人を殺す病
人生について考える事は、誰だってあるだろう。生まれた意味、生きる理由、死についての妄想。人類が考え続け、結局まだ明確な答えは出せていない、非常に難しい話だ。
『人生とは旅である』という言葉ががある。わざわざニュアンスをここで説明する必要もない、共感しやすく、有名な言葉だ。
旅の始まりはグラデーションだ。目的地に向かっている途中で段々と特別な旅になる。特別な境目など見つけられやしない。終わりは明確にあるだろう。自分の居住に戻った時だろう。『あぁ、家に帰ってきた』と思った瞬間、それが旅の終わりである。
ならば、人の人生は、旅は、その最初は、グラデーションなのだろうか。
ふむ。確かにYESと言えるだろう。胎児の頃は自我がなく、育っていくうちにやがて思考を持ち、好き嫌いをつくり、性格ができる。どこからが人の人生かと言えば、確かに曖昧なグラデーションだ。
逆に、終わりもまた旅と同じで明確である。事切れ、全ての細胞が活動を停止した時。それが人の人生の終わりである。
さて、どうせ旅をするのなら、せいぜい楽しもうとするのが人情というものだろう。何が楽しいかは人によるが。平穏を求めたり、波瀾万丈を求めたり、出会いを求めたり、求めなかったり。どんな形にしろ理想の旅の形があって、そしてまたそれにそぐったりそぐわなかったりするのだ。
旅というものに形はなく、正解もなく、ifもない。しかし各々の理想があり、楽しもうと努力した形跡があり、辿った旅路というのは、否が応でも確かに残るのだ。
つまり、まあもう何が言いたいのかお分かりかと思うが、人間は、人生を楽しみたいはずなのである。
そう聞けば、それは当たり前のことだと思うかもしれない。そうだ。私はこれを疑ったことはない。
ここからが本題である。
では、『死にたい』とは何なのか。
昨今、『死にたい』『人生はクソ』『生きる意味は無い』なんていう言葉が蔓延しているように思える。降りかかる苦難に苛み、自分、周囲、世界に絶望した人々が、誰かが言っていた言葉に共感し、それを発信し、またそれを誰かが受信する。自殺者は年々増え、当たり前のように碌でも無いニュースを見ることになる。
何故、人生を楽しみたい筈の人間が、『死にたい』などと宣うのか。
私は、この言葉に隠されている本意が、『もっと良く生きたい』からなのだと思う。
良く、というのは、つまりもっと良い生活を送りたいということだ。周囲がもっと良い人間ばかりであれば、自分がもっと良い人間であれば、世界がもっと優しければ。
そう思った人々が、しかしそうでない事に絶望する。そして、『良く生きたい』という言葉が、他人に侵され、『死にたい』という言葉に変わるのだ。
私はこれを病だと思う。この世に蔓延する、最悪の流行り病。発した言葉というのは、自分をも洗脳してしまう。『生きたい』活力が、『死にたい』絶望に変わってしまう。
周囲に絶望したのであれば、逃げ出して環境を変えれば良い。自分に絶望したのであれば、その欠点を認めるなり、改善するなりすれば良い。世界に絶望したのであれば、あなたがほんの少しでもより良い世界にすれば良い。それら全てが出来なくとも、この世の全ては移り変わるものなのだから、『生きたい』活力を忘れず、いつか何かを愛せるようになるのを待てば良い。『死にたい』という言葉がなければ、人間にはそれが可能な筈なのだ。
死ぬというのは、それに比べれば安易な道だ。自分で自分を奮い立たせるのはとても大変な事だ。なるほど、確かに人間がそちらに逃げてしまうのも頷ける。
しかし、それは本当に最悪の道なのだ。たとえどれだけ絶望の谷底に沈んでいたとしても、死ぬという事はそれとは比べ物にならない奈落の底だ。全くもって次元が違う事なのだ。
死んでも良いなどと、口が裂けても言うべきではない。例えあなたが真に『自分は死んでも良い』と思っていても、その裏に『他の人は生きるべきだが』と言う思いがあったとしても。その『死んでも良い』と言う考えが誰かに伝播して、『生きたい』を忘れさせるのだ。
私は誰にも自殺をしてほしくない。どうか、『死にたい』などと言わないでくれ。そして出来れば、苦難と戦って欲しい。逃げるのも良い。ただ、何もせずに見過ごして、座して死ぬのを待たないでくれ。その道に進むのは難しいかもしれない。しかし、一歩進めば、あなたはもう止まらなくなるはずだ。あなたがその一歩を踏み出すために、私はこの文章を綴っているのだ。
月並みにも程がある言葉だが、手垢で塗れた言葉だが、『生きていれば良い事はある』のだ。『生きる意味はある』のだ。
だって、そうでなければ、人類などはとっくのとうに滅んでいるはずではないか。この数千年、幾十億の人が生まれ、全ての人間が生きる事について考え、死んだ。『生きる意味がない』のが答えであれば、それは収束して、人類は絶滅しているだろう。それだけの時間と人数をかけて答えを出せないほど人類は愚かな生き物ではない。そうでないのだ。人類は、今なお栄え、増え続けているのだ。それこそが、『生きる意味はある』という私の答えの証明である。
この世に生きる全ての無辜の旅人たちへ。
どうかあなたの旅路が、最後に振り返って、『悪くなかった』と思えるものであるように。