朝
完全に趣味です。割かし何も考えずに書いたようなものなので、一切期待しないで、適当に見ていってくださると助かります。あと、カイロスの続編ではない筈です。多分。終わったモノを掘り返すのに賛否両論あるかとは思いますが、その辺はもう、何も考えずに。何も考えないで。
携帯電話のアラームが鳴った五分後に目が覚める。いつもの事だ。
私はゆっくりと身を起こし、布団を跳ね除けてベッドから立ち上がる。何とはなしに部屋をぐるりと見渡してみた。
クラスで流行っているらしい(聞き耳を立てているだけなので)俳優やアイドルのポスターも貼られていない、カレンダーも掛けられていない白い壁。本棚は一つしかない。私は本が嫌いだからだ。活字を見ていると苛々してくる。漫画だって殆どない。少女漫画なんて見ていると本当に気が狂いそうになる。あと部屋にあるのは、クローゼットと小学校からの勉強机。テレビはあるけど滅多に見ない。テレビゲームも携帯ゲームもやらない。音楽は良く聞く。
……我ながら、殺風景な部屋だと思う。
高校一年生、女子の部屋とは思えないような気がする。でも比較は出来ない。他の女の子の部屋に入った事なんかないからだ。
んー、だけど、そう思うだけで実のところ、私はそこまで困っちゃいない。娯楽に興味がないからだ。と言うより、あまり物事に対して興味が沸かないのだ。ただ、一つを除いて。
何もない。
この部屋は、私その物なんだろう。
「あゆむー、朝練行かないのー!?」
「きょ、今日は休むー!」
顔を洗って、制服に袖を通してリビングに行く。
私、父、母の三人家族だが、私が家族と会話するようになったのは高校に入学してからだ。それまでは会話と呼べるようなものは殆どなかったように記憶している。別に私が反抗期という訳じゃないし、親が私を嫌っていた訳でもない。単に生活のリズムが合わないだけなのである。昔は父も母も朝早くから仕事に行き、夜遅くに帰ってくる生活を繰り返していた。でも、恨みはしていない。生きる為の仕事だから仕方ないのだろうし、そのお陰であの人に出会えた。んん、でも、その気になれば会話ぐらい出来たんだろうど、その気になる必要も特になかった。実は、今でもあんまりない。
「歩、最近朝練行ってないけど大丈夫なのか?」
「……大丈夫だよ、お父さん」
昔はもうちょっと気楽だった。でも、こうして、家族で一緒にトーストを齧る作業も苦ではない。かと言って誰かと一緒に居るのが楽って話でもないんだけど。
けど、あの人の言葉を借りてしまうならば、慣れってのは良くも悪くも素晴らしい、ものなのだろう。
八時五分。
朝の子供劇場、私が産まれる前のアニメのオープニングを見てから、鞄の中身を確認する。大丈夫、全部入ってる。忘れ物をしてしまうと、もうどうしようもないから前日の晩と朝は必死になる。
……行きたくないなあ。
けど、悩むだけ悩んで結局家を出る。いつもの事だ。
靴を履き、玄関の鏡で身嗜みを確認してドアを開ける。眩しい。
「……いってきます」
「はーい、気をつけてねー」
もう子供じゃないのに。
ん、学校には一分前までに到着出来る余裕がある。と言うか自信がある。自慢になってしまうのだろうけど、私はとても足が速い。一年生ではあるけれど、これでも陸上部の自他共に認めるエースなのだ。
ちなみに私の家はマンションである。最近、隣の部屋からは若い夫婦の怒鳴り声が聞こえてくる。子供を産むだの産まないだの、うるさいから早くどっちかに決めて欲しい。一軒家の方が好みなのだが、私は養われる側なので文句は言えない。贅沢を言うのは私が自立してからが筋なのだろう。それに、悪いところだけではない。上の方に住んでいるから、ここ、つまり廊下からの眺めは非常に良い。
「……ふふ」
あの人の家が良く見える。だけでなく、登校する為に家から出てくる姿まで。ああ、今この時ばかりは健康的な肉体に産まれた事に感謝せざるを得ない。ありがとうお父さん! 感謝していますお母さん! さあ、急いで下りなきゃ。でも注意して歩、この前はあの人への思いが募り過ぎて一気にここから飛び降りて、管理人さんに死ぬほど怒られちゃったから。今朝はちゃんと階段で下りなきゃ。
あの人の後ろにポジショニングしてから一分ほど。私の足ならすぐに隣に並んで、あああああまつさえ女の子らしくきゃっきゃうふふと話し掛ける事だって可能なのに。でも、出来ない。それが出来れば苦労はしていない。しかし学校までの道のりは短い。早く声を掛けなきゃ、自然に会話出来るチャンスがなくなってしまう。
「……ん」
でも、今日の私は一味違う。ついこの間、先輩が私に話し掛けてくれたのだ。こ、これで、次に私から話し掛けても何らおかしくはない。不思議ではない不自然ではないむしろ自然? むしろいっちゃって良いんじゃないんですか!? 私のありのままの思いを告白しちゃっても構わないって感じだったりしちゃったりー!?
