さんここにいたよー!」

 ん? 誰だ、私の許可なく私の名前を呼ぶのは。

「えっ? 本当? あ、本当だ」

 所在無く突っ立っていた私。学食に現れる二対の眼鏡。夙川と別所だ。

「……どうしたの?」

「くっ、どうしたのじゃないって」

 別所は頭を押さえて、近くにあった椅子に座り込む。

「七篠さんが先に行ってって言ったじゃん。私たち、ずっと待ってたんだから。しかも全然来ないからこっちから探しに行ってたの。ああ、疲れた。七篠さん、ジュースおごって」

 死んでも嫌だ。

「あ、はは。気にしないでね? それより、はい」

「…………え?」

 夙川が差し出したのは……菓子パン二つ。あんぱんとカレーパンである。

「あ、もしかして、嫌い、だった? ごめんね、七篠さんってどんなのが好きか分からなくて。その二つだったらアンパイかなあ、なんて」

「……あ、別に、嫌いじゃない」

「そ? 良かった。時間ないけど、何も食べられないよりマシだと思うよ」

 にっこりと笑う夙川。その様子を見て、小さく微笑む別所。

「……お金、払うから」

「ええ? い、良いようそんなの。それよりほら、早く食べて教室に戻ろ?」

「そうそう。さくらって結構お金持ちなんだし、パンの代金ぐらい気にしなくて良いよー。あ、そうだ。私飲み物買ってくる。七篠さん、何が良い? あ、最近入荷した味噌煮込みジュースってのはどうかな?」

「……何を味噌で煮込んでいるの?」

「さあ?」

 誰が飲むか。飲んでいる奴がいるのか。

「ところでさあ」

「……?」

 別所が嫌らしい笑みを浮かべる。おかしいな、何か嫌な予感がする。

「七篠さん、何か言う事があるんじゃないのー?」

「ちょ、ちょっと姫?」

「えー? だってさー、私たち待ちぼうけ喰らったしー、学校中割と走り回されたしー、何か言葉を掛けてくれたって良いんじゃないのかなーって。さくらだってそうは思わない?」

「わ、私は、その、別に」

 はっはっは。この野郎、この馬鹿眼鏡。よりにもよってこの私から労いの言葉を吐かせようと? あるいは謝罪をしろと言っているのか?

「……う」

 二人に見つめられて、私は思わず押し黙ってしまう。

 つい、逃げ場を探して視線をさ迷わせた。その先に受け取った、あ、いや、受け取ってしまった菓子パンが見えてしまう。う、うう。ち、畜生。きょ、今日だけだ。今日だけだぞ!?

「……あ、あり、ありが、とぅ……」

 う、ぐ。ま、まあ、今日のところは私に非があるのは否めない。力だけでは、言葉だけでは解決出来ない事もある。何故だがはしゃぐ眼鏡どもを見る限り、この場はどうも言葉で解決出来る場面だったらしい。

 が、何だか腹が立ったので別所は殴っておいた。

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