また明日
「……舞子眞唯子さんですね」
「あは、そだよ。君はー、七篠歩ちゃんだよね?」
舌打ちを堪える。私の名前を呼ぶな。呼んで良いのは先輩だけだ。
恐らく、こいつは先輩から私の事を聞いていたのだろう。先輩が私の話をしてくれるのはめちゃくちゃ嬉しいけど。けどー。けどなー。
「君の先輩から、色々と話は聞かせてもらった。ふふん、ハードボイルド」
うわー。こいつないわー。すっごい馬鹿っぽい。つーか馬鹿。
「だってさあ、何か話を振ったら大抵七篠ちゃんの事ばっかり喋るんだもん。多分ね、私、君の先輩の次に詳しいよ。七篠ちゃん事情について」
「……舞子先輩は、どうして、学校に」
問うと、舞子眞唯子は難しそうな顔を作る。……作ろうとしていた。
「あはっ、あはは。それがー、補習? と言うのかな? それとも補習と言わないのかな? みたいなモノに捕まっちゃったんだよね。女子高生の土曜日を潰すなんて、学校はなんと酷いところなんだろうね。私びっくり! 朝から今まで五教科プラスアルファのお勉強! 食堂が開いてないから、お昼ごはんは一人でもそもそ! 先生怒りっぽい!」
「可哀想ですね」お前に付き合う教師が。
「だよねっ? 明日も来いとか言うんだよー。もうやだなあ」
なるほど。こいつは補習で学校に来ていたのか。ふふん、馬鹿は困る。先輩だって、頭の悪い女や勉強の出来ない女は好きじゃないだろう。一歩リードしたぞ、ふはは。
「七篠ちゃんは部活? 陸上部だっけ? ホップステップジャンプとかするの?」
「しません」
「陸上部なのに?」
舞子眞唯子は小首を傾げる。うぜえ。媚を売るような仕草がたまらなく癇に障る。
「……陸上部にも色々ありますから。先輩も、色々ありそうで大変ですね」
「そう、大変大変、超大変」
嫌味のつもりで言ったのだが、あんまし効いてないっぽい。この手のタイプには、直球をぶつけるのが良い(と、テレビか何かで言っていたような気がする)。
「……舞子先輩は、先輩とどういう関係なんですか?」
「あは、彼女」
おっしゃ、ぶっ殺す。
「あはっ、冗談だって。何だか目が怖いよ、七篠ちゃん。だめだめだめっ、女の子はもっとかわいーくなくっちゃ。私と『先輩』はね、友達だよ」
おっしゃ、ぶっ殺す。
「……そうですか」
「でも、いつかはそうなりたいよね」
「そう、とは?」
「『先輩』の彼女」
舞子眞唯子は笑った。私は、どんな顔をしていただろうか。
「……それも冗談ですか?」
「あは、どう思う?」
思わず、たじろぐ。さっきまでの無垢な笑みとは違う。こいつから、妙な妖しさを感じ取ったのだ。明石つみきの自信満々な笑みでも、加古川シホの嫌らしい笑みでも、あの占い師の下品な笑いでもない。
舞子眞唯子は視線を逸らし、昇降口に向かって歩いていく。付いて来いと言われた訳ではないが、私は彼女の背中を追った。
舞子眞唯子は靴箱に背を預けて私を待っていた。
「……私に何か用でも?」
「お話しようよ、お話。そう、我々は分かり合えるのだ」
いや、無理。こいつ、今までに出会った奴らとは違うベクトルで面倒くさい。
「分かり合う理由はないと思いますけど」
「分かり合わない理由もないじゃない? 七篠ちゃんは『先輩』の後輩ちゃんなんでしょ? だったら、私の後輩ちゃんでもある訳だ」
「……どういう意味ですか?」
「そのままの意味だけど?」
あはっ、と。舞子眞唯子は笑う。イラっとした。イラっと。
「ねーねー、七篠ちゃんはさ、『先輩』のどこが好きになったの?」
くだらない質問である。答える義理はない。だが、こいつはムカつく。
「全てです」
「特に好きなところとか、ないの?」
