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昼休み



 携帯電話のアラームが鳴った五分後に目が覚める。いつもの事だ。

 私はゆっくりと身を起こし、布団を跳ね除けてベッドから立ち上がる。何とはなしに部屋をぐるりと見渡してみた。

 何もない。味気ない。面白みがない。ついでに言うなら色気がない。

「あゆむー、朝練行かないのー!?」

「きょ、今日も休むー!」



 顔を洗って、制服に袖を通してリビングに行く。

「お父さん、当分の間帰ってこられないんだってー。寂しいよねー」

 そうか、帰ってこないのか。まあ、いつも通りだし、別段珍しい事ではない。お母さんが家の方に集中している分、お父さんはお外でお仕事。ある意味、普通の家族に戻ったのかもしれない。

「……別に」

「まったまたー、歩ったら照れちゃってー」

 本心である。



 八時五分。

 朝の子供劇場、私が産まれる前のアニメのオープニングを見てから、鞄の中身を確認する。大丈夫、全部入ってる。忘れ物をしてしまうと、もうどうしようもないから前日の晩と朝は必死になる。

 ……行きたくないなあ。

 けど、悩むだけ悩んで結局家を出る。いつもの事だ。

 靴を履き、玄関の鏡で身嗜みを確認してドアを開ける。今日はちょっと曇ってるな。

「……いってきます」

「知らない人に付いて行っちゃダメよー」

 子供じゃないってば。



 階段を下り切り、タイミングを見計らう。目指すはあの人、狙うは背中、出来れば隣。

 ああ、今日も素敵です。後ろ姿だけで私を殺す気なのですかあなたは。話し掛けたいなあ、どうしようかなあ。

「あれ、七篠じゃないか」

「……おはようございます」

 ぎょっ、ギョギョー僥倖! まさか先輩から話し掛けてきてくれるだなんて!

「……気配は消していたんですけれどね」

「忍者かお前は」

「お望みとあらば分身でもしてみせましょうか」

「流石に無理だろ。……いや、何か出来そうだな」

 嫌だなあ、分身なんて高等技術、今の私にはまだ無理です。

「……それより先輩、遊びに行く約束は覚えていますか?」

「鳥じゃないんだから。ちゃんと覚えているよ」

 約束を破らない、期待を裏切らない素晴らしい方である。

「明日の放課後、ゲームセンターに行くんだよな」

 先輩と一緒ならゲームセンターだろうがホームセンターだろうが何だって構いません。

「……ええ、仕方ないから付き合ってあげます」

「はいはいっと。それじゃあ、また後でな」



 教室に着くと私の席に眼鏡が座っていた。どうやら、こいつは朝から死にたいらしい。

「ん、あっ、あはは、ごめんね七篠さん。椅子借りてたよー」

 へらへらと笑うのはメガネーズの片割れ、別所だ。

「もう、ちゃんと謝りなよ。七篠さん、ごめんね。それと、おはよう」

 もう片方の眼鏡は夙川。正直、区別が付かない。外国人の顔が全て同じに見えるような感じなのだ。せめてどっちか眼鏡外せ。

「……おはよう」

 別所が椅子から退き、私はどっかりと腰を下ろした。

「七篠さん、部活だったの?」

「……今日は違う」

 正確に言うなら今日も、なのだが。

「陸上部ってやっぱりしんどいの? ほら、顧問があの河原先生じゃない?」

「……別に」

 ただ、あのデカ眼鏡にはかなり付き纏われていてウザい。練習に出ようが出まいが私の勝手だろうに。

「ねえねえ、一日何キロぐらい走るの?」

 ……ん?

 今、何か視線を感じたような。いや、確かに見ていた。誰かが、私を見ていた。

「あの、どうしたの?」

「……何でもない」



 一時間目、二時間目、三時間目と過ぎていく。ああ、遅い。あまりにも待ち遠しい。明日の放課後まで長過ぎる。

「さくらー、次何だったっけ?」

「選択。姫は世界史だったよね?」

「ああー、そうだ。わざわざあっちの棟まで行かなきゃなんないんだった……」

 喋るのは構わないが、わざわざ私の近くで喋るな。

「七篠さんは世界史?」

「……うん」

 しかもこっちに話を振るなっつーの。

「ん、残念。それじゃあ、またお昼休みにね」

「…………は?」

 夙川は小首を傾げている。いやいや、じゃなくて、どうして私がお前らと昼休みを過ごさなくちゃならないのだ。

「安心して、私がきっちり連れてくから。と言うか、結局教室に戻ってくるからそこを拉致れば良いんだし」

「……いや、私は……」

「ほらほら早くしなきゃ遅刻しちゃうよーっ、じゃねさくら、また後で!」

「うん、また後で」

 私の意志はどこにいったのだ。



 四時間目が終わると、すぐさま別所がやってきた。振り切っても良かったのだが、まあ、今日は気分が良い。何せふんふふーん明日の放課後は先輩とデートなのだ。少しぐらいの無礼は許してやろう。

