逢魔が時
お面を付けてみると、穴が開いていて視界もきちんと確保されているし、割かし悪くないような気がしてきた。と言うかむしろコレ良くないか? ってぐらいである。
あの胡散臭い女が路地裏を出て行ってから五分は経った。もしかしてドッキリだろうか。私にお面を被らせる為に誰かが仕組んだ悪戯。その線も捨て切れないんじゃないの?
そんな事を考えていると、えらく軽い感じで女が戻ってきた。
「よう、待たせた待たせたー……で、ございます」
片手を上げて、へらへらと笑っている。
「……首尾はどうですか?」
「ノープロブレムでございますよ。ストーカーはもうちょいしたらこっちに来ると思うぜ、です」
いったい、どんな魔術を使ったのだろうか。
「……では、話は簡単になりましたね」
殴って、蹴って、嬲って、壊す。殺しちゃ駄目だから、穏便にいこう。うん、偉いぞ私。自分を抑えるストイックさがチャームポイントです。
「むちゃくちゃすんじゃねえ、ですよ」
「あの」
「あ?」
「あなた、何者なんですか」
女は口の端をつり上げる。答える気はなさそうだったが、ストーカーとやらが現れるまでは暇なのだ。構わず、話を続けよう。
「……色々と気になるところはあるんですけど」と言うか、気になるところしかない。先輩がこの女を見たら、何を言ってくれるだろう。どう突っ込んでくれるだろう。
「どうして、私にそこまでしてくれるんですか?」
「そこまでって?」
あくまで、女はとぼける。
「……会ったばかりの他人に、知恵と力と勇気を貸してくれる理由です。占い師としての領分、越えていると思いますけど」
「言ったろ、趣味だって。ワタクシは楽しい事が好きなのです。別に、お前、ああ、じゃない。あなた個人に良くしてやろうなんざ思ってねえでございますよ」
「私を手伝えば、楽しい事が起きると?」
女は力いっぱい、心底から楽しそうに頷いた。ぶん、と。鬱陶しい髪の毛が揺れる、揺れる。
……ふん、ムカつく。だけど、私にとって都合の良い奴でもある。何を狙っているのかは知らないが、先輩に危害を加えようとする巨大なシットを排除出来る機会を与えたのは、こいつなのだ。その一点においてのみ感謝しようではないか。それに、ストーカーをどうにかしてやれば、あのいけ好かない明石つみきに恩が売れる。ああ、そうだ。ついでに、ストーカーから明石つみきに関する弱みなんかを聞き出してやろう。良いじゃないか、実に良い。
「わりぃ顔してっぞ」
「……失礼な。私の親に謝ってください。この顔は生まれつきなのです」
「おー、そろそろ来る感じだな。ぎゃっはっは、お面、似合ってるぞ」
指差される悪趣味なお面。ちくしょう。やるは一時の恥。やらぬは一生の恥。明日やろうはクソ野郎なのである。今やらずして、いつやるか。ストーカーを倒し、明石つみきの弱みを握り、先輩から蝿どもを遠ざける。その為の一歩だ。そしてゆくゆくは、私が、この七篠歩が先輩の苗字をもらうのだ。
「へ、お出ましだ」
路地裏に姿を見せたのは、小太りの、制服を着た男子である。……なるほど、どうやら、私と同じ学校の生徒らしい。汗に塗れた醜い顔を、こちらに向けた。鼻をひくひくと鳴らし、荒い息を吐いている。
「な、ななななな、何だきみ、君たちはぁ……」
あの女は、いつの間にやら姿を消していた。逃げ足の速い奴である。どうせ、物陰から覗いているに決まっているだろうが。
小太りは私を見て、何事かを喚いている。聞くに堪えない声なので、私は先輩の声を脳内再生して適当に聞き流していた。が、うるさい。早く鳴き止め、ブタめ。
「……あなたが明石つみきのストーカーですね」
「ぶっ、ぶう、なっ、なななな何を言って」
焦り過ぎだろ、こいつ。
「ぼ、ぼぼぼぼくはね、す、ストーカーなんかじゃ、ないんだ。つ、つみきちゃんを守る為に」
あの女を、守る? はっ、滑稽だ。アレは、そういうタマじゃない。男に守られて、それをよしとするようなモノではない。
「まあ、盾くらいならなれますか」
小太りの男は憤る。
「き、ききみはぁ! いったいなんなんだあ!」
「私は、明石つみきの敵です。と、だけ言っておきましょう」