「先輩を構成する要素全てを愛していますから」
そこに順序を付けたり、優劣を競わせるのはおかしいと思うのだ。先輩は先輩だから良いのである。
「私はねー」聞いてない。
「分からないんだー。どうしてなんだろうね?」
噴出してしまいそうになり、次に、強い怒りが私の内を占めた。そんな、生温い理由で先輩を好きだと抜かすのか、こいつは。
「明石さんもね、きっと『先輩』を好きなんだと思うよ。ううん、絶対。あはっ、そんな気がするんだ」
「……理由が、分からない?」
「うん、分からないの」
言って、舞子眞唯子は視線を落とす。
「好きなところはあるよ? 何だか面白い突込みをしてくれるし、爬虫類みたいな目が良いなあって思うし、『ふっ、僕は何もいらないんだ』みたいな顔してるけど、実は寂しがり屋だったり、色々。だけど、それで好きなのかどうかって考えると、それは違うのかなーって思ったり思わなかったりやっぱり思ったり」
その口、一生開けないようにしてやろうか。
「前世では、二人は恋人同士だったのかもねっ」
黙れ、メルヘン女が。
「天に竹林、地に少林寺みたいな! あれ? 違ったかな? あ、そうそう。天にあっては比翼の鳥のよーに、地にあっては連理の枝のよーにってね」
「……なんですか、それ」
「あは、言ってみたかっただけ。私ってね、覚えたての英単語とか、かっこいー四字熟語とか、すぐに使いたくなっちゃうんだよね」
ちょっとだけ気持ちが分かったので、殴り飛ばしてやりたくなる。
「でも、私と『先輩』はそーいう風にはいかないんだろうな、とも、思ってる」
当たり前だ。先輩には私がいるのだから。私が死んでしまっても、後は譲らない。幽霊になったって、あの人に近づく奴はどうにかして邪魔する。何かこう、とりついたりする。
「私、嫌な奴だから」
「……知ってます」
「えっ、知ってたの? もう、冗談きついなあ」
「冗談と思いますか?」
「ううん、思ってない」
あっさりと、舞子眞唯子は言ってのけた。
「七篠ちゃんからしたら、私は『先輩』を取ろうとする奴だもんね」
お前だけじゃない。明石つみきも、その他の女もだ。
「でも逆に考えてみたらどうかな? 七篠ちゃんは、『先輩』を取らせまいとする嫌な奴に見られてるかもしれないよ。なんてね」
「……構いません」
「おさなななじみ、なんだってね」
「……一個、多いです」
「あはは、じゃなくて、幼なじみなんだってね。それっていつから、なの?」
ふふん、思い知らせてやろう。
「十年以上の付き合いです」
「ふうん」と、舞子眞唯子はつまらなさそうに呟く。
「ずっと、好きだったの?」
「……当然でしょう。何をくだらない事を」
一瞬だけ、舞子の瞳に得体の知れない力が宿った。
「じゃあさ、どうして今まで、何もしてこなかったの?」
何を。何を、言いだすかと思えば。ふざけるな。ふざけるな! 横から入ってきたくせに! 後からやってきたくせに!
「ホントに好きなら、もっと早く、ずっと前に言えば良かったんじゃないかなって思うんだよね。『先輩、好きです! 私のお味噌汁を毎日飲んでください! オニオンスープでも可!』 って」
「……あなたに、私の、先輩の何が分かると言うんですか」
あの人は、そういうものに縛られない。縛られたくないと思っている。きっと、迷惑にしか感じない筈だ。だから、私は……!
「あはっ、分かる訳ないよ。だって私たち、人間なんだもん。ザ・ヒューマン。だからさ、何も言わなきゃ分からないよ?」
「何も言わなくたって通じ合えます」
「君と『先輩』がそうだって言うのかな?」
そうだっ。分かれ、馬鹿! どうして分からないんだ!
