Bloody Familiar 《血で濡れた暗殺者》
今回、早乙女・天座×雨宮桜桃のコラボ企画でプロットを交換し、5000~20000文字程度の短編小説を書きました。私の考えたプロット『毎日、僕に汁を飲ませてください』、は雨宮桜桃の方で投稿しているのでご閲覧いただけると嬉しいです。
雨宮桜桃のユーザーページのURLはこちら→https://mypage.syosetu.com/2165482/
現在2XXX年、日本は変わってしまった。
過去、度重なる戦争や第三次世界大戦の影響で一度は全人類が滅びるのでは、と騒がれたらしい。
しかし、人類はしぶとかった。もうこれ以上進化することはないだろうと言われていた人類は異能の力に目覚め、もとより高かった科学技術との併用により世界的に文化の復興及び発展へとこじつけた。
雑草も顔負けの生命力だが、その浅ましくも欲深い精神は世界に更なる混沌を巻き起こす引き金となった。
異能力を使った犯罪行為や、度の過ぎたテロ犯罪である。
力を持った人間とは醜いもので、この美しくも誇り高い国を、黒く汚してしまうのだ。しかし、またその醜い人間を抑する存在も、力に溺れた傀儡人間なのだから皮肉である。
夜風が、肩にかかった髪の毛をなびかせ、肌に少しの冷たさを伝える。すっかりと暗く、そして黒く染まった空の下、眩いほどの都会の明かりが目下に広がるビルの屋上。そこで私は静かに、ため息を吐いた。
暗殺者というのは闇に潜む国の公安職である。異能犯罪やテロ犯罪の数が拡大したせいで発足し、最高峰の科学力と訓練された異能力をもって第一級の犯罪者を鎮圧し、国にあだなす者を殺害するのが仕事である。
『応答せよ、コードネーム【愛国者】』
装着していた小型インカムから聞きなれた少女の声が聞こえてくる。
「こちらコードネーム【愛国者】、私は応答する」
『こちらコードネーム【情報】。現在【静雨】と【氷顔】が標的の誘導任務を進行中』
「了解」
ビルの屋上の淵に立ち、一歩踏み出せば落下する位置で私は懐のピストルを取り出した。そして、吹き上げる突風を全身で受け止めながら、リボルバー式のピストルに弾を一発分だけ装填する。
こんなことを言うと、また怒られるんだろうが、何度やっても革手袋をはめたままピストルの整備をするのは面倒くさい。そんなことを思っていると、再度インカムに通信が入った。
『【愛国者】、準備に入れ。20秒前だ。カウントする』
【情報】の声が刻一刻とカウントしていくのを背景に、私はインカムを内部のプログラム装置にもつながるよう操作した。
「ファミリアコード810、私は装着する」
『認証しました』
目の前に桃色のホログラムが現れて、それらはある一つの形を形成していく。これが俗にいう『造形ホログラムプリンター』の技術である。これにより、任意の機械システムを任意の素材で瞬時に形成することが出来るのだ。
メカメカしくも重くはない仮面が私の顔面に装着された。憲法百四条、暗殺者に関する規定『人を殺めるとき、暗殺者は人であってはならない』、この瞬間だけ私は修羅の面をつける。
洒落の利いた頓智だとは思わないか? 笑わせてくれるだろう。
『3秒、2秒、1秒』
迫り来る時間の中、感覚は研ぎ澄まされていく。何者でもなく、ただ無機質に色のない存在へと変貌していく。やがて、心の庭は一面ただの漆黒に染まり、カウントは0を迎えた。
ビルの屋上から滑り落ちるようにして、無駄な力は全身から解き放ち、頭上を真下にして自由落下する。修羅の面により鼓膜などの器官は守られてはいるが、すごい風圧だ。
そのさなか、視点は流れゆく窓の奥、ビルの室内を捕えたまま、私はゆっくりとピストルを構えた。
私の同胞が普段とは全く違う様相で別の人物に成り代わり、標的と楽しそうに会話をする姿が目に入る。向こうも私の存在には気づいているはずだが、そんな素振りは1ミリとて表には出さない。流石は私の同胞だ。
両手で握られたそれは、その一瞬を迎えたところで火を噴いた。時間にすると1秒にも満たない時間であったが、私にとっては何10秒とでもとらえられる時間である。
打ち放たれた特殊弾は無機物を貫通し、誘導された標的の眉間をぶっ飛ばした。
「任務完了」
そう【情報】に伝え、すぐに通信を切り替える。
「ファミリアコード810、私は帰還する」
国が抱える異能力技術を使い、私はアジトへ転送された。
※
黒を基調とした一本道の通路。急速な落下の最中、この場所に転送された私は心の平穏を取り戻すとともに修羅の面を取り外す。
「あ~あ、毎度毎度思うことだけど、暗殺者なんてやってられないわ。バカバカしい。ホントにバカバカしい」
素顔をさらし、一本道を進んでいく私の前に『造形ホログラムプリンター』によって生み出された一枚の鉄壁が立ちふさがった。
大きく息を吸い、口から吐き出す。今日だけで何度目の、ため息だろうか。
壁の底辺にある凹に手をかけて、全身に力を漲らせる。床を土台に足から腰、背中から肩、両腕へと力は頭上を越えて伝達していった。
「ふンッ!」
その末、目の前に立ちふさがった300㎏の障壁を持ち上げる。そして、生まれた空間を通り抜け、数メートル先に見える扉を目指して歩みを進めた。
間髪入れず現れる石壁に対し、辟易とした気持ちを込めて右拳を作る。
「オラァァッ!」
石壁にアッパーカットが炸裂。頭上へと突き抜ける破壊力は一撃で石壁を砕き割り、通り道を開拓した。
頭の後ろを搔きながら、さらに歩みを進めて目的地である扉の前へとたどり着く。
『標的は?』
「殺す」
『反逆者は?』
「殺す」
『感情は?』
「殺す」
扉に備え付けられたスピーカーから、相変わらず何の意図があるのか分からない質問に三回答えさせられ、ようやく私はチーム【ファミリア】の本拠地へと迎え入れられた。
「お疲れ様、パト。相変わらずいい腕だね、アンタは」
一般的な企業に存在する会議室のような空間で上座に一人鎮座する少女は、くたびれた私にそんな激励の言葉を送ってきた。
