夢であったら
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「口止め料……?」
少し動けば再びキスをしてしまう距離のネーシャに対し、僕は困惑の声を漏らすけれど、内心はドキドキだ。
彼女との結婚は確定と言って良い、けれども正式じゃない、建前だけの話だとしても。
何を要求されるのか、ちょっと不安になって来るんだけれど、ネーシャは僕に密着すると耳元に息を吹きかけ、クスクスと笑ってから囁く……ちょっとくすぐったい。
「そんなに警戒しないで下さいませ。私、ロノス様に酷い要求をする女だと思われて居たのですね。悲しいですわなよよよよよ……」
「……そんなことはないよ?」
我ながら棒読み何だけれど、ネーシャだって泣き真似が態とらしいんだから別に構わないだろう、首の辺りを抓られたからネーシャとしては不満みたいだったみたいだけれどさ。
「こういう時は”君にそんな印象を抱く筈が無いだろう? ほら、これで信じてくれるかい?”とでも言ってキスのお返しでもするべきでは?」
……えー?
この子、ちょっと変わり過ぎじゃない?
出会ったばかりの頃は僕を利用しようと媚びを売るって言うのか下から目線だとでも言うべきなのか、兎に角ズバッと言うタイプじゃ無かったけれど、今は少し拗ねた様子でビックリな事を要求までして来て……。
「僕、そんな事をするタイプだと思われてたの?」
「え?」
「え?」
僕の問い掛けにネーシャは本気で驚いた感じ、思わず僕も聞き返した。
そっかー、そんな風に思われていたのか。
なら、仕方が無いか……。
「分かったよ……これで良いかい?」
だから本当にキスをした、ネーシャがしたキスよりも数倍の長さの物、唇を離したらネーシャは真っ赤になっている。
おやおや、自分で要求しておいて可愛いなあ。
敢えて何も言わずにニマニマしているとハッと我に返った彼女は無言でポカポカ殴りながら僕に顔を見られない様に顔を密着させている。
「……」
あっ、急に僕まで恥ずかしくなって来た。
あれだけ濃密な酒気を纏ったネーシャをこうやって抱っこして、更にはキスまでしたんだ、僕も彼女も酔っているのかも知れない。
足取りはしっかりしていても頭が上手く働かない気がして来た……。
「それで口止め料だけれど、僕は何をすれば良いのかな?」
僕は若干の下心を込めて、それでも声にも表情にも出さないようにと務めながら問い掛ける。
今頃になってネーシャを押し倒して服を脱がそうとした時の熱気が蘇り、彼女の返答次第ではこのまま欲に身を任せてしまっても構わなかったんだ。
あの時と同じ様にネーシャをベッドにまで運んで覆い被さり、一度キスをしてから貪る様に彼女を求める姿を妄想するのを止められず、口止め料の内容がそれであると期待しながら返答を待つ。
多分、一度始めてしまえば彼女が泣いて懇願しても止まる事は……。
「明日の朝、この様に抱いた状態で散歩に連れて行って下さいませ。初日のデートは邪魔が入りましたし、今度はちゃんとしたのを」
「うん、分かった……うん? デート?」
えっと、普通のお散歩のお誘い?
間違っては無い……よね?
「あら? どうかされまして?」
思わず聞き返した僕にキョトンとした顔を向けるネーシャを見て、途端に先程まで押し寄せていた欲情が押し寄せた時以上の勢いで引いて、変わりに恥ずかしさがやって来た。
普通のデートを望んでいた相手に対し、僕は、僕は……。
「わわっ!?」
耳に感じた奇妙な感触、ネーシャの歯が僕の耳を甘噛みした後で舌先が這う、背中に走るゾワリって奴、僕って耳が弱かったのか?
「あらあら、うふふ。ロノス様ったら耳が敏感でしたのね。これは良い事を知りました」
「ネ、ネーシャ、一体何を……」
抱っこしている状態だから耳を押さえられない僕を見て笑いながら彼女は舌先を出す、まさか今の彼女が本性なのか?