「ツ、つみっ、つみきちゃんの!?」
さて、どうやって殴ろうか。対峙しているとは言え、こう、正々堂々という感じが面白くない。と言うか、こんなのに触れたくない。汗塗れだし、不潔極まりない。こいつに触れると病気を移されると聞かされれば、嘘ではないとも思えるような。そんな、稀有な人材。出来れば飛び道具が欲しい。バズーカで木っ端微塵に吹き飛ばすか、火炎放射器で骨まで焼くか。あるいはミキサーにかけられてミンチになって肥料にもなれずにどこかのドブに流されて欲しい。直接、手を下したくない感じである。弱った。困った。
「……あの、お願いがあるんですけど」
小太りは喋るのを止め、私を見る。
「自殺してもらえませんか?」
「きききききみはああああ!」
うるさい、黙れ。舌噛んで死んでしまえ。
「そ、そそそそこを退くんだ! ぼぼぼくは、ぼくはっ、あ、あの男から、あの男からつみきちゃんを! おお! 守るんだあ!」
あの男とは、もしかして先輩の事だろうか。ふうん、そうか。なるほど、こいつ、今日だけでなく、以前から明石つみきをストーキングしていたんだろう。それで、不本意ながらも彼女に近い先輩に嫉妬しているのだ。ふん、男の嫉妬とは醜い。恥を知れ痴れ者め。
「……あの方に手出しはさせません」
小太りはズボンのポケットに手を突っ込むが、動きを止める。
「き、きみ、あの男のし、知り合いなのかい」
知り合いとは、随分と寂しい言葉ではないか。だが、問われて初めて気付く。気付いてしまう。私と先輩は、いったい、どんな間柄なのだろう、と。
幼馴染み? 奴隷? 知人? 友人? ……ううん、難しい。私からすれば、そのどれもが当てはまりそうなのだけれど、どれを当てはめれば良いものか。
「…………恋人です」
「あなななな!? あっ、あいつ! 彼女がいっ、いるのに、つ、つつつつみきちゃんにまでえ!」
えへへ、彼女だって。ちょっと、いや、めちゃくちゃ気分が良い。あ、そうか。こうして外堀を埋めていく頭脳プレイもあったのか。
「ぐおおおおおおおおおおお!」
黙れよ小太り。今、私は幸せな妄想に耽っているところなのだ。
「そっ、そうか! それで、つみきちゃんをてっ、敵だなんて言ったんだ!」
「……? まあ、そのようなものです」
先輩の件がなくとも、いずれ、敵対したに違いない。単純に、あの女とは反りが合わない。ウマが合わない。ムカつくのだ。
「だ、だだったら、てっ、手を組もう!」
「嫌です。気持ち悪い」
小太りは頭を抱えてしゃがみ込む。
「どっ! どう! どうして分からないかな!? り、りりり利害関係は一致して、してる!」
「……利害?」
「ぼっ、ぼくはつみきちゃんをあのっ、あの憎い男から遠ざけたい! きっ、きみは、きみはあ! 君はあの男をつみきちゃんからひきっ、剥がしたい!」
ああ、なるほど。だから、協力して、あの二人をどうにかしようと言っているんだな、こいつ。
「嫌です。気持ち悪い」
小太りはがーっと憤る。うるさいなあ、もう。死んじゃえ。
「どっ、どどどどうしてええええ!?」
こいつの言っている事は分かる。ちゃんと意味は通じている。私だってそこまで馬鹿じゃない。だけど、こんなのと手を組んでも明石つみきをどうにか出来るとは思えないし、第一、こいつは先輩に対して憎悪とも呼べる感情を抱いている。いつ、何が起こるか分からないのだ。こんなの信じられるか。
「……三度も言わせる気ですか?」
「な、ななな」
気持ち悪い。
私は地面を蹴り、ビルの壁面を目掛けて跳躍する。壁を蹴り、もう一段上へ跳ぶ。中空から、体を捻らせて踵を落とす。狙いはこいつの頭だ。一撃で仕留めてやる。
「うっ、ううううおおおおっ」
が、驚くべき事に、避けられてしまった。……避けられた? この、小太りの男に? 地面を転がり、這い蹲る醜い男に、私の、攻撃が? 信じられなくて、私は呆然と彼を見つめてしまう。
「ひ、ひどっ、ひどいじゃないか……!」
立ち上がった小太りは、私を睨みつけた。
「ぼ、ぼぼぼくとつみきちゃんを邪魔しようって言うんなら、言うんならあ……!」
「……っ!」 こいつっ!