でも、行けない。
先輩が高校に入学するまでは毎日のように一緒にいられたけど、一度でも会わなくなってしまうと、もうそこで終わってしまう。先輩は会わないなら会わないでも別に良いって人だから、私の事をもう何とも思っていないのかもしれない。だから、ちょっと怖い。
「……ふう」
溜め息には気付いてもらえない。先輩はかなり鈍いし、そもそも気付いていても何もしてくれない。いつも、こうなのだ。こうして、正門前の信号で先輩が足を止めた隙を見計らい、隣に並ぶ。声を掛けてくれるのを期待する。我ながら情けない。
「………………」
気付いて、くれないかな。
「ん」
あ。
先輩が、こちらを見てくれた。見た、よね? 絶対見た! よっしゃあ!
「……今朝は早いんですね、先輩」
声は震えていなかっただろうか。おかしな感じになっていなかっただろうか。
「久しぶり」
やばい、舞い上がってしまいそう。
……この人は、先輩。名前は、誰にも教えるつもりはない。私だけ知っていればそれで良い。ちなみに、彼は私の幼馴染に当たる人だ。私が家族以外で名前を覚えている、数少ない、と言うか唯一と言っても良い存在。
「…………声、掛けてくるんですね」
とてもじゃないが、目を合わせられない。私から声を掛けようとしたくせに、心底掛けて欲しかったくせに、思わず憎まれ口を叩いてしまう。
「掛けちゃ悪かったかな」
全然! オッケーです! 二十四時間三百六十五日いつでもっ、常にっ、先輩ならば私が何をしていても大丈夫です!
「別に」
あああああああ。口が、勝手に。
ん。別に、先輩とは喧嘩している訳じゃない。喧嘩するほど、関わり合いがない、仲が良くないだけなのだ。
先輩の住まいは家のすぐ近く。マンションから見える一軒家。家同士も近かったから、彼が中学を卒業するまでは出会ったら話すくらいの交流はあった。それこそ小学生の頃は頻繁に面倒を見てもらっていたのである。ああ、あの頃に戻りたい。そこで時間が止まったりループしてくれれば良いのになあ。
……だけど、それまで。それ以降は全く関わりがなかったのである。
先輩が高校に入って生活サイクルが変わり、彼と出会わなくなっただけの事だ。でも、悲しい。幼馴染なんて関係は年月を経る毎にその結び付きを強くするものなんじゃなかったのですか神様。死ねゴッド。
「そっか」
ああ、何て素っ気ない。でもそこが先輩らしくて素晴らしい。
先輩は、私がここに入学したのを知っていたんだろうか。陸上部に入って、記録を塗り替えまくったのを知っているんだろうか。いや、知っていてもらわなきゃ困る。その為に、私は入りたくもない部活に入ったのだ。団体行動なんてクソ喰らえ。そんな私が陸上部に入ったのは、あなたに、気付いてもらいたかったんです。
あ。
信号が変わり、先輩は歩き出す。けど、その歩幅は狭い。私の足は早いから、自然と一人でどんどん先に進んでいく形になっていた。
「………………」
どうして、追い掛けてくれないんですか。
焦りはしていなかった。何故なら、先輩が先輩だからだ。大丈夫、私は日本語に不自由していない。私には、この世の中の誰よりも先輩を理解していると言う自負がある。自信がある。誰に誇るともないが、自慢である。
ずばり、先輩に友達はいない。なので、彼を誰かに取られるなんて事は天地がひっくり返っても有り得ない。
「………………」
そう思っていたのだが、恐ろしい事態が起こってしまっていた。あの先輩に、友人と呼べるような人が出来たのである。しかも、しかも……っ、女。相手は女だ。正直な話、すぐにそいつをぶっ――――してやろうと思ったのだが、そうもいかない。ただ、めちゃくちゃ睨み付けてやる。ヘイこっちを見ろビッチ!