 教室に戻ると、ほっとしたような顔の夙川が私たちを迎えた。

「はーい、七篠歩さん一丁上がり」

 人を店屋物みたいに言いやがって。

「それじゃあ学食に行こっか」

 そこに私が含まれている意味が分からないが、お腹が減っていたので訂正も拒否もしないでおく。隣に誰がいようが、ご飯が食べられればそれで構わない。欲を言うなら先輩と一緒なのがベストなんだけれど。

「ほらー、早く行かなきゃ席が埋まっちゃうよ」

「……待って」

 埋まっているなら退かせば済む。食事をする場所は戦場に等しいのだ。ちんたらしている方が悪い。

「どうしたの?」

「……いや、別に」

 教科書を机の中にしまっていると、見慣れないものを見つけた。……手紙である。と言うよりはメモ用紙だ。淡いピンクの、小さな紙切れ。

 何だこれ? こんなもの、私は持っていない。と、なれば、やはり誰かが私の机に入れておいたのだろう。


『昼休み 陸上部部室』


 メモには丸みのない、無機質な文字があった。少しわざとらしいぐらいに。

 自分でも愚かしいとは思う考えだが、ラブレターにしてはあまりにも簡素だ。第一、もし本当にそうだとしても無視するけど。破りまくって黒板に張り出しておくけど。……四時間目が始まる前までこんなものなかった。教科書の一番上にメモがあったのだから、多分、四時間目の移動教室を利用して誰かが仕込んだのだろう。

 誰か、である。名前が書いていないのだから仕方ない。昼休みってのも今日の事だろう。つまり、匿名希望さんが、私を部室に呼び出したがっている。は、なるほど。どうやら果たし状めいたものらしい。

「な、七篠さん?」

 無視するか? いや、難しいな。私にこんなものを送り付けるような奴が相手……明石つみき。いや、奴ならもっと正々堂々と裏をかくだろう。私相手にこんな陳腐で姑息な手段を選択するとは思えない。

 陸上部の部室を使える人間が差出人と考えるのが筋だな。あ、もしかして河原か? いや、いやいや、もっと有り得ないな。うーん、だとしたら部員っぽいぞ。どうしよう、行く気がなくなってきたなあ。だが、放っておくのも気分が悪い。何ならそいつの顔だけ見てすぐに帰れば良いんだし。

「……先に行ってて」

「え、あ、ちょっとどうしたの?」

「おっきい方なのー!?」

 別所、後で絶対に殴る。



 昼休みの部室棟には人気がなかった。皆、食堂や各々の教室でランチの真っ最中なのだろう。こんな、湿っぽくて汗の臭いが染み付いたようなところに来たがる物好きもそうはいない。

 誰が物好きか。私は呼び出されただけなのである。

「……ちっ」

 貴重な昼休みを邪魔しやがって。どこのどいつだ絶対ぶん殴る。

 部室棟の一番奥、メモに書かれた指定の場所、即ち陸上部部室に到着。気を遣う必要は皆無だ。ノックをせずにいきなりドアを開けてやる。

「へえー?」

「うわ、マジに来たじゃんよ」

 と、広くはない部室には四人の女子生徒がいた。でかいのと、普通サイズが三人。

「なっなしのさーん、来るとは思ってなかったんだけど」

 だったら呼ぶな。

 と言うか、誰だ、こいつら。

「……誰?」

 思わず口に出してしまった。すると、ベンチに座っていた女が固まってしまう。

「それ、冗談っすよね? いや、やっぱ七篠さんきっついわー、色んな意味で」

「あはっ、シホちゃんだっさーい」

 シホと呼ばれた女は苛立たしげに舌打ちする。

「……一応、私だって陸上部なんだけど。もう良い、そういう人だからね、あんたは」

 さん付けから、あんた呼ばわりね。

「ねえ」

 低っ。重低音がしたからびっくりしちゃった。

 ずしりと、でかい女がシホに話し掛ける。……あ、こいつ見た事あるっつーか、知ってるぞ。クラスは別だけど、男子の間でゴリラーマンとかストッパーブス島って呼ばれてる奴じゃないか。