歳も見た目も私と何ら変わらない存在であるその人物は一応、私の上官であり同胞である。
かわいい顔をしているくせに冷静沈着で頭がキレて口が立つ。それなのに身だしなみには乱れがあり、ズボラなところが見え隠れしている中性的な女。
帰ってくるといつも椅子に座っている、くせ毛上司を見ていると無性に腹が立ってくるのは毎度のことだ。
「【霧隠れ】、いい加減、あのセキュリティはやめてくれないか? どうして、仕事帰りの私が一々あんな重労働をさせられなくていけない? 絶対におかしい」
いつものように私が思いの丈をぶつけると、ミストは「また始まったか」、と言わんばかりの呆れた表情を見せた。
「何度も言っているだろう。この国を裏から守る暗殺者諸君らは常日頃から身の丈にあった能力を有していなければならない。それを証明するためなのだよ。ついでに防衛装置にもなって一石二鳥じゃないか」
にこやかに、そう言い放つミストを横目に、自分の席へと腰を下ろした私は再度、大きなため息を零した。
「そうカッカするなパト。お前のコードネームはなんだ?」
「なにを今更、『愛国者』でしょ?」
「そうだ。『愛国者』だ。名誉な名前じゃないか。数いる暗殺者の中でも、お前程国から見染められた名を持つ者はいない。そうだろう?」
「嬉しくないわよ、そんな名前」
一向に揺るがない私の態度を見てか、ミストは小さく、ため息を零す。
そんなことをしていると、私が入ってきたところと同じ扉が開いた。そして、その扉の向うにいたメディーが部屋の中へと入ってくる。
「お疲れさまメディー、今日も完璧なオペレータだったね」
チームのメンバー、一人一人に激励を忘れない上官の鑑を見せつけられる。部屋に入ってきたメディーこと【情報】はコクリとうなずいて自分の席へとついた。
「あーあ、パトもメディーくらい落ち着きがあったらいいのに」
「口うるさくて悪かったわね。全員が全員、メディーみたいに黙りこくったら、それこそ、このチームはお終いよ」
「私はパトのそういうところ結構、好きだよ。でも、別に常日頃から黙ってるワケじゃない。興味がないだけ」
メディーは表情を変えることなくそう言い残し、メガネの手入れを始めてしまった。
「あとは【静雨】と【氷顔】の帰りを待つだけか。まあ、あの二人は潜入任務だったから標的の死後、いろいろと面倒な仕事が残ってるだろうし、帰ってくるまで時間がかかるだろう」
「でしょうね」
予定では今回の任務が終了の後、再度すぐに別の任務に取り掛かる、と聞いている。しかし、レインとアイが帰ってくるまでは、先には進めない。そうとなればこの時間を無駄に使うわけにはいかない。私は日々、多忙なのだ。
「じゃあ私はちょっと仮眠でも、取らせてもらおうかな」
「ああ、そうするといい。おやすみ、パト」
「ええ、おやすみなさい」
返答して10秒もしないうちに私は夢の世界へと旅立っていった。
※
人は夢を見る生き物だ。夢を見ない人間はいない。
私はいつも同じ夢を見る。何もない大きな部屋の中で、ポツンと一人突っ立っている自分。
私には仕事以外、何もない。けど、一人になるのは怖いことだと思っている。
「お〜い、パト〜帰ったわよ〜」
心地よい微睡みの中で誰かが私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「次の仕事が控えてるんだから。早く起きないとイタズラしちゃうぞ〜」
ぬるま湯につかったような感覚から、少しずつ体を起こしてゆく。やがて、どんどん意識は鮮明になってゆき「ああ、そろそろ目覚められそうだな」、といったところで、わき腹に強い刺激が走った。
「ヒャンッ!?」
「う~わ、パトちゃんったら、ひゃん!? だって、可愛いィ~」
「アイ、殺されたいの?」
目覚めて一発目に拝んだのは、暗殺者のくせにツインテールをヒラヒラさせ、洋服も粧し込んで浮ついた少女の顔だった。
「業務外での殺しはご法度だよ。パトちゃん、知らないの~?」
「うっさいッ! 逃げるな!」
「アハハハッ! パトちゃん、こわ~い」
大して広くもない部屋をアイは縦横無尽に逃げ回る。こんな性格だが、仕事になると冷徹な存在になるのだから恐ろしい。
しかし、そんなことは今は関係ない。あの憎たらしい女に痛い目をみせなくてはいけないのだ。お昼寝の一番気持ちいい瞬間を邪魔した罪は深い。
「二人ともその辺にしておこう。じゃないとミストの雷が落ちる」
騒ぐ私たちを抑制したのは、席に座って落ち着き払っているレインだった。ポニーテールが良く似合う、落ち着いた少女。私やアイが暴走すると、いつも冷静になだめてくれる大切な存在だ。
時刻は03:30、私がアジトに帰還したのが大体、22時に差し掛かろうとしたころだったので5時間は眠れたらしい。
「ありがとう、レイン。じゃあ、全員そろったことだし席についてくれるかな?」
ミストの声かけにより、全員が仕事のスイッチを切り替え、集中する。
「さて、早速本題に入るよ。今回、私たちに依頼された仕事は正直に言って過去最大の難易度だと、最初に宣言しておこう」
「へェー、面白いじゃない」
【氷顔】は彼女なりの覚悟の現れか、そんな茶々を挟み込む。しかし、過去最大の難易度、【霧隠れ】がそんな発言を確証もなく口にするはずがない。なら私も、本当に覚悟を固めて仕事に取り組まなくてはいけないのかもしれない。
「上層部から降りてきた情報だが、ヨーロッパで騒がれていた巨大テロ組織、【シクサス】のメンバーが現在、一人で日本に潜伏しているらしい。様相、性別、年齢、能力、所在、すべてが不明だが、だからといって見逃していい話ではない。それは理解できるだろう?」
シクサスといえば昔、一時期は国家転覆も容易に可能だといわれていた異能力者集団ではないか。さすがの私でも知っているビックネームだ。
今でこそ、海外の暗殺者達に構成員を根絶やしにされ、組織は衰退の一歩をたどっているらしいが、当時の幹部連中の暗殺報告はまだされていない。マンパワーさえ失ったが危険な連中であることは変わりないだろう。