「じゃあ、やっぱり言おっかな」
「……何を」
「『先輩』に好きだって事を」
やっ、やめろ! やめろやめろやめろやめろ! 邪魔するな! 私と先輩の間に入ってくるな!
「……無駄ですよ。あの人は、そういうのが好きじゃないんです」
「嫌いでもないって事にならない?」
「言葉遊びをしてるんじゃないんです。先輩は、あなただけじゃない。自分以外の全ての人間に対して平等なんです。好きでもなく、嫌いでもない。そうじゃなくて、極論、何とも思っていないんですから」
「あは、それは違うよ」
「違わないっ」
「違うよ」
舞子眞唯子の声は力強かった。だから、私は口をつぐんでしまう。不覚である。
「そんな事、思ってない。じゃあ、言い方がアレかな。もう、思ってない、かな? うん、しっくりきた。しっくりくる。君の『先輩』はさ、変わったと思うよ」
言い返せない。何故なら、そんな事にはとっくの昔に気付いていたからだ。
「チャンスって信じる?」
「……いきなり、何を」
「チャンスの神様。ほら、良く言うじゃない。『チャンスの神には前髪しかない』って」
「それって、チャンスの女神だったような気がします」
小首を傾げる舞子眞唯子。くそう。似合ってるな、それ。私もしてみせようかな、先輩の前で。
「そうだったっけ? まあ、どっちでも良いか。とにかく、そう。チャンス、機会の神様だよ。知ってる? そんでもって信じる?」
チャンスの神様って、それはまたピンポイントな奴である。
「……知りませんし、いたとして信じません。私、自分の目で見ないと信じられないんです」
「神様、嫌いなの?」
私は小さく頷いた。頷いた後、別に好きでも嫌いでもなかったなと思い直す。
「私はね、お腹が痛くなった時、すぐに神様に助けを求めちゃうけどな。お願いします何でもするから助けてくださいどうにかしてください神様って。トイレには神様がいるんだよ? きっと。たぶん」
「……で、その神様と言うのは?」
「名前、何だったかな。クワガタみたいな名前だったような…………イカロスだったかな。カイロスだったっけ、クロノス? うーん、まあ、何でもいっか」
さっきから適当な奴である。神に助けを求める割に、信心のかけらすら見当たらない。
「うん」
ん?
「私は、嫌な奴だ」
言い聞かせるように、舞子眞唯子は口にした。
「だけど、好きだなあって、そう思っても良いと思うし、頑張っても良いと思うんだよね。それで駄目だったとしても、何もしなかったよりは良いと思うからさ」
「……はあ」
「だから、私はそこに神様がいたら祈るし、助けてって思う。と、思う」
「イカロス、ですか」
あれ? クロノスだっけ?
「七篠ちゃんだってそう思うでしょ。『先輩』と仲良くなれるんなら、心から」
「……思いませんね」
「あれー?」
本心からは思わないだろう。本気では祈らないだろう。神様なんて、見た事がないんだから。だから私は私と先輩だけを信じる。先輩を思い、信じるだけだ。
「えー? ホントに? そこにカイロスがいたとしても?」
「そこにカイロスがいたとしても、です」
誰が祈るか。そんなもの時間の無駄だ。どうせなら前髪全部むしり取ってやる。
「そっか。ふうん、そうなんだ。じゃあ、その意気で明日も頑張りなよ、七篠ちゃん」
「……あなたに言われずとも……え?」
どうして、こいつが知っているんだ?