「この子って、マジにこうなの? 同じクラスの子の顔が分かんないなんて有り得なくない? キャラ作ってるわけ?」

 作ってない。もし作っててもお前のキャラには負けるけどな。生きてるだけで面白いとか、もはや才能とか努力のレベルを凌駕してる。

「いや、キャラとかじゃなくてマジでこれなの。だっから呼んだんだけどね」

 シホ……ああ、こいつ、そういや昨日見たかもしんないな。私の課したグラウンド二百周を途中で投げ出して河原に怒られてたヘタレじゃん。

 残り二人は、駄目だ。分からない。本当にもうどうしようもないくらい没個性。どこのどの学校にもいるただの取り巻き、可愛くもないしそんなに不細工でもない、キングオブノーマル。

「……ちっ」

 さて、さて、状況を整理しようか。

 私は部室に呼び出された。部室には四人の女がいた。シホ、ブス島、女その一、二の四人。

 ……ブス島はさり気なくドアの近くに陣取っている。逃がすつもりがないのだろう。何故か?

「なわけでさあ、ちょーっと話があるんだよね」

 シホがこちらに向き直り、口の端をつり上げる。

「大人しくしてたらすぐ済むから。……あのさ、七篠さんって、かなーり調子に乗ってない?」

「……乗ってない」

 何かと思えば、やはりそういう事か。くだらない。私はいつだっていつも通りなのだ。他人にどうこう文句を付けられる謂われはない。

「そういうトコが乗ってるって言うの。あのさ、正直目障りなんだよね」

「七篠さんって友達いないし暗いし何考えてるか分からないしー」

「そのくせ私は独りでも大丈夫なのーみたいな感じ?」

 シホに便乗して取り巻きが囀りやがる。私も人の事は言えないが、本人目の前にしてよくもまあ口が回るものだ。その頭の仕上がり具合には素直に感心しておこう。

「……用がないなら帰りたいんだけど」

「あるっつーの! あんたさあ、昨日からかなーり好き勝手やってくれてるじゃない。人よりちょっと足が早いからってこっち見下してくれちゃってさあ!」

「シホちゃんこわーい」

「頭空っぽだから足が早いのは仕方ないよー」

 はっ、こいつ河原に怒られたのを八つ当たりしたいだけじゃないのか。

「エースだ何だってちやほやされて調子に乗らないでよって話」

 ふん、馬鹿が。付き合っている暇はない。

「……そ、今日から気を付ける」

 言って、私はドアノブに手を伸ばす。が、伸ばした手首を思い切り強く握られた。

「……離して」

 殺すぞゴリラ。

「逃げんなよ。ここに呼ばれた意味分かってんでしょ。昼休みに、わざわざこんなところに呼ばれた理由をさ」

「逆らわない方が良いよー? 島ちゃん超強いから。あんたみたいなちっこい奴なら、一分も掛からないでボコボコになっちゃうよー」

 だからどうした。

 しばらくの間ゴリラを睨み付けていると、

「……良いよ。島ちゃん、一旦離してやって。話がしたいからさあ」

 シホが先に折れた。

 ブス島は尚もドア前に陣取っているけれど。

「ま、状況は分かってるよね? 七篠さんだって私らを敵には回したくないでしょ」

 味方にも回したくはない。

「正直こんなの言いたくないんだけどさ、私らに目ぇ付けられたらマジ終わりだよ? まだ高校生やり始めたばっかじゃん。一学期も終わらない内にぐっちゃぐちゃに潰されたくないっしょ? だからさあ、交渉しようよ、交渉」

 交渉とは。これはまた随分と笑わせてくれる。四対一で散々脅しておいて交渉だと? ふざけるなよ、これでは脅迫だ。私から持ち掛けられるものは何一つない。

「まずさ、謝ってくれない? 今まで調子乗っててごめんなさいって。とりあえず土下座で。そうすればさ、私らのグループに入れてあげても良いよ」

 ああ?

「ぶっちゃけちゃいなよ、やっぱり独りは寂しいですって。したら、まあ、仲間にしてやっても良いかな。七篠さんって素材は悪くないんだし。私らといてもそんなに浮かないと思うよ」

「あー、分かる。磨けば光るってタイプだよね」

「まずガッツリ色抜いてー、そんでー」

 ……そうか。そうかそうか。

「でもさー、もう一つ条件があるんだよね。七篠さんさあ、最近あのキモイのとつるんでない?」

 つるむ? 私が、誰と?