それが我が国、日本に参入してきたというのは非常によろしくない事態である。まだ一人だとはいえ、そいつを容易に泳がせてしまえば、日本のセキュリティは甘い、と海外のテロ集団に晒すようなもの。そんな事態は許されない。
「殺すよ、絶対に。任せて、【霧隠れ】」
「ああ、【愛国者】、頼りにしている」
【霧隠れ】から熱い瞳を向けられていた。同時に、【静雨】と【氷顔】の表情にも覚悟の色が宿ったのが分かった。
「しかし、今回の仕事はとても厄介だ。まず、標的を定かにしなくてはならない。現在、公安警察のほうで目下調査中、とのことだが我々も悠長に腰を据えている場合ではない。シクサスのメンバーを早急に暗殺するため、諸君らにも現場調査に参加してもらう」
「そういうことなら、私に任せて。少ない手がかりでも、私の能力なら検索をかけることが出来る。きっと役に立てるはずだよ」
「もちろん、【情報】の仕事は常に一級品だからね。今回もあてにさせてもらうよ」
「うん、任せて」
となれば、私と他二名の仕事は現場調査、ということか。いいだろう。
「では、【愛国者】、【静雨】、【氷顔】の三名には現場に向かってもらう。いつも通り、我々がファミリアであるということは悟られるな。仮面の使用も必要最低限に抑えるように」
「「了解」」
【霧隠れ】の司令に対して各々が声を出して了解の意を唱える。
「よし、じゃあ現場に出る三人には私の能力で変身してもらおう。どんな容姿がいい?」
「とびっきり、かわいいやつでお願い」
「私はあんまり目立たなくていいかな」
【霧隠れ】の異能力は、存在そのものから別の人間に成り代わる力である。【霧隠れ】本人のイメージで容姿や体格を定めることができ、それを他者に施すことも可能だ。
「なんだっていいよ、容姿なんか」
「分かった。じゃあいくよ」
【霧隠れ】が能力を行使することで私を含める三名は謎の光に包まれた。そして、その光が消えるころには私の姿は、どこにでもいるような特徴のない女の子へと変わっていた。
「それでは【愛国者】、【静雨】、【氷顔】、公安警察から得た情報をもとに標的が目撃されたらしき場所の調査任務にあたってくれ」
大きく息を吸ってから【霧隠れ】は場の空気を引き締め直した。
「もし、標的と出会したとしても先走るな。いつも通り、情報を持ち帰り綿密な策を立ててチームで叩く。それが、我ら【ファミリア】のやり方だ。分かったな」
「「了解」」
各々が、自分なりの覚悟を決めて、ミーティングは幕を閉じる。そして、それは同時に全ての幕開けでもあった。
※
「ファミリアコード810、私は出征する」
個々に【情報】から送られてきた情報をもとに、私は国が保有する異能力技術を使用して、現場へと転送された。
四方、ビルに囲まれた都会の街並み。時刻は04:12、この時間だと人の影は微々たるものだ。
この場所で怪しい人物の目撃情報が公安警察に流れてきたらしい。私の仕事は、その怪しい人物、という輩の調査である。もし、その人物がシクサスとは全くの無関係だった場合も、この国を危険に脅かす要因に変わりはない。故に、調査対象として判断しなくてはならない。
ビルのガラス張りに映り込んだ自分の容姿を確認して少しの時間、熟考する。
コイツの名前は田辺にしよう。いかにも、田辺って顔をしている。根拠はないが、しっくりとくる。パズルのピースがキレイにハマった感覚だ。
下の名前はアオイにしよう。葵《あおい》だろうが、蒼だろうが、どっちでもいいが、アオイという名のどこにでもいる感が、そこはかとなくいい。
そんなことを考えていると、後ろを向いて建物を二つ数えたところにあるビルから、けたたましい音と共に爆炎が上がった。
一流企業が本拠地として構える、ガラス張りの高層ビルが半壊し、中から燃え盛る炎と禍々しい煙が湧き上がってくる。
「なにごとだ?」
唐突なテロの現場に居合わせたのか? それとも【シクサス】のメンバーが遂に動き出したのか。どちらにしても爆炎の原因は調査しておいた方がよさそうだ。
「ファミリアコード810、私は装着する」
造形ホログラムプリンターによりガスマスクを制作し、私は爆炎のもとへと向かった。
ビルの炎上により立ちあがった煙を突き抜けてビルの中に入っていく。
ミディアムレアに美味しく焼きあがってしまいそうな、熱気を肌で受け止めながら私はあたりを観察した。
我が国の現代技術の象徴のような内装が粉々に破壊されつくしている。犯人を示すような手がかりは見つからず、どうしたものかと考えていると、上の方から物音が聞こえてきた。
足音である。二人、音の大きさからして、一人は75キログラム程の男性、もう片方は50キログラム前後の女性か。性別の区別は、進行のリズムによってだいたい区別がつく。誇らしくもない経験則だ。
とりあえず、上の二人に悟られることなく近づき、情報を集める必要がある。しかし、辺りを確認したところ、上へと繋がる通路は絶たれてしまっている。階段は既に火の海でエスカレータは半壊状態。この状況でエレベーターに乗るなど愚の骨頂なのは言わずもがな、そもそも私は普段からエレベーターという密閉空間など使用しない。
仕方がないので自分の異能力を使用することを決断する。頭上を見て、一歩前進すれば、立てる程の足場が上にあることを確認する。そして、頭の上へと突き抜けるような感覚のもと、重力に逆らい、歩行程度のスピードで体は垂直的に上へと昇っていった。
私の異能力は『頭上、一方向にのみ垂直的に力の働きかけが可能になる』、というもの。感覚の話でいえば、上り専用のエレベーターのようなものだ。
この力の話を聞いた者で、自由に飛行をする能力を期待する者は少なくない。しかし、私はそんな夢見るバカどもにいつもこういうのだ。『負荷のかかる重りを永遠に持ち続けることが出来る人間はいない』、と。
