我が目を疑う
「あら? あらあら、貴方はもしかしてあの子の所の子ね?」
未だゼースが魔王の異名を持たず、クヴァイル家の当主になったばかりの頃、父の戦死により十五という若さによって権力を手にした彼は急速な勢いで国内の改革を押し進めていた。
腐敗貴族を時に正面から、時に裏から手を回し、見せしめに堂々と、そして時に秘密裏に。
全ては祖国の発展の為、どの様な犠牲も厭わずに。
一切の慈悲無く、その熾烈さは身内さえも恐れる程。
魔王の片鱗は既にこの頃から姿を現していたのだ。
そんなクヴァイル家の屋敷の裏庭に雇われたばかりのメイド長の姿があったのだが、自分を訪ねて来た客人への対応をロノスが見たとすれば、七十年以上前の事とはいえ、双子かそっくりな別人であると確信する、其れ程までに表情も態度も別物であった。
容姿だけは変わっていないのだが、何があれば此処まで変わるのかと知人一同は首を捻る事になるであろう。
その様に今は厳格さがメイド服を着て歩いているようなメイド長だが、この時の彼女は少々軽薄で淫蕩な印象を見る者に与え、クヴァイル家程の家ならばそれなりの立場の生まれが行儀稽古に来たり、使用人としての教育を受けた者が仕えている筈なのだが、どうも彼女からはそれが感じられない。
「ククク、ご明察だな。しかし、貴女程の存在が貴族の屋敷でメイドとして働くとはな。いやいや、世の中は信じられぬ事ばかりだ。ミサで語っても信者は信じぬだろうな」
最早色ボケ貴族が愛妾にメイドの地位を与えて側に置いていると言われた方が納得出来るであろう中、その客人は庭に飾られた自由を司る神の石像に腰掛けて彼女と向かい合う。
「ミサ? 貴方、もしかして教会で働いているの?」
「ああ、この姿ではない時は光の女神を信仰対象とした教会で神父をやっている。これでも信仰心は浮気性ながら豊かであり、我が主はその性質上教会は要らぬのでな」
声からして客人は男、ただし表情は伺い知れないのだが、それでも何処か性格が破綻して良識とは無縁な印象さえ与える事も有るだろう。
何故表情が伺い知れないのか、その理由は彼の服装、全身を包み隠す其れには長いクチバシがあり、両腕は翼、一言で説明するのならばキグルミだ。
更に言及するのならばハシビロコウのキグルミであり、奇しくも彼が座っている石像の神も人の姿はしていない。
「さて、言いつけ通りに様子を見た事だし、私は帰らせて貰おう。これでも主と同様に忙しい身なのでな。次の祝日には教会主催のバザーがあるのだ」
「忙しい? あの子と忙しいって言葉が組み合わないのだけれども……」
「お菓子を食べながらゴロ寝をし、我が同僚に行う悪戯を考えるという用事があるのだよ。では、前回の失敗を繰り返さない事を願おう。神と違い世界は何度もやり直しを許してはくれないのだろうからな。尤も、神ならざる我が身では分からぬさ。文字通り神のみぞ知る、という奴か。……ククク、さてさて、どうなる事やら。聞きたいと所ではあるが、その時まで楽しみにしておこう」
首を捻り呟く彼女に対し、一瞬で塀の上に飛び上がった彼は失敗するなら其れは其れで楽しいとでも言い足そうな口調で呟いて去って行く。
そんな彼を見送った昔のメイド長は再び首を捻った。
「あの子、なんで神父なんてやっているのかしら? 絶対信仰心なんて誰にも向けていないのに。私にリュキ信仰について語って伝わらないとでも思っているのかしら? ……絶対知っているわよね、伝わる事」
そんな風に呟く彼女の名を呼ぶ当時のメイド長の声が聞こえ、慌てる様子もなくその声のする方へと向かう。
もし現在の彼女が当時の自分と会ったならばリアスやレナが頻繁にされているように長時間のお説教が行われた事だろう。
其れ程までにこの時代の彼女は今とは違っている。
同じなのは見た目だけであった……。
突進して来たユニコーンの角を掴んで突進を止め、もう一匹に向かって投げつければ角が腹に貫通し、勢いで地面に転がった所に足下の石を蹴り飛ばす。
