狼と蛇と黒子
立ち込める土煙の先、大きく破壊された扉の向こうから何かを力強く振るう音と共に起こる強風。
土煙が周囲に拡散した先に見えたのは雷撃によって激しく削られると同時に真っ黒に焦げた地面、それと直撃を受けたにも関わらず二本の足で立つハティの姿だ。
「成る程。人とではなく、他の神の下僕と手を結んでいたのか。ならば裏切り者とは言わんとしよう。……非情に惜しい気もするが……な」
流石にハティも無事じゃない、咄嗟に挟み込んだらしい交差させた両腕は無残な火傷と共にボロボロになり、服も綺麗なドレスが僅かに体に張り付いた布切れに成り下がったけれど体にも重度の傷が見えるので色気よりも悲惨な感じだ。
でも、その瞳には絶望も諦めた様子は一切見えず大胆不敵で獰猛に輝く瞳を此方に向けて……固まった。
だって今のリゼリクさんって破れた手袋や指がサマエルの服に引っ掛かったせいで胸を正面から触っている状態が続いているから……。
そして変に引っ張ったからかサマエルの服の前側が少し破れて肌が露わになった。
「!」
……あっ、あのロリコン、思わずガン見しちゃっているよ。
間近で晒されたサマエルの柔肌に釘付けになったリゼリクさん……さん付けするのは嫌だな、はハッと我に返るけれど既に遅い。
少なくても兵士達とサマエルには完全に……。
「んぎゃあああああああっ!? 離せ離せっ!」
もう身の危険すら感じさせる変態って認識になっていた、フォローは多分無理だ。
「!?」
「うわぁ……」
もう此処まで来ればサマエルも限界だ。大きく振り上げた足の爪先は小柄なサマエルの胸元に視線を向けたせいで前屈みになったリゼリクさ……リゼリクの股間に吸い込まれるように向かって行き……僕と兵士達はヒュッてなった。
少し浮き上がったリゼリクの体、その後で背中から倒れ込んだロリコンがピクピクと痙攣を見せる中、ハティは何故か腕組みをしてウンウンと頷いている。
「仲良き事だな。成る程、他の陣営の者と繋がっていると思ったが……別の意味で繋がっている関係だったのか。ならば問題は無しとしよう」
何でっ!?
「いや、あのやり取りを見ての感想がそれかい?」
「他に何がある? まるで分からぬな」
「分からない理由が分からない」
何処から見ても痴漢の現場だろうに何を思ったのかハティの中では二人が恋仲だとなってるのか……いや、理解不能だ。
理解する努力が無駄な結論に達したハティは獲物を見る目に同時に発情した爛々とした光を宿し、舌なめずりをすると気取った態度で髪を掻き上げる。
あれだけの雷撃で負った傷は既に完治し、ボロボロの服は無惨さから蠱惑的な色香を放つ物へと変わっていた。
「私とて貴様を力で屈服させた後は寝所でも屈服させる気だ。色恋が絡むのならば苦言は不要だ。まあ、ベッドの上では私が屈服させられるかも知れんがな」
駄目だ、この痴女の思考回路は兎に角駄目だ。
あれか? 痴話喧嘩に見えてるんだったら暑さで脳がどうにかなったとしか思えない。
「随分勝手な話じゃないか? 自分はあの子を裏切り者として始末しようとしておきながら、その口で僕を求めるだなんてさ」
サマエルは敵だ、それは間違いない。
妖精国でもクヴァイル領でも好き勝手をして、臨海学校にだって姿を現したんだ、根が悪人でない部分が有る可能性が有ろうと関係無い……関係無いけれど、僕はハティには腹が立っていた。
立場的にも心情的にも受け入れられない要求をして来る相手だ、何もかもが気に入らなくたって当然だろうさ。
「!」
「……勝手? 我を孕ませるに相応しい相手を求めるのは生物としての本能、それに相手を引き込めば裏切り者ではない。引き込む価値の無いゴミを庇ったのなら相手側に寝返ったのだと思い、新たな将として動きはするが、そうでないなら受け入れるさ。……神獣であるならば随分と上等な餌になってくれたんだろうが」
ハティの視線がリゼリクを射抜く。