「おはよう、舞子さん」
ああ、そんな奴に声なんて掛けないでっ、と言うか私以外の人間に声を掛けないでください先輩。
「あは、おっはよー。んん、今日も元気そうだねー、ちゃんと朝ごはん食べたのかな? ファーストブレイクは一日の元気の源なんだよー」
「もしかしてブレイクファーストの事? ファーストブレイクじゃあバスケットボールだよ。え? ……違う。違うよ、そうじゃなくて……」
くっ、親しげに話を! おおおっ! 許すまじ。マジ許さない。絶対に許さないリストに追加してやる。
と言う訳で、先輩に近付く悪いクソ虫を今一度観察してみる。何か弱みでも握れれば良いのだが、生憎まだ見つからない。
「バスケットボールってどうしてバスケットって言うか知ってる?」
アホみたいに能天気な声で喋る女。名を、舞子眞唯子と言うらしい。くりくりっとした大きな目。明るい茶髪、ちょっと短い髪の毛。社交的、活発的な雰囲気を持ち合わせているような、そんな女だ。先輩とは性別から何まで真逆の位置に存在している。なのにっ、先輩ときたらそんな奴にうつつを抜かしてっ。
いや、認めよう。パッと見可愛いと言わざるを得ない。小動物じみて、保護欲を掻き立てられるような存在なのだと。きっとそうしてそうやって策を弄して! 己の可愛さをアピールして先輩の心の隙間に入り込んだんだ。くそ、私だってちっちゃいのに。何が違うのだ。
とにかく、ピンチ。危ない。危険がまずくてとってもやばい。まさか、先輩に近付くような女が私以外にいるとは……これは、私の油断だ。私が幼馴染の立場に甘んじてきた罰であり、試練なのかもしれない。
「あ、ねえねえ、今日のお昼は学食?」
「うん、そうだよ。委員長に誘われてるんだ」
「へえ、明石さんから? あは、君ってば出世したね。ついこないだまではただの生徒その四、ぐらいだったのに。今じゃ副委員長って感じだもん」
「副委員長? 少なくともそんな感じじゃあないよ」
い、委員長? 明石? 聞いた事のない名前だ。しかも、何だか先輩と親しげにしているっぽい。さん付けされているし、多分、女。また女。またもや女が先輩に。うー、どうして? どうして、急にこんな事になってしまったのだろう。なっているのだろう。
「ね、ね、ね、私も一緒に食べて良いかな? あ、お邪魔だったら別に良いんだよ。二人で仲良く、そう、まるでカツオドリ夫婦のように!」
はあ? 先輩と一緒にご飯を食べる? 駄目に決まってるじゃあないですか。全く、そんじょそこらの凡愚が、
「オシドリ夫婦ね。……そこで嫌だと言ったら、僕が委員長と何かあるみたいじゃないか。良いよ、舞子さんも一緒に食べよう」
えー。どうしたんですか先輩。人を寄せ付けないオーラを放つあなたはどこに行ってしまったのですかー。
あ、くっ、予鈴が鳴ってしまった。早く教室に行かなきゃ。遅刻なんてしたら変な目で見られちゃう。しかし、明石、か。会話の内容からすると、どうやら先輩のクラスの委員長らしいけど、一体どんな奴なんだろう。うん、私も今日は学食にしよう。
「おはよー」
「はよー、ね、昨日はどうだったの?」
「えー? どうしよっかなー?」
「じゃあ聞かない」
「うそうそっ、聞いて聞いて! あのね……」
前の席の二人、死んでくれないかな。
眠たくないのに寝たふり。読みたくないのに教科書に目を通す。別に、友達がいないのを苦痛に感じた事はない。一人でいるのが好きだったし、一人が好きでもあるのだし。そもそも、私には先輩がいるしー。……ここには、いないけど。あと、最近まともに話もしてないけど。
そんな訳で、授業中はともかく短い休み時間など、ちょっとした空白を埋めるのには、その、困る。困ってしまう。幸いな事に、私はいじめられている訳ではない。別に強く無視されている訳でもない。と言うか、いじめの対象にもならないぐらい空気っぽいのだろう。空気でも構わない。ただ、ここにいるド低脳どもには分かってもらいたい。生きていく為には、空気が必要なのだと。私がいなくなったらここは真空状態になって、お前ら五秒と持たず死んでいくんだぞオルァー。
「あの、七篠さん」
「………………えっ?」
うわあ、凄いびっくりしたー。楽しい妄想してる時に話し掛けられると、すんごいびっくりする。びっくりし過ぎて同じ事二回も言っちゃった。
と、私に声を掛けたのは隣の席の女子である。眼鏡を掛けた(私が言うのもなんだが)地味な奴だ。名前は覚えていない。話し掛けられる理由もない。
「……何?」
必要以上に警戒するのは、決して悪い事ではない筈だ。無警戒でいるよりもよっぽど良い。騙されるより騙せ。嘘を吐かれるより先に吐け。こっ、殺されるより殺せ!