「えー、あの眼鏡に決まってんじゃん」

「何か暗いしー、いっつも二人でいてー、陰キャラって感じー?」

「つーかあいつらデキてんじゃね?」

「ありうるー!」

「島ちゃんやっぱパンチ効いてるわー」

 眼鏡って、アレか。夙川と別所の事か。まあ、確かに見たところ奴らは常にニコイチで動いているな。いや、しかし私とアレが友達? 冗談キツイぞ。そも、私には友などいらぬ。この猿共は何か勘違いしているようだ。せめて訂正だけは……。

「つーかもうやっちゃおうよ。柴田あたりに声掛けたら速攻まとまるって」

「クラス全員でシカトー」

「靴に画鋲とか、教科書ビリッビリにいっちゃうとか、あー、体操服はどっかに売ろうよ」

「それ古くね?」

「こういうのが一番きついんだって。あー、つーかあの眼鏡割りてえー」

「島さんやっちゃってください!」

「シホちゃんシホちゃん、不登校なったらどうするの?」

「飽きてなかったら実家関係いっとくでしょ」

「きっつー、私シホだけは敵に回したくなーい。これからも仲良くしようね?」

「あははっ、分かってるって。それよりさー、いつから始める?」

「いじめってのはー、ノってる時がやり時ですー」

「ですよねー。んじゃ速攻仕掛けよっかー、あいつら弁当だっけ?」

「あー、前に食堂で見たかも」

「うわっ、わざわざ自分らのキモさをアピールしに行くとか。ないわー」

「死んだら良いのに」

「シホちゃんやっぱりこわーい」

「な、わけでさ、七篠さんにはあいつらにトドメ刺して欲しいの」

「私らが最初に仕掛けるからさあ、適当なとこでキモイとかー、ウザイとか言っちゃってよ」

「あ、思いっきりビンタとかもアリだから」

「そしたら全部水に流すよん。晴れて私らの仲間になれるって感じ。どう?」

 あの眼鏡たちは、私の友達なんかじゃない。奴らは付き纏ってきているだけなのだ。正直なところ、迷惑している部分もゼロではない。

 友人、友情、友誼。仲間。どれもこれも私とは縁遠い。欲しいと思った事はない。先輩がいれば他に何もいらない。だから、独りでいるのに息苦しさや辛さを覚えた事はない。

 友人など邪魔なのだ。邪魔でしかない。邪魔にしかならない。足を引っ張るのも、引っ張られるのも真っ平ごめんである。

「この子黙ってんじゃん」

「さっきの話聞いて引いてるんじゃない?」

「主にシホちゃんに」

「あんたらもかなーりきつかったっつーの」

 今、私が置かれている状況は理不尽で唐突だが、実に単純明快だ。

 要するに、こいつらは私が泣いて謝ったり、尻尾を振って服従する情けない様を見たいのである。あるいは私が果敢にも歯向かうのを鼻で笑い飛ばして、数の暴力で蹴散らして優越感に浸りたいのだ。

 ま、一つだけ勘違いしたままではあるが。それは、私とメガネーズが友達でも何でもないと言う事である。馬鹿め、友人を売らせてプライドやらを傷つけさせたかったのだろうが、そうはならない。その手は一生通じない。

「ほらほらー、早く私らとお友達になろうよー」

 常々思っていた事がある。友人とは、何だろう。友人など出来た事もない、作ろうともしなかった私が言うのもアレだが、果たしてそれはなろうとしてなるものなのだろうか。作ろうと思って作れるものなのだろうか。自然と、そうなるものではないのか? そもそも何故作りたいと思うのだ。いや、確かに集団でいるのは心地よく、安心出来るのだとは思う。それはきっと、独りだと弱いからだ。不安だからだ。友人を作ろうと、集団に属そうとするのは弱い奴の本能なんだ。

 だから、こうなる。

 他者を傷付け、踏み付け、蔑んで。そうして自身が心地よくなる為に、自身を別の集団から守る為に、人間は友人を作る。

 醜いとは思わない。

 悪だとは断じない。

 罪などとは程遠い。

 汚いと非難しない。

 弱さは醜くない。

 弱いのは悪ではない。

 弱くても罪にはならない。

 弱さとは汚い事ではない。

 逆に言えば、自分が強ければ、独りでも不安でなければ友人なんて面倒なものは一切無用で金輪際不要なのである。

「……島ちゃん、ちょっと口開かせてよ」

「私そろそろ飽きてきちゃったな」

「この人といたらこっちまで暗くなっちゃうよ」

 だから私は問い掛ける。答えは出ないのに。誰かにもらっても納得なんてしないのに。それでも、問い続ける。

 ……友人とは、何だ?

「少しは何か話したら……」

 たった一つだけ、今は分かる。無意味に誰かを傷付ける為の友情なんか、いらないのだと。

 そして何よりも、

「……四人、か」

 私はお前らが大嫌いだ。

「……せめてその三倍は用意しておけば良かったのに」

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