拳よりもやや小さめの石は音速に近い速度で命中し、二匹の頭を砕いた。
リザードマン・ホーリーナイトが石を蹴り飛ばした隙を狙って槍を振り上げ襲い掛かって来たのはその時で、僕が矛先を掴むと槍から光が放たれる。
発火する程に強烈な熱を持っており、僕の手の平を焼こうとするけれど、それを防いだのは時間を停止した空気。
一切の熱は僕の手の平には伝わらず、そのまま引き寄せて腹部に拳を叩き込めば衝撃が背中にまで貫通して内臓が地面にぶちまけられる。
この時になって怯えを見せる残りの神獣達、人を抹殺する為に創造され、本能のままに僕を殺そうとして来たんだけれど、自分達が負けるだなんて思ってもいなかったのか。
「捨て駒……かな?」
女神によって創造された人類を殲滅する為の存在”神獣”。
だけれども今まで戦ったり関わった限りじゃ此奴達は末端であり、有象無象の兵隊だ。
本来ならば一方的に殺戮を行う絶対的強者ではあるけれど、僕みたいな例外が存在する事を神獣を率いる将は身を持って知っている筈。
何せご先祖様が大昔に暴れていた神獣やら切り離した悪心やらを倒したんだし、其れを考えると目の前の連中が返り討ちに遭うのは分かっていただろうに、この反応からして教えてはいないのか。
「手の内を探る気なのか、不意打ちを狙っているのか。……取り敢えず時間稼ぎの場合に備えてさっさと終わらせようか。……周囲に人は居るのかな?」
僕は確かに気配を探ったり魔力を関知する訓練は受けてはいるけれど、獸人が生まれ持つ優れた嗅覚や聴覚を使った察知や、風の魔法による広範囲の関知には大きく劣る。
いや、感覚を研ぎ澄ますにも限度があるって話だよ。
だから広範囲の関知をしたい時は得意な奴に頼めば良い。
今の状況ならば肉を切り骨を断ち血を啜るのが大好きで、獲物を探す為の能力も優れている妖刀にさ。
「そう。人の気配はしないんだね。……うん、今度沢山斬らせてあげるからさ」
他の生徒を探す時も使って貰った感知能力によって明烏は僕に情報をもたらす。
即ち”周囲一体を更地にしても構わない”ってね。
「……じゃあね」
僕が何かをする気なのを察し、何かをする前に何も出来なくするべく神獣達は周囲から一斉に襲いかかるけれど、僕を止めたければ時の流れを越えて来い。
簡単に言うなら……あまりに遅いんだよ。
「”ギガグラビティ”」
周囲一体の時間の流れを分割し、重力だけを重ねる事、約百。
僕を除く周囲一体全てに百倍の重力が急激に掛かった。
空気も押しつぶされ息すら叶わず、地面に吸い寄せられるように倒れた神獣達は百倍になった自重で肉体の崩壊を始めながらも逃げるという選択肢を取ろうとするけれど、指先一つ動かす事が出来なかった。
地面は綺麗に陥没し、木々はペチャンコになって隠れ潜む場所が無くなればやはり潜んでいたリザード・アサシンも他の神獣と同様に内臓と骨が潰れて息絶えるだけだ。
「もう良いかな?」
……この魔法、僕の呼吸の為に空気の通り道だけ重力を緩めたり、解除した時に空気が一斉に流れ込まないように徐々に重ねた時間を外していくのが手間なんだよね。
他に時属性の使い手は居ないから試行錯誤で魔法を創って行く苦労を改めて実感した時だった。
明烏が教えてくれるよりも前に僕の探知可能な範囲内に誰かが入り込んだのは。
速度は遅いし、地面スレスレなのからして這いつくばって進んでいる状態……匍匐前進だったっけ?
其れをしながら近寄って来る相手の姿を捉えた時、僕は幻覚に掛かっているのかと我が目を疑った。
「……」
「オールナイトパンダフィーバー!」
近寄って来たのは二人……いや、一人と一匹。
這々の体で何とか近寄って来る小柄な黒子姿のと、その背中に乗ってムーンウォークでの往復を繰り返す小さなパンダだったのだから……。
「僕、疲れているのかな?」
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