糞ぅ、僕も駆け引きは習って来たけれど、男女間の駆け引きはネーシャに完全に負けている気がした。
さっきまで彼女を組み伏せて犯して自分の物だと感じたいと思っていたんだけれど、どうやら甘かったらしい。
このままベッドに運んでお別れになるのは良いけれど、何か完全敗北の気分だ。
良いけれど! 確かに期待はしたけれど、それで良いとは思ってはいるんだけれど……。
「ちょっと悪戯をしたくなりまして。それにしても一瞬だけですがデートの申し込みをした時、残念そうに見えましたが……何を期待しましたの?」
「別に何も?」
「そうですの? ええ、それなら別に構いませんわ。……ロノス様がお望みですのなら私は何をされても構いませんのに」
ぐっ! 上手い事誤魔化せたと思ったのに、分かっていない振りをしているけれど、これは絶対分かっている。
首を傾げ、納得した様な顔をしつつも最後は照れと妙な色気を混ぜ合わせた顔の後、またしても耳に息を吹きかけて囁く。
だからそれは止めてって……。
「取り敢えず部屋に行こうか。疲れているならベッドで休もう」
「休めるでしょうか? ロノス様が休ませて下されば良いのですが、休ませて頂けないのも期待して良いのでしょうか?」
「期待しなくて良いから」
「残念ですわね……」
本当に残念ですって顔をしているネーシャから顔を背けて部屋まで連れて行く、ちょっと甘い感じの良い香りがしたのは僕だけの秘密……になっていたら助かる。
「……うん、酒だ、酒のせい……って思おう」
ネーシャを部屋に送り届けた後、体内の時間を操作して彼女を抱っこする前の状態、つまり酒の影響を受ける前にまで戻し、扉にもたれ掛かって一息付いた。
体力的には余裕があって、精神的には疲労困憊な状態、自分が酔うとどんな風になるのか、聖王国での成人前に知れたのは幸いだけれど、彼女に知られたのはちょっとな…。
「”添い寝をして欲しい。自分は眠りが深いから何をされても朝まで起きないと思う”、とか言われたけれど、明らかに誘われてた……」
あのまま誘いに乗っても良かった気さえして来たけれど、気の迷いだと自分に言い聞かせて自室へと戻る。
屋敷の自室で夜鶴と夜達とした僕だけれど、流石に先生や学友、その他が居る場所ではちょっと勇気が出ない。
アリアさんとのアレコレやレキアとの混浴は……。
「僕も休もう……」
体力的には元気だけれども精神的な疲労から食事に戻る気にもなれず、僕はそのままベッドへと倒れ込む……あっ、歯を磨かないと。
ムクリと起き上がり、洗面台まで向かった僕は鏡に向かい合って歯ブラシを咥える……目の前が真っ暗になった。
「あ、会いに来ちゃった……元気?」
目の前だけでなく周囲全体が一面の暗闇の中、僕の精神を呼び出したお姉ちゃんは目を逸らし指先を合わせてモジモジしながら問い掛ける。
いや、本当にこの姿を見ていると人間を滅ぼそうとしているとか勘違いだって思いそうだ……思いたい、のかも知れないけれど。
「僕も元気だけれどそっちはどう? って言うか、僕よりリアスの方に行ってあげたら良いのに」
「お姉ちゃんも勿論元気。ふふん! これでも女神だもん。それにしても……相変わらず仲良しで嬉しいわ」
不意に優しく抱き締められる、その時に見えたのは嬉しそうな安堵の表情。
例え生まれ変わって肉体が変わっても、例え人間を滅ぼそうとしていても、僕の記憶に強く残るお姉ちゃんのまま。
僕達が転んだりした時に心配そうに寄って来て、怪我をしていなかったり泣き止んだ時に向けてくれた笑顔は失われていない。
「実はあの子の方に先に行ったんだけれど、”私は二回連続で会ったからお兄ちゃんの方に行って”って少し怒られちゃった。リアスになってもあの子はあの子ね。お兄ちゃんがしっかり守ってくれているからかな?」
「そうだね。でも、僕もあの子に支えられているよ」
ああ、駄目だ、決意なんて簡単に揺らいでしまう。
本当に最後の最後、何度も何度も説得して、それでも止まらないのなら、戦ってでもお姉ちゃんが人間を滅ぼすのを止める、そんな覚悟を決めたと思っていたけれど、こうして顔を合わせ、ベースはテュラだろうとお姉ちゃんなのは変わらないと知る度に、水中に泥団子を投げ入れたみたいに簡単に崩れて来た。
いっそ、全てが嘘なら、僕達の記憶を読んでの演技だった方が良かった……そんな考えも自分を抱き締める相手が間違い無く姉だという確信が打ち消した。
嬉しいんだ、幸せなんだ、生まれ変わっても二人と再会出来た事が。
奇跡ってのは本当に幸福で、同時に残酷な物だと思った時だ、暗闇に一筋の光が差し込んだ。
「無粋な無礼者…め……が」
一面暗闇の空間に突如差し込んだ一筋の光、それはまるで深い洞窟の天井を綺麗にくり抜いたみたいな穴から入って来た物。
優しく心配性の姉の声から一変、冷徹で傲岸不遜な女神の声へと一瞬で戻り、そして戸惑いが混じる。
一体どうかしたのかと視線を向けていた穴をまじまじと見てみれば……無数の小さなパンダのヌイグルミが此方を見下ろしていた。