たしかに、度重なる訓練によって異常に発達した私の体幹であれば、能力の出力を調整することで、その場に限り滞空することや、頭上の方向を斜めにすることで上昇しながら移動することは可能だが、そのすべてが重力との闘いであることには変わりはない。
能力を発動し続ければ当然、体力は減っていくし、斜めの運動などは私の体幹をもってしても、能力との併用関係で5分静止するのが限界である。体幹がぶれれば頭上の方向が定まらず、まともな移動には使えない。
同胞たちと比べれば三段階以上も見劣りするハズレ能力である。
能力によって、ビルの真ん中より少し上の階層まで上昇し、足場となる場所に手をかけてよじ登った。そして、大きくなる足音の方向へと進行し、人影が見えたところで物陰に隠れた。
距離としては100メートルほど離れているところに、白人の男性と日本人らしき女性の姿が確認できる。その様子は共闘、結託、というよりは敵対、対抗、といった風に見えた。
女性が、逃げる白人男性を追いかけている。
あの白人男性は、私が探している標的の人物像と一致する箇所が複数ある。
シクサスは全世界から人員を集めた巨大な組織だが、拠点はヨーロッパである。固定概念は取り払わなくてはならないが、当然その容姿は外国人を想像するだろう。あの男を怪しむ気持ちはだれもが理解できるはずだ。
そしてもう一つ、逃げるために積極的に能力を使用する姿勢を見せる男性に対して、女性の方は能力の使用を極力抑えているように見える。男の手から上がる煙をみても爆炎を起こしたのがこの男だと断言できるだろう。この時点で第一級の危険人物である。
逆に、女性の考え方はまさに私と同義であり、この場の破壊を好ましく思っていないようだった。
あの男性がシクサスの構成員で女性は同業者、そう考えたくなるのは仕方がない。
決めつけるには早いが、あの男性のDNA情報を採取することは必至である。もともと雲を掴むような内容の仕事なのだ。情報は多いに越したことはない。
私は敵に悟られることなく近づくことが出来るチャンスをうかがっていた。しかし、展開は大きく変動する。
男が両手から放った巨大な爆炎は炸裂し、膨大な煙を起こして辺り一面を火の海で包んだ。
距離をとっていたといっても、私もその攻撃に対しては他人ごとではいられなかった。全身、すり傷だらけになることを覚悟して、体を後ろに倒し極力寝そべった状態になり、最大出力で能力を行使する。
背後への緊急脱出に成功した私は目前に広がる炎の壮大さに、衝撃を超えて呆れを感じつつ、少し下の階層へと転がり込んだ。
あの様子だと男性は逃げ果せ、現場は全焼、手がかりは期待できず、といったところか。DNA情報さえあれば【情報】の能力で検索をかけられるのだが、ないものは仕方がない。
どのみちあの白人男性はこの国の法を犯した異能犯罪者である。爆炎の能力と、その容姿は【情報】に報告し、別途調査してもらおう。
そう思い、踵を返そうと振り向いたところで、音もなく接近していた、さっきの女性に度肝を抜かれる。
「こんなところで、なにをしているの?」
「なッ⁉︎ どうしていきなり」
どうせ、あの巨大な爆炎に飲み込まれて焼け死んだと思っていたが、生きていたのか。それよりも、気配も悟らせず私の背後を取りやがった。何者だ? しかもこの危険な女は、歳も私と変わらない10代後半程ではないか。そのような思いが私の中で錯綜する。
見た目は全く強そうではない。むしろ、のほほんとしていてお淑やかな雰囲気を彷彿とさせる容姿なのに、どこか硝煙の臭いを思い出させるこの感じ。気に食わない。
「あ、私は怪しいものじゃないよ。ほら、これ」
そういって目の前の女は手帳のようなものを広げて、見せた。『警備会社スタンドF』、民間の警備員だったのか。いや、それにしては動きが機敏すぎる。コイツの一挙手一投足はまさにプロのそれだ。民間の警備員などが持っていていい力ではない。
「そんなことより、あなたよ、あなた。こんなところで何をしているの? 危ないから近づいちゃだめだよ」
私に対して特別、警戒や敵対の意志を抱いているような感じはしない。むしろ、守るべき民間人を相手にしているような物腰の柔らかさである。
「すまない。私は公安警察のものだ。たまたま、この現場に居合わせてね。近くに異能犯罪者がいないか調査しに来たんだよ」
私は公安警察の田辺アオイだ。こういうときのために【霧隠れ】が要した警察手帳も懐に忍ばせてある。抜かりはない。
「そうなんだ。ごめんなさい。私もこのビルの警備を任されてたんだけど、犯人を取り逃がしてしまって」
『取り逃がしてしまって』、ではない。そんなことは民間の警備員の仕事ではないだろう。なんなんだこの気が狂った女は。
「その分には構わない。必ず私が捕まえて見せる。この国を危険に脅かす存在を見過ごすわけにはいかないからな。そんなことよりお嬢さん、民間の警備員にしては些か動きのキレがよすぎるんじゃないかい? 前歴があれば聞かせてもらってもいいかな?」
私のそんな発言を聞いて、女はきょとんとした表情で驚いてみせる。
「いや、失礼した。これは悪い。職業病のようなものでね。どうしても気になってしまうんだよ」
「いいえ、気にしないで。よく前歴があることが分かったな、って驚いただけなの。あんまり他人には言いたくないんだけれど、私ね、昔は軍隊に所属していたんだ」
「軍隊? その歳でか?」
「ええ、ちょっと訳ありでね」
ということはコイツも。
「物心ついたころから身寄りがなくて、それで施設で生活していた私を国の偉い人が拾ってくれたんだ」
思いださせられるのは昔の記憶。孤児院にいた私を国の重役は拾い上げた。ファミリアのメンバーは元々、私と同郷の民であったが私とは明確に違い、その異能力を見染められて暗殺者となった。しかし、特別素晴らしい能力を持っていなかった私は身体能力を買われ、他者とは比べ物にならないレベルの訓練を行なわされた。