小太りはポケットから得物を取り出す。かちんと、乾いた音が鳴った。ヤツが取り出したのは、刃物である。冗談キツイ。何だ、こいつ。頭おかしいんじゃないのか。
「うあああああああああああっ!」
しかも、早いぞ、こいつ。全く躊躇わない。
そして、速いぞ。こいつ、意外と俊敏だ。
私は後ろに下がり、身を低くして男の脇をすり抜ける。勢いあまった彼は、そのまますっ転んだ。荒い息を整えようともせず、男は立ち上がる。
ナイフ持った頭のおかしい相手なんて、どうすれば良いんだ。こんなんなら、ゴリラブス島五人を相手にしている方がマシである。流石に怖いぞ。私だって女の子。可愛い女の子。お肌を切られて台無しにされるのは嫌だし、顔を切られるなんてもってのほかだ。と言うか刺されたら死ぬんじゃなかろうか。めちゃくちゃ痛そうだし。いや、いやいや、死んだら先輩に会えなくなる。話せなくなるし見られなくなる。あっ、明石つみきに取られちゃう! 駄目だ! こ、ここは退こう。……それも危ないかもしれない。こんなのを野放しにしてたら、先輩まで危ない目に遭ってしまう。このクソブタ、何をしでかす分かったもんじゃない。
「いっ、今! 今ならまだ抑えられるかも知れない! ぼっ、ぼぼぼくの言う事を聞くんだ! きっ、聞いたらこっ、こんなのはやめる!」
小太りは手に持ったナイフをぶんぶんと振り回す。
「……協力しろ、ですか?」
「ぼっ! ぼくと付き合え!」
なっ、なな……!
「なんでやねん!」
「付き合うんだあああ! ぼくの彼女に! 彼女にいいい!」
誰でも良いのかよ! つみきちゃんつみきちゃんって散々喚いていたくせに! どこまでクズなんだこいつは!
「あっ、あいつばっかり! あいつばっかりずっ、ずるい! つみ、つみきちゃんも! きみみたいな子も! まっ、舞子さんだってあいつとばかり!」
あいつとは、先輩の事なのだろう。……しかし、こいつ、気の多いヤツと言うか、何と言うか、すごいな。すごいクズだ。男って皆こうなのだろうか。この国は終わっている。先輩を連れて無人島に引っ越したい。そこで二人だけの王国を作るのだ。ああ、奴隷として明石つみきを持ってくのも良いな。ふふふ、私と先輩がいちゃいちゃしているのを見せ付けてやろう。ああ、素晴らしい。素晴らしい無人島ライフ! 二人のアイランド!