僕に向けていた瞳は肉欲を宿していたけれど今は食欲、食べる対象に向ける物だ。
「……」
それを誰よりも本人が感じ取ったのだろう、鍔の無い漆黒のナイフを取り出すと構え、何時でも迎撃出来る体勢を取るが、ハティは首を横に振ると両手を上げた。
「そう怯えるな。同胞の伴侶ならば喰わん。……惜しい気もするが此処で失礼させて貰う」
「……消えた」
ハティの姿は一瞬で消え去り、周囲を支配していた圧力から解放された兵士達は胸をなで下ろす。
一時は一安心……新たな将か、本当にどんどん知って事と剥離するな……。
「まあ、何はともあれ……服を直そうか」
まあ、今は考えても仕方が無いか。
必死に離れようとしているけれど相当絡まったのか全然取れず、サマエルが泣き出す五秒前って顔で手をブンブンと振り回してリゼリクさんを叩きまくる。
ベシッ! とか バシッ! じゃなくってドゴンッ! とか バコンッ! とか岩石が砕けそうな音がするし……。
そのせいで兵士達も迂闊に近寄れないし、
「変態めぇえええええええ!」
記憶喪失になって自分が誰か此処が何処なのか分からない状態、周りの人間には理由も分からない敵意を覚える、そんな転生してしまった僕と同じ位に不安になる状況だったのに突然の襲撃に対して案内した僕や兵士達を庇って立ち向かう。
そんな優しくて勇敢に立ち向かう、そんな姿を見せたサマエルは……。
「変態じゃあ! 痴漢なのじゃあ! ロノス、助けて欲しいのじゃあ!」
何か短時間で僕に懐いたからか胸を触られたショックで泣きついていた。
いやまあ、ずっと隠れていたからリゼリクさんが急に現れた風にしか見えないし、お芝居の舞台でもないのに黒子姿だし……。
「はいはい。台無しだよね、君は。さっきまでの威勢の良さはどうしたのさ……」
リゼリクさんに悪気は無くて事故だったとは言え女の子だ、痴漢されたらそりゃ傷付くよね、と背中をポンポンと叩いて慰める。
うん、仕方無いんだけれど、本当に台無しだよなぁ……。
「君、一体何者?」
「ほら、取り敢えず顔出して名前教えてくれるかい?」
リゼリクさんも不審人物だし、助けてくれたらしいとは言え兵士達の対応は厳しい、これも台無しなんだけれど、
彼等からすれば正体不明の化け物少女から自分達を守ってくれた恩人の筈、とはならないよね黒子姿の不審人物だし。
敵の敵は味方だなんて脳天気な事を受け入れていたら兵士の仕事は出来ないから正しいんだろうけれど、本人からすれば色々と理不尽だとは思うよ。
「!」
その上、喋っちゃ駄目らしいのを思い出したかのように黙り込んで必死に覆面を手で押さえて顔を見られない様に抵抗しているし、何とか僕に助けて貰おうとこっちを見ている。
「……はぁ」
此処で見捨てるのはな……関わり合いになりたくないけれど、相手が誰なのか知っている僕が放置するのも忍びない。
「あの、その人はアンノウン教の関係者で……」
「「「納得した」」」
「……わーお」
え? アンノウン様の信者の認識ってそんな感じなの?
僕が言うなりリゼリクさんから離れた兵士達の姿に同情を覚え、そう言えばギヌスの民もアンノウン様を信仰しているのを思い出して悲しくなった。
だって、僕のお祖母様もギヌスの民だし……。
「……」
心無しか遠巻きにされたのがショックなのかリゼリクさんは肩を落としているし、サマエルはアンノウン様の名前を聞いた途端に正面から抱き付いていたのが背中に回っているし、帝国ではタブーなのかとさえ思えて来たよ、あの性悪大熊猫。
こんな風に余裕を持って他事を話している僕達だけれど問題は山積みだ。
あの警鐘はハティとは恐らく無関係、それは紅い雷撃に驚いてざわめく人達こそ居れど荒らされてはいない町の様子から伺える。
「……こっちにも介入したら駄目なのかな? いや、この状況なら無理か」
あの強さを見た上でこの扱いなんだ、完全な悪人とは思っていないだろうしさ……。