地獄のような日々を送り、暗殺者として活動を始めた私のもとに降りてくる仕事は、最も危険な最前線ばかり。能力に貴重性のない私の代わりなどいくらでもいるのだろう。それなのに長くしぶとく生き続け、仕事をこなした末に付けられた名前が【愛国者】である。本当はこんなことしたくはない私が、選択の自由を縛られて付けられた名前にしては皮肉の骨頂だ。
「そうか。すまなかった。今聞いたことは忘れよう」
コイツは今は軍隊から離れて、民間の警備員として細々と生活している。それだけでも幸せだろう。自分の選択ができた、ということなのだからな。
「ううん、気にしないで。もう昔の話だから」
そういって笑った彼女の笑顔はとても輝いて見えた。コイツは本当に自由になれたらしい。別に羨ましいとはいわないが、考えたことがない未来だと言われたら嘘になる。
「そうだ、よかったら私も公安警察さんに協力できないかな」
「なに?」
「任せて、指示にも従うし怪我や危険は自己責任にするから」
「いやいや、相手は既に大規模なテロを起こした第一級の犯罪者だ。民間の警備員が出る幕ではない。いくら元軍人だからといって、これ以上の介入はするべきではないだろう」
本心を言えば、私の体があの白人の捜査一つに拘束されてしまうことを嫌っての発言だが、コイツはどこまで信じるだろうか。
「でも、私は同じ警備員の同僚を何人もアイツに殺されてるの。あなたが共闘してくれないって言っても、一人でアイツを捕まえに行っちゃうよ」
それは困るだろう、と言いたげな表情だが、私、【愛国者】の意見としては一切困ることはない。そう言い切ってしまいたいが、今は公安警察の田辺アオイにならなくてはいけないのだ。その立場なら民間人が勝手に介入してくる事態は困る。
「確かにそれは困る。勝手な行動をしてもらってはこちらの動きに支障が出るからな。よし、分かった。それではキミを私の協力者として迎え入れよう。どうか一緒に、母国を脅かす凶悪犯を捕まえよう」
「うんうん、よろしくね。そうだ、まだ自己紹介をしていなかったね。私の名前は花宮カレン、カタカナでカレンっていうんだ。珍しいでしょ」
ウキウキとした感情が体から溢れているのか、カレンは嬉々としてそう言った。
「これは驚いた。私は田辺アオイといってね。私もアオイはカタカナで書くんだよ」
二人で目を見合わせて、笑う。そして、カレンは私の右手を両手で優しく包み込んだ。
ここに、全く仮初の協力関係が生まれたのだった。
※
「アオイちゃんはどうして警察官になったの?」
炎上したビルを出て、私はカレンと街の中を歩いている。ビルは私が【情報】に連絡して、本物の警察官と消防隊員に任せる手はずをとってもらった。そして、私は今、カレンに正体を偽りながら、その任務さえも偽って、白人男性を追いながら、シクサスの情報を集めるという、肩の凝りそうな仕事についている。
「私かい? そうだね。私も別に警察官になりたかったわけじゃないんだよ」
「そうなの?」
「ああ、別に今の仕事がイヤってわけじゃないんだけどね。私もカレンと同じさ。選択肢なんてなかったんだよ」
もし、私に帰る家があったら。もし、私に帰りを待つ家族がいたら。もし、私に頼れる存在がいてくれたら。昔からよく考えた、たらればだ。しかし、そんなことを考えても現実は無情なものである。
人は夢を見る生き物だが、夢は夢であり現実ではない。そんことは痛いほど理解している。
「そうなんだ。じゃあ、なんで辞めないの? 私みたいに辞めちゃえばいいのに」
「辞められないんだよ。私はこう見えても優秀でね。私をその道に引き込んだ国のお偉いさんが私を離してくれないのさ」
「なにそれ、そんなのおかしいよ。なんでやりたくもないこと、しなくちゃいけないの?」
「ハハハ、ありがとうカレン。人に同情されるのは何年ぶりだろうね。カレンがそう言ってくれるだけで十分だよ」
任務のさなか、不思議と心が和らいでいることに疑問を感じる。 今、私は田辺アオイである前に【愛国者】なのだ。みんなに囲まれて、軽口を叩きあうパトでもなく、【愛国者】なのだ。
同じ経歴を持つカレンに絆されてしまったのか? 私が叩き込まれた暗殺者の教えはこんなに簡単に瓦解するものなのか?
「どうしたの? 切詰めた顔して」
「ううん、なにもないよ。 それよりも、黙ってついてきて、と言っていたが、どこに向かっているのかな?」
「ん? あの犯罪者のところだよ」
「犯人の居場所がわかるのかい⁉︎」
「うん、私の能力はそういう力だからね」
元軍人というのだから、もっと火力の高そうな能力を想像していたが、期待を裏切ってくれた。各いう私も暗殺者に向いている能力か、と聞かれれば、ビルの窓ふき程度にしか向かないハズレ能力なのだが。
「それは心強いな」
「うん、任せといてよ」
そんな自信に満ち溢れた横顔を見つめながら、私は少し考え事をしてついていく。そして、一時間程歩いたところで、カレンが足を止めた。
そこは都市部からかなり離れた人気のない市街地。立ち並ぶ店々はシャッターを下ろし、もの家の空なんて状態の家も多いだろう。こういった場所は前々から国主導で開発計画が発案されているが、どうにも話は進展していないらしい。
「ここだよ」
ほかと同じくシャッターが閉じている小ぢんまりとした事務所のような建物。
「ねえ、アオイちゃん。この仕事が終わったら二人でどこか遠いところに逃げない?」
「え?」
それは唐突な提案だった。
「私がアオイちゃんを自由にしてあげる。誰にも干渉させない。私が守ってあげるから。仲間はほとんど殺されちゃったから私、寂しいんだ。だから、私と一緒に行こうよ」
「でも、それじゃあ、私は国を裏切った反逆者になってしまう」
「それでもいいじゃない。反逆者のなにが悪いの?」
「いいわけない。第一級の犯罪者なるんだよ?」
そんなことを言いつつも、本当は自由の身になりたい、そう心から願っていたアノ日々を私は知っている。
「じゃあ、ものごとの良し悪しってのはなに? なにを物差しにして図るの?」
そんなカレンの問いかけに私は答えることができなかった。