「え、えっとね、その、私日本史の教科書を忘れちゃって。その、良かったら一緒に見せて欲しいなあ、って」
教科書? ああ、確か次の時間は日本史だった。あの先生、やたらめったら問題を出してきて、おちおちと眠れやしない。大体、日本史なんて何が面白いのだろう。ちっとも分からない。アレでしょ。織田信長とか源なんとかでしょ? 世界三大幕府って奴でしょ?
「な、七篠さん?」
いけない。また変な事を考えてしまっていたらしい。どうしよう、他人と物を共有する感覚は、どうも居心地が悪い。どうせなら私の教科書をそのまま貸してあげたいのだが、変な奴だと思われるのも嫌だし。仕方ない、たかが五十分、ちょっと机をくっ付けるだけだ。
「……別に、良い」
「ホントっ? 良かったあ、ほら、あの先生すぐに当ててくるじゃない? 七篠さんに断られたらどうしようって思っててー」
よくもまあ勝手にピーチクパーチクと。こいつは何も考えていないのだろうか。まずは私に感謝の気持ちを捧げるのが筋だろう。
「あ、ごめん。言い忘れてたね、ありがと。ふふ、まさか七篠さんが教科書を見せてくれるなんて思っていなかったから」
「……どういう意味?」
眼鏡の女子は手を顔の前に出し、必死そうに首を振る。
「そっ、そういう意味じゃないのっ」
じゃあどういう意味なのだ。
「ほら、七篠さんってさ、私に近付くなーってオーラって言うか、バリアを張っているような感じがして……」
「……そう、なの?」
あれ? そうだったの? 私としては別にそんなつもりなかったのだけど、もしかして、他人から見たら、そうなの?
「ごめんね、気を悪くさせちゃったかな?」
「……別に」
無茶苦茶気ィ悪いわ! もっと私を気遣え!
一時間目の授業が終わり、私は机に突っ伏した。何だか、どっと疲れた。
「ありがとっ、本当に助かっちゃった!」
それというのも、こいつが一々鬱陶しいからである。教科書を見せる為に机をくっ付けたのは仕方ない。しかし、顔が近かった。いや、案外普通で当たり前な距離なのかもしれないけど、日頃他人と触れ合え――いや、触れ合わない私としてはいかがなものかと感じる距離だったのである。しかもっ、目が合う度に面白そうに微笑み掛けてくる始末。何だろう、こいつ、私を馬鹿にしてるのだろうか。
「……別に」
「ふふ、また忘れちゃったらよろしくね」
!?
「さくらー、ジュース買いに行かなーい?」
「ちょっと待って姫、えーと……」
教室の隅の席から、こちら(と言うより、私の隣にいる生徒)へ向かって手を振る女子。そいつもまた、眼鏡を掛けていた。さくらと呼ばれた女は少しだけ迷った様子を見せる。
「七篠さんも一緒に行かない? ほら、お詫びって事で。何かおごったげるよ」
え? 何これ? 何? ジュースを? 私に? 買ってくれる?
「……気にしないで」
思わず断る。他人に貸しを作るのはまだマシだが、借りを作るのは我慢ならない。力を借りる行為には、どうしても自身の駄目さ加減を確認させられてしまうのだ。
「そ、そう?」
さくらと呼ばれていた女が笑った。がっかりしたのだろうか、少しばかりぎこちない笑みである。
「さくらー?」
「じゃあ、またね」
ああ。そうか、アレが友達なんだ。一緒にジュースを買いに行ったり、名前を呼び合ったり。ああいうのが、友情なのだろうか。私には良く分からない。