「きっ、きっ、聞いているのかあああああ!」
うるさいぞブタめ。
「ここここうなったら、あっ、あいつをこっ、殺す! 殺すぞ!? ぼくはあいつを殺してしまうかもしれない! そうだ! ぼっ、ぼくの意思じゃない! ぼくたちの総意なんだ! これは! だか――――ぶひゅっ!?」
小太りの顔面にゴミ箱が激突した。私が投げたものである。彼は真後ろから倒れ込み、ぶひぶひと鳴いていた。
「なっ、ななな何を!?」
「……殺します」
「なああああ!?」
自分の言葉には、もっと責任を持った方が良い。
その言葉に真実がこもっていようが、いまいが、関係ない。嘘だろうが、はったりだろうが、興味ない。それを本当にはさせないのだから。だが、駄目だ。言ってはならない事を言ったんだ、こいつは。因果応報。人を呪わば穴二つ。
「……殺すと言ったんです」
「ひっ」
さっきよりも速く、鋭く! 地面を踏み、蹴り、距離を詰めて、小太りの右手を蹴り上げる。その衝撃で、彼の得物は弾き飛んだ。
そして、落ちてくる。私はナイフの柄を片手で掴み、小太りの喉元を狙って、下から、掬い上げるように――――。
「やり過ぎ」
「……止めないでください」
「んー? いやー」クソっ。
髪の長い、さっきの占い師まがいの女に右の手首を捕まれてしまう。私は咄嗟にナイフを落とし、左腕でそれを掴み直した。
「駄目だって言ってんだろ」
女は私の頭を叩き、溜め息を吐く。少しよろけて、後ろに下がる。……小太りは、失神していた。避けようとして、地面に頭を強く打ったのか。それとも、恐怖から気を失ってしまったのだろうか。
「……良いところだったのに」私はナイフを投げ捨てる。何だか、握った柄の感触がしっくりきていて、怖くなってしまった。
「殺人五秒前のお前を助けてやったんだぜ。もっとオレに感謝しとけよな、チビ」
女はそこまで言って、慌てた様子で口元に手を遣る。
「なんちゃって」
「で、どこにいたのかと思えば、急に止めに入って。あなた、何なんですか?」
「あー、何なんでしょうでございます。それより、面白かったと思います。さっきの」
ふざけるなよ、こっちはハナっから命懸けだったんだ。それを、面白いと一言で斬って捨てやがって。本当に人間か、この女?
まあ、良いか。とりあえず、これからどうしよう。先輩と明石つみきをどうにかしなきゃいけない。さっきのナイフでぐっさりやっちゃうかな。
「おいコラ、どこに行くつもりでございますか」
「……また、邪魔をするつもりですか」
「いいや。手助けだよ。あなたが、ちょっとばかしお間抜けなのが可哀想だから、知恵を拝借させてやろうかと思っちゃったりしたんだよ、です」
女は口の端をつり上げる。私は目だけでその意味を問い掛けた。つもりである。
「あなたがそこのデブと遊んでいる間に、先輩とやらはとっくの昔にどこかへ行っちまったんだなあ、これが。ごくろうさま」
「なっ、そ、それじゃあ、先輩はどこに?」
「しーらないっと、きたもんで。まあ、地球上のどこかにはいるんじゃあねえのかな? ぎゃっはっは! あ、そんな目で見られたらめちゃくちゃ怖いです」
「……それでは、私は、明石つみきのアシストをしただけじゃないですか」
「そうなるかな」
全部殺すぞ、もう。
「まあ、落ち着け。先輩とはまた会えるさ」
「そりゃあ、いつかは」
「今晩にでも会える。いや、今晩、会う」
「……どうして、そんな事が分かるんですか」
慰めているつもりではないらしいが。だが、幾ら占い師でも、そんなの分かる筈がない。その筈なのだけれど、何故か『会えるかもしれないな』なんて思っていた。思ってしまった。思わされてしまったぞ、ちくしょう。
「……本当に、何者ですか、あなた」
「何だと思う?」
「悪魔か何か、ですか」
「惜しい!」
女は下品に笑い、背中を向ける。
「じゃ、まあ、適当に頑張れ。後はさ、まあ、大した事は起きねーから、さ」
「は?」
「久しぶりに会えて楽しかったぜ。なんてな、で、ございます」
久しぶりって。いやいや、初対面だし。この女、クスリか何かキメちゃってんのだろうか。
「じゃあな、頑張れよ」
「……言われなくても、私はいつも頑張ってますから」
「ぎゃっはっはっは!」