「同じ公安の職に就いているなら分かると思うけど、公安職の中に暗殺者、国お抱えの殺し屋っているよね」
狙ってか、それとも偶然か、カレンはピンポイントなワードを口にした。
「アレってなんなわけ? 国の秩序を守るために人を殺しても構わない? そんなわけないよねえ。アレがまかり通るなら、自由を掴むために何もかもから逃げることの何が悪いの? 私は殺し屋なんて大嫌い。 アオイちゃんも、そう思わない?」
いい淀む私を見て、カレンはそれ以上なにも言わなかった。少しの間、沈黙が場を支配する。
「分かった。すぐに答えは出さなくてもいいよ。とりあえず、アノ犯罪者をひっ捕らえよう。協力してくれるよね。アオイちゃん」
「あ、ああ。けれど、少し待ってくれるかな? 公安には公安の段取りっていうのがあるんだ。すぐに突入ってのはダメだよ」
「そうなの?」
「ああ」
「分かった。じゃあ、そういうのはそっちに任せるよ」
「理解ありがとう。じゃあ、また連絡を取らせてもらうよ」
私はそう言い残し、カレンから距離をとってビルの炎上時のように【情報】に通信要請を送った。
仕事の話をしていると、頭の中がキレイに整理されていくようでスッキリする。つくづく自分には仕事しかないのだと理解させられているようでショッキングだが、それが自分なのだから仕方がない。
もし、何もかもを投げ出して、自由の身になったら私は満たされるのだろうか。私の夢は彩られるのだろうか。
『こちら【情報】、応答する』
「数時間前に報告した白人男性の件だが、居場所を突き止めた。至急、【霧隠れ】に伝達の後、作戦の指示を求む」
『その必要はない』
私の要請に【情報】は二つ返事で断りを入れてきた。
「どういうことだ?」
『【氷顔がシクサスの構成員のものと思わしきDNA情報を入手した』
それは嬉しい誤算だった。
「ほんとうか⁉︎ じゃあ、早速検索をしよう」
『落ち着くんだ【愛国者】。どうした? 様子がおかしいぞ気を引き締めなおせ。検索ならもうとっくに済んでいる』
「あ、ああ。すまない。色々あって」
『色々? そうか、じゃあ改めてお前に質問する必要があるようだな』
【情報】はいったい何を言っているのだ? その発言の意味が私には分からなかった。
『コードネーム【愛国者】、質問する。標的は?』
「ッ! 殺す」
『反逆者は?』
「.........殺す」
『感情は?』
「.....................殺す」
だんだんとロウトーンになっていく【情報】の声。
『そうか..................コォンのドぐされバカ女ガァッ!」
「ッ!」
仕事の時は命令口調になる【情報】だったが、こんなにも荒げた声を聞くのは初めてだった。
『いいかァッ!【愛国者】。よーく、耳を澄ませて聞けェッ! 腑抜けたお前を私はバックアップするつもりはなァいッ! せいぜい、殺されねェよう気をつけるんだなァッ!』
「おい! 様子がおかしいのはそっちだろう。どうした? なにがあった? 検索の結果は?」
私には現状が全く飲み込めなかった。なぜ、【情報】は怒っているのか、そしてなぜ、それ以上私の通信に応えてくれないのか。私にはまったく理解ができない。
【情報】との通信が切れたインカムが別の通信を拾う。
『こちら【氷顔】、パトあなた【情報】を怒らせるなんて、相当やらかしたようね』
「パト、って今は仕事中だろう?」
『みんなはどう思ってるか知らないけど、私はあなたのこと好きだから教えてあげる。私の拾ってきた情報をもとに【情報】が検索した結果、標的の居場所を突き止めることが出来た』
【氷顔】はゆっくりと落ち着いた声で言葉を連ねる。
『標的は――』
【氷顔】との通信に耳を傾けていると、経験上なんだか悪寒のようなイヤな雰囲気を感じ取る。そして次の瞬間、【氷顔】の言葉と同時にその存在を目の当たりにした。
『あなたの後ろよ、パト』
勢いよく振り向く。すると、そこに立っていたのは白人男性の生首を右手に鷲掴みにしたカレンの姿だった。
「アオイちゃ~ん、決心ついた?」
「それ」
「え? これは私の同僚を殺した悪い人の首だよ。私がこうして暗殺者の真似事をしたらアオイちゃん踏ん切りがつくかなァ~って」
「うそ」
「え? うそじゃないよ。この人は本当に私の同僚を殺した悪い人なんだよ」
うそじゃない? そんなはずはない。【氷顔】の言うことが間違っているとは思えないし、それに簡単に人を殺めるこの狂気、間違いない。カレンこそが私の標的だったのだ。
なら、うそじゃないっていうのは同僚を殺したっていう..........ということは、この白人男性の正体は、シクサスを崩壊寸前にまで減らしたというヨーロッパのアサシンの一人。だから、カレンは殺し屋なんて大嫌いだ、と。
点と点がつながっていく。なるほど、だから【情報】は怒っていたのか。なるほど、向こうの視点で見れば私は標的と共に行動し、様子がおかしくなった反逆者ってわけだから。
昨日も合わせて、一番大きなため息が出た。
「うそだよ。そうなんでしょ。どこまでが本当なの」
「急に何を言ってるの?」
「そうだね。じゃあ、私から打ち明かそうかな。私は公安の警察官じゃない。私の仕事はカレンの首を撥ねること」
「なにそれ、ホント?」
「ええ、本当。名前だって田辺でもなければ、アオイでもない。私に名前はない。孤児院から拾われたときにそんなものは捨てている」
その発言がトリガーとなったのかカレンの表情は歪んでいく。
「名前を捨てた? それじゃあ、まるで............」
「暗殺者、っていいたいの?」
カレンは2秒ほど目を閉じて、そして笑い始めた。
「そっか、そうだったんだ。お互いうそつきだったんだ。こりゃ傑作だァ」
「そうね。私もカレンといた時間は悪くなかった。素直にそう思ってた。同じ境遇で、同じ状況にいて、きっと同じ思いをしたのだろうって。でも、それもうそだったの?」
