こうして彼女は期待を抱く
最初に彼女が抱いたのは直ぐに無駄だと切り捨てる事になる期待であり、何処の誰かを入学式中の噂話で知った後は嫉妬であった。
仲の良い家族も、賞賛される力も、財産も……アリアが持っていない物を持ち合わせている二人は見ているだけで眩しくて、抱いた嫉妬も直ぐに馬鹿みたいだと忘れ去った。
嫉妬とは結局の所、相手より自分の方が本当は上なのだと思えなければ抱ける物ではない。例えるなら絵の勉強をしている子供が同じく学んでいる友人の腕に嫉妬する事は有っても、歴史に名を刻む偉人の腕に嫉妬しないの様に。
「……忘れよう」
あの人達は蔑まれて生きる自分とは違う世界の人間であり、生涯関係無い存在だとし、胸に抱いた淡い期待は夢でも見たのだと自分に言い聞かせる。
「……ちょっと待ちたまえ。一応同じ国の貴族として君に言わなければいけない事がある」
そんな彼女は入学式の終了後に何度も経験した事を繰り返そうとしていた。
何かした訳でも、本当に何か起こった訳でもないが向けられる疑惑と恐怖の混じった視線、そして悪役である自分を排除したいと願う歪んだ使命感の持ち主による言葉。
表面上は怯えた様子で了承しながらも、内心では何時もの事と何も感じない諦めの境地だ。
周囲も自分に怯えながら野次馬に徹し、目の前で自分に要求を告げている男を心の中で応援する。
そのまま誰も助けてくれず、適当にやり過ごす……筈だった。眩しいと感じ、関係無い相手だと思っていた者に助けられる迄は。
自分が珍しい力だから興味本位や気紛れで? どうせ直ぐに何時もと同じになるんじゃないか?
そんな風な疑念は少しの会話で吹き飛ぶ。
感じ取ったのは圧倒的な自信、アリアが生涯持てないと思っている物だ。
「……この人達は本当に私を怖がらないんだ」
今から一緒に鍛えようと布で包まれた武器を肩に担ぐリアスを見て呟く。
これまでの人生で近寄って来た者が居なかった訳ではないが、結局は周りの声に押されて離れていったり、偶然起きた不運を彼女のせいにしたりで離れるか、容姿に目を付けて欲望丸出しで近寄る者が若干居た程度。
この人達は何かが違うのだと、アリアの心を覆う分厚い氷は僅かながら溶け始めていた。
「ほら、これなんか良いんじゃないかしら?」
私に差し出されたのは白を基調としたローブ。胸元の留め具に設えられた宝石細工以外には無駄な装飾もないのに生地の美しさだけで一つの芸術品として完成されていた。
「こ、こんなの私が着る訳には……」
私程度じゃ傷一つ付ける事すら不可能で、これが傷付く状況なら私の命なんて簡単に吹き飛ぶなんて事は直ぐに理解した。
理解した上で私はこれを着る事を拒否してしまう。だって汚しでもしたらと思うと絶対に落ち着かないのだから。
このローブ、ルメス家の税収の何年分なのだろうか……。
「だって私達が誘った先で怪我でもされたらクヴァイル家の名折れじゃない。じゃあ、私が着ろって命令した事にしましょうかしら? 汚しでも良いとか適当な紙に命令書を書いて……」
「わ、分かりました! 着ます! 着ますから!」
この様な物をポンッと私みたいな下級貴族に貸し出す上に、わざわざ一切の責任を負わせないって書いた書類を作成するだなんて今まで会った他の貴族では考えられない事だ。
……リュボスの貴族ってこんな感じ……いや、多分この兄妹が変わっているのだろう。
風の噂では街作りを任されて大成功を収めたとか、優れた魔法の使い手で既に王宮に仕える人達並みの力を持っているとか、まさに私とは大違いだ。
ローブの生地の手触りは心地良く、着ているだけで心が安らぎそうだ。
「あの、本当に私なんかの為に……」
「だから気にしなくて良いって言っているでしょう? 私が勝手にやった事だし、貴女は巻き込まれただけなんだから。まあ、そうね。これを借りだと思ったのなら……何時か本音で話し合ってみない? 貴女が構わないと思った時で良いから」
「え? ほ、本音ですか?」
「ええ、本音。……あっ!」
見抜かれた? 今まで誰も彼も見抜けなかった仮面を見抜かれた事に対し、演技を続けつつも心の中で慌てた時、リアスさんが慌てた様子で自分のローブを着始めた。
「急いで裏庭に行かないと! お兄ちゃんが大変な事になっちゃうわ!」
「え? ええっ!?」
急かされる様にして私もローブのフードを被り、布に包まれた武器だという荷物を肩に担いだリアスさんの後に続いて駆け出した。
あんな荷物を担いでいるのに私よりも軽やかな足取りで、私がついて来ているのか時折確認する余裕すら見せるリアスさん。