「だって、明日は『先輩』とデートするんでしょ? いいなーうらやましいなー楽しそうだなー私も行きたいなー朝から昼から夕から晩まで! あっ、夜遊び厳禁。私たちは健全な女子高校生なのだから! 女子高校生とは健全なものでなくっちゃあ駄目なのです!」
「……な、何故、あなたが、それを」
「だって、言われたんだもん。『ごめん。日曜日に遊ぶのはやっぱり次の機会で良いかな? その、僕、別の用事があってさ』なんて言われちゃったから思わずものっすごい勢いで聞いてしまった私を誰かは許してくれると思うんだよね。許して、ね? でね、そしたら『大事な人との約束があるから』って。もうさー、あんな顔されたら断れる訳ないと思うんだよね、私。ずるいよね、ずるい男。しゃらんしゃらんなずるい男だよ」
先輩、が? 先輩が私を、大事な、人、と?
「悔しいけどね、七篠ちゃん。今、君は私より大事にされてるんだよね。大切に思われてるんだよね」
先輩! 先輩が! 先輩がああああ! やった! やったあああああああ!
「神様ありがとう!」
「ええっ、宗旨替え早っ!? ……と言う訳で、頑張りなよ」
ふん、お前に言われなくても頑張るわ、ばーか。
「それにっ、今だけだもんねー! 私より大事に思われてるのなんて今だけなんだから! だから全然悔しくないもん! 七篠ちゃんのばーか、いけず! 地味! ちっこい! もっと髪型を変えたり、いっそ染めてみたりちょっと悪ぶってピアスしちゃって『おい七篠、お前、どうしたんだよ』みたいに心配されちゃったりされるが良いさ! それから折角のデートなんだから可愛いカッコしたりいつもより長めに鏡の前に立ってしっかりチェックしなきゃ駄目なんだから! 寝癖とか最悪だし遅刻なんかはアリかもね! 『お待たせしてごめんなさい』ってキュートな上目遣いにお兄さん方もばたんきゅーっときちゃうかもよ! ってあれ!? 私敵に塩を送りまくってる!?」
こいつ、精神に障害でも持っているのだろうか。うん、躁に違いない。
「……結局、何が言いたかったんですか。補習だなんて、嘘まで吐いて」
「あははー、敵情視察、かな」
カマかけたんだけど、引っ掛かってくれなかった。
「力の差は歴然でしたね」
「そうかも。でも、諦めたら試合とか終わっちゃうんだよね」
「……戦いにすらなっていませんよ。私とあなたでは」
「そうかもね」
あ、全然そうかもね、なんて思っていない顔をしている。……こいつ。もしかして、明石つみきよりも手強いんじゃないか?
「じゃ、私はそろそろ帰ろうかなー。カエルが鳴くからカーエル、ゲロゲロー」
「……ふん」
ムカつく奴だ。危うく、私まで塩を送るところだった。
頭おかしい奴だけど、まあ、退屈はしない。舞子眞唯子と一緒にいる時は、先輩も、私と同じ気分だったのだろう。……舞子眞唯子といる時の彼は、結構、楽しそうだったのだから。他ならぬ、この私、七篠歩が言うのだから、間違いない。間違いないけど。結構は言い過ぎだったかな。ちょっとだけ、ほんの少しだけ、くらいにしておこう。
全く、くだらない人生だ。
くだらない奴と出会うと、とみにそう思う。
夙川さくら。別所姫。加古川シホ。河原。うるさい部長。鬱陶しい陸上部員。変な占い師や、小太りの変態。明石つみき。舞子眞唯子。
会い過ぎだ。正直、疲れる。朝を迎えて、学校に行って、夜になって……人生や世界なんてものは、こうやってループし続けるものだと思っていた。何も動かず、何も変わらず、ただ、同じように。だけど、そうなのだ。同じ一日なんて、存在しないのである。
何かが動けば、何かが変われば、私が変わる。そうではない。
私が動けば、私が変われば、世界が変わる。そうなんじゃない、かな、なんて。別に、舞子眞唯子に言われたからじゃない。でも、何も言わなければ、何も伝わらない。そんな事だってあるんだと思った。
だから、
「……ふふ」
明日は、久しぶりに先輩の名前を呼んでみよう。