「うそじゃないよ。私は日本の孤児院で生まれ、国に拾われ、軍人として使われていた。13の頃には強力な異能力を見染められて、前線に立たされていたんだから。境遇はアナタと同じだよ」
カレンはくたびれた様子でそう吐き出した。
「同じじゃない」
「え?」
「ご飯は、皆で揃ってお日様の下で食べるからおいしいんだって、幼き日のアイが言っていた。なんでだろうね、ずっと忘れてたのにこういう時にかぎって思い出すんだから」
「は? 何を言って」
「私はカレンが全うな人生を送ったうえで自由になったと思ったから。だから、羨ましかったんだ。シクサスが国家転覆をもくろむ裏で、どれだけ極悪非道な行為をしてきたか、私は知っている。お天道様に顔向けできないようじゃ、どこまでいっても幸せにはなれないんだ」
カレンの表情は鋭かった。さっきまでのニコやかでお淑やかな彼女が、まるで別人のように変わり果てている。
「都合のいい話だね。そっちだって何人も殺してるんでしょ。何が違うっていうの、私を歪ませたのはこの国そのものだ。国家転覆をのぞんで何が悪い。シクサスは私を助けてくれたんだ。暗殺者どもは私の仲間をみんな殺していったんだ。お前らだって一緒だろッ!」
「私は無関係な人は殺さない」
「そんなもの方便だッ! 国が悪なら国民も悪ッ! 粛清してなにが悪いんだッ!」
「それぞれの正義があることは理解しているよ。だからこそ、私はカレンを分かってあげられない。でも、だからといって私はカレンが必ずしも悪だとは思わない。だって、自分も一歩間違えればそうなっていたと思うから。私がそうならなかったのは、【親友】のおかげ。どうしてかな、一人になるのがずっと怖いって分かってたのに、ずっと近くにいると分かんなくなっちゃうみたい。どうして、1人で逃げ出そうとしたんだろう、5人全員、孤児院からの付き合いなのにね」
「うん、そっかアナタとは分かり合えないんだ。じゃあ、死んでッ!」
カレンは私に目掛けて右手の生首を投げつける。ボーリングの玉ほどの重量を持つ人間の頭が、まるで野球のストレートのような速さで飛んでくきた。それだけで、異常な身体能力であることは明白である。
「ファミリアコード810、私は武装する」
※
ピンク色の修羅の面が私の顔に覆いかぶさり、【愛国者】の武装すべてがこの身に装着された。それは、私が扱うすべての武器や道具たちであり、極まれにある正面戦闘の時にのみ装着する装備である。
それと、同時に【霧隠れ】の変身能力は解除された。そして、勢いよく腰から寸法、400㎜ほどのナイフを抜き、飛んできた生首を上方向に切り裂き、木っ端みじんに粉砕した。
「カレンがもう二度と間違わないように。ここで私が殺してあげる」
「お前ごときがッ! 私に勝てると思うなァッ!」
地面を蹴ったカレンの速度は人智を超えていた。それは薬や能力によって身体能力を強化したものによく似ていた。
牽制の左ジャブが私の顔の横をかすめる。仮面を付けているのにも関わらず顔面を狙ってくるとは、仮面ごと粉々にする自信でもあるのだろうか。そう思っていたらカレンが伸ばした左手の平から何やらイヤな音が聞こえてくる。
その攻撃を、一度も見たことがなかったのならば、きっとすでに爆炎の餌食になっていたのだろう。カレンは白人のアサシンが使っていた能力を私に向けて使用したのだ。
それにはさすがの私も能力を使用しての緊急回避を使わざるおえない。
人気のない市街地に炎が立ち込んだ。
「それもうそ? 能力は探索系じゃなかったけ?」
「うそは付いていない。探索系の能力もコピーして使えるの。アナタの能力、便利そうね使わしてもらおうかな」
そういうとカレンは私と同様に上昇し、目線が合う位置までやってきた。
「なにこれ? 前に進めない」
「コピー系の能力とはまたいい能力を持って生まれたんだね。私の使い勝手の悪いグズ能力とは違ってさ」
一定の距離を保った二人が上空で滞空して、前に進めず目を合わせ数秒が立つ。ある程度の手練れ同士の戦いとは思えないほど間抜けな光景である。
そんな状況を打破しようと、先手をうったのは私だった。右手のナイフを左手に持ち替えて、右手は胸元の拳銃を抜き、構える。そして、回転式弾倉を小刻みに回転させ、計六回の火薬が火を噴いた。
「おもちゃ、じゃ私は殺せないよ」
見えない盾にでも守られているのだろうか、私が放った弾丸は六発ともカレンの肌に炸裂することは叶わず空中でその動きを止め、勢いを殺され地面に落ちた。
爆炎の攻撃力に正体不明の防御力、身体強化系も併用していると思われ、逃げようものなら探索系で死の淵まで追いかけられる。改めて現状を言葉にしてみると、いったいどんなバケモノと戦わされているんだ、と可笑しくなってくる。
おまけに、頭上方向にのみ上昇できるバケモノ、なんだか面白いではないか。
「なに笑ってんだッ!」
「いいや、べつに」
さあ、いったいどうやってコイツの首を撥ねてやろうか。見えない盾は非常に厄介である。盾を破壊するだけの攻撃力を出す自信はあるが、そのあとに待ち構えるトドメの手数がどうしてもたりない。
ある程度の高度から、能力で速度を殺しつつ重力とのバランスをとって落下する。そして、市街地の建物の屋根に降り立った私をカレンは空中から見つめていた。
カレンも私と同様の手法で降下を試みるが、どうもうまくいかないようで勢いよく落下し地面に突撃する。しかし、致命傷とはならないようだ。回復系の能力まで持っている、と思った方がよさそうである。
「いったァー。なにこの能力? 今までコピーした中で一番いらないんだけど」
「そりゃァねえ、私がこれを使いこなすのにどれだけの苦労を積んできたかって話よ」
「あ~イライラする。そろそろ本気で殺しに行っちゃうよ」
「いいよ、かかってきなさい。殺しのプロに殺しで戦おうなんて100年早いって知ればいいわ」
地を蹴るカレンはズンズンと加速する。進行の起動に残像が残るほどのスピード、訓練を積んでいない者なら目でとらえるのも至難の業だろう。しかし、私にとってそれは目でとらえられない程のものではなかった。