……魔法も体力も凄いだなんて羨ましいな。
羨望や嫉妬ではなくて劣等感を覚えつつ屋敷の裏に向かった時、突然甲高い鳴き声が響き渡った。
「この声は……猛禽類?」
「あら、惜しかったわね。正確にはグリフォンよ」
「グ、グリフォン!? まさかそんな……」
グリフォンといえば高い知性と獰猛さを持ち、群れれば中型のドラゴンさえ一方的に仕留める恐るべき怪物。
そんな存在が王都内部に居るだなんて、私を驚かせる為の嘘にしては杜撰過ぎるし、もしかしたら私の事を世間知らずの田舎者だと馬鹿にしているのではと疑ってしまう。
「ほら、彼処を見なさい」
「あれは……」
私の心中を察してか、心外だとばかりに不満顔を見せるリアスさんが示したのは巨大な鳥の足跡と、それに続く獣の後ろ足の足跡で、周囲には数枚巨大な羽根が散らばっている。
「私ってバレバレの嘘を吐く馬鹿に見える?」
「い、いえっ! そんな事は絶対に有りません!」
しまった! 幾ら何でも露骨に態度に出してしまった様子だ。
「……間に合えば良いんだけれど」
少し心配そうにしながら速度を上げる彼女に続く為に私も必死に急げばフードが取れて髪が風になびく。
実の祖父母でさえ不気味がり、母だけが受け入れてくれたこの黒髪を綺麗だと誉めてくれた他人はロノスさんが初めてで、そんな彼がグリフォンと遭遇して戦いになっているかも知れない。
「……もしもの時は私が」
あの時、私は嬉しくって、母が死んでから初めて幸せな気持ちになれた。
どうせ一度は捨てても良いと思った命、失った筈の希望を取り戻してくれた彼の為なら絶対に人前で使わないと決めた闇の魔法を使ってでも……私の命を犠牲にしても構わない。
そして屋敷の裏庭に辿り着いついた時、私は驚きの光景を見る事になる。
「そうでちゅか~! アリアさんも乗せてくれるんでちゅね~。ポチは優しい子でちゅよ~」
「キュイッ! キューイ!」
雲の上、別世界の住人にさえ感じ、顔を思い浮かべるだけで胸が痛む相手がペットだというグリフォンを撫で回しながら赤ちゃん言葉で話していた。
……ちょっと可愛いかも。
あのグリフォンがまるで犬か猫みたいに甘えているという事は、ロノスさんが完全に従えてると判断しても良い筈。
凶暴な怪物でさえ従え乗りこなす……まるで物語に出て来る騎士みたいだと思った。捕らわれたお姫様を助けに数々の冒険を繰り広げる英雄。
私も想像の中で自分をお姫様にして英雄に救って貰った事が有るけれど、私じゃ打ち倒される魔女が関の山だと今までの人生で学んでいる。
「じゃあ早速行こうか。アリアさん、ポチなら大丈夫ですから安心して乗ってよ」
「……はい」
本当は怖いけれど、私は迷わず乗る事を選ぶ。
だってロノスさんが大丈夫だって言ったのなら疑う必要なんてないから。
……私は既に自分が抱いた想いが何か悟ってしまった。
これは間違い無く”恋”だ。
今まで自分には無関係だと思っていて、実際してみれば相手は住む世界が違い過ぎる相手だけれど、せめて卒業後は一切関わる事が無いとしても学生の間は淡い夢を見ていたい。
私が闇属性を持って生まれなかったら、ロノスさんと釣り合う家の出身だったら、そんな想像をしながらポチの背に乗り、私の後ろに乗ったロノスさんが手綱を握る、
彼の腕が後ろから伸びていて、存在を直ぐ後ろに感じて、まるで背後から抱き締めて貰える直前みたいだった。
「……あれ? リアスさんはどうやって行くんですか?」
「魔法よ。取って置きのを思い付いたの! ”エンジェルフェザー”!」
魔法とは各自が持つ属性に対し、”これならこんな事が可能だ”というイメージの具現化。
リアスさんが叫ぶと同時に周囲から光が背中に向かって集まり、金色に輝く翼の姿になるなり空に飛び上がった。
「ポチ、競争よ!」
「……キュイ」
張り切った様子のリアスさんを直視出来ず、私は再び劣等感に襲われていた。
ああ、矢張り私は……。
「矢張りアリアさんの髪は綺麗だな。……おっと、急にゴメンね」
後ろから突然聞こえた何気ない呟き、それは沈みかけた私の心を引き上げる。
「いえ……嬉しい位です。誉めてくれたのはお母さんだけでしたから」
「私も綺麗だと思うわよ? 見ていて落ち着く感じだし。……所でポチ、何か呆れた声を出さなかった?」
期待、しても良いのかな? 私だって夢を見る権利は……。
あと、リアスさん。空を飛ぶ時はスカートじゃなくてズボンにしないと……パンツ見えてますよ。