そんなカレンは、私を自分の間合いへと入れることに成功する。右手のストレート、肩や腰の予備動作から次の攻撃は推測できる。爆炎の能力か、もしくは全く別の能力か、どちらかは分からないが大技が飛んでくるのだろう。
カレンが放つ技が飛んでくるまで、おおよそ1秒半、といったところだろう。
さて、暗殺者にとって必須、ともいえる技術は何だろうか。高い攻撃力、目にもとまらぬ俊敏性、能力の優劣を覆す戦闘スキル、確かにすべて必ようだが、それだけでは三流の仕事しかできない。
目の前にバケモノになくて私にあるもの。それは、高度で精密な演技力である。
暗殺者とは必ず、その太刀筋を見破られてはならない。相手を殺すための一手、それを悟られるようじゃ暗殺者は務まらない。
カレンの予備動作に合わせて体制を低くして腰を構える。暗殺者が己の身体能力を開放するのは、殺しを行うその一瞬だけでいい。私は数コマ前の2、3倍の速度で右拳をカレンの顎に目掛けて打ち放つ。
【上手掛け】、どうしようもなく扱いにくく、まともに使用することのできない私のグズ能力が生んだ最終奥義。地面を土台に、足から腰へ、腰から肩へ、全身をめぐる、生み出されたパワーはやがて拳に伝わり頭上方向へと炸裂する。
限りなく精密で、一切のズレを許さない上方向の攻撃にのみ、私の能力は絶大なる威力を上乗せすることが出来る。
カレンの顎に到達する際に感じる見えない壁のような違和感。そんなものをもろともしない私の拳は勢いを殺すことなく標的の急所を狙い撃つ。
人の体を、重力に逆らい自動車ほどの速度で上昇できる力が、全て加わり、カレンの体を上空へと吹き飛ばした。
この能力を敵の顎へとブチ当てた場合、私の拳に残る感触は、標的の骨が砕けたような感覚である。しかし、今回はその感覚が非常に薄い。さすが一時期、世界を騒がせていた犯罪集団の生き残り、本当にバケモノだ、と笑いたくなる。しかし、もう私の仕事は終わったいた。
数秒前からピリピリとした雰囲気でインカム越しに小言を言ってくる【情報】と、その裏に潜む我らの策士、【霧隠れ】の思惑がドンピシャに決まったのだから。
「ファミリアコード1200、武装」
上空に打ち上げられたカレンの体を無数の拘束具が襲い掛かる。全身を特殊なロープでぐるぐる巻きにして、その上から鉄の巨大な輪っかが首から下に装着された。
全身を拘束されたカレンはそのまま地面へと落下する。さっきまでのカレンなら身体能力の強化と回復系の能力のおかげで、この程度ならノーダメ―ジで済ませられるのだろうが今回はそうはいかない。
「どう? 私の能力が付与された拘束具のお味は?」
私が立つ建物から一つ後ろの建物に潜んでいた【氷顔】が私の隣にやってきて、そう言った。
「能力が使えないでしょ? アナタみたいに能力を理性で抑止できない、おバカさんを殺すために私はいるのよ。よくも私の大切な人を誑かしてくれたわね」
水色をした、目のない亡霊の仮面をつけた【氷顔】が冷徹に、そう告げる。
「離せ..................ゴミムシ共ッ!」
「驚いた。じょうぶね、アンタ」
落下のダメージにより、骨も内蔵もグチャグチャであろうにカレンは苦しみながらも牙をむいてくる。
そんなカレンからは、とてつもない執念と強い意志のようなものが感じられた。
「殺しにいくんだ、私の仲間を殺した暗殺者共を。あいつらは私の居場所を奪っていったんだ。絶対に許さない」
ポロポロと涙を流しながらカレンは何度もそう言葉にする。
「あー恐ろし、鬼の目にも涙ってやつ? 犯罪者のくせに泣いてんじゃないわよ。アンタが殺してきた無関係の人間に祟られて死ねばいいのに」
「アイ、さっきから、うるさい」
グチグチと不満を言葉に乗せて吐き出していたアイを抑止しながら、私はカレンの前に立った。そして、修羅の面を外してカレンの瞳をその目でとらえる。
「介錯ってわけじゃないけど、最後に。私を自由の道に誘ってくれてありがとう。でも、やっぱりカレンとは行けないや。私には近くにいてくれる大切な仲間がいるから。でもね、カレンだって一人じゃないんだよ。私が一人にはさせないよ。この世で4人しか知らない私の名前、別れの言葉として教えてあげる。私の名前は――」
カレンはずっと寂しかったのだろう。だから、私に一緒に来るよう誘ったのだ。私にはカレンの気持ちが痛いほど分かる。私だってファミリアのみんながいなかったら、本当にどんな人生を送ってきたか想像もつかないから。
朝の乾いた風が、遠くから放たれた銃弾の発砲音を運んでくる。
最後に私の言葉を聞き終えたカレンは、頭を撃ち抜かれるさなか、少し笑っているように感じられた。それは、私の勘違いだったのかもしれないが、最後の一瞬でも彼女の心がつらい苦しみから解放されていることを私は願っている。
「任務完了」
隣のアイがインカムに向かってそう伝える。
「帰ったらメディーに謝っときなさいよ。私が通信つないだとき、パトが裏切った~って仕事中なのに大慌てしてたんだから。あと、レインの配慮にもね。心の底では殺したくないんだろうなって、あの子らしい考えかただけど。本当ならトドメはアンタの仕事なんだから。レインはあくまで保険だったのよ」
「うん、分かってるよ。皆には心配かけた」
「ホントよ、まったく」
「うん、ごめんねアイ」
「珍しく殊勝じゃない。じゃあ、埋め合わせとして今度、デートしましょ」
「それは無理。レインも入れて三人ならいいよ。メディーとミストはどうせ外には出たがらないだろうから」
「じゃあ、二人にはお土産、買ってこないとね」
そんなことを言いながら私とアイはファミリアのアジトへと帰還した。
このあと、ミストにはこっぴどく怒られて、メディーは2、3日、口を聞いてくれなかった。レインは相変わらず落ち着いているし、アイはいつも通りうっとおしい。
お土産として買ってきた木彫りのクマの置物は不評だったが、今もアジトに飾られている。