魔女と毒の竜(ペンギン)
惚れた相手が他の相手との逢い引きをする場に乗り込んだ時、アリアは偶然を装って現れて邪魔をした。その際、足を滑らせて海に落ちた事によってシャツが濡れて張り付き、水着が透けて見えるという事になったが、それが好意を向けるロノスの嗜好に当てはまったのは幸運だっただろう。
相手の視線が自分に向けられ今の姿に見取れている事に気が付いて表情には出さずともネーシャに勝ち誇り優越感を覚える。だが、次の瞬間に襲撃が起きた事で再び形勢逆転だ。
敵を目視した瞬間、アリアの心の中では拍手喝采賞賛の嵐が名も顔も知らぬ襲撃者に向けられた。二人きりで水着姿、そして易々と誰かが立ち入れない地形。何が行われるのか俗な推察が余裕であり、事実ネーシャは思い切って事を進める腹積もりだった。
此処で重要なのは”故意に邪魔した訳では無い”と主張可能な範囲の邪魔だった事。状況が状況であるし、偶々出会した同級生に声を掛けたら偶然妨害してしまった、そんな言い訳が通る範囲ならば恋路を故意に邪魔したとしても大きな騒ぎにはならない。何せ二人はあくまでもお見合いをする予定でしかないのだから。故に”情事に及んだり誘惑をする気だった”とは大っぴらに抗議など出来る筈もない。
二人が向かった島の状況を目にし、幼い頃から読んだ官能小説による(偏った)知識によってネーシャの狙いを察したアリアは策を練った。厄介な相手と想い人の逢い引きを台無しにしつつ面倒な反撃を躱わす方法を。
故に良い雰囲気になる前に場をかき乱し、偶然だが自分の肉体に注目させる事に成功した時点でアリアの目的は半ば成功し、同時にこれ以上の邪魔は禁物だとアリアは悟っていた。
其処に現れた襲撃者によって先程まで行われたデートは完全に妨害された、そんな風に安堵するも直ぐに焦燥感に包まれる事となった。
「狙いは僕と……ネーシャかっ!」
大きな鎌を持った仮面の男はロノスとネーシャを狙って刃を振るい、足が不自由な彼女を守る為に当然行われたのはお姫様抱っこ。咄嗟の事に驚いた様子のネーシャであるが、流石は帝国最大の商会の娘として鍛えられた胆力と賞賛すべきなのかロノスの邪魔にならない範囲で抱き付き密着してみせる余裕を見せる。然も抱えられた時に脱げた水着を着直してさえいるのだ。
「……むっ」
怯えと動揺の表情を浮かべるネーシャだが、ロノスが仮面の男に意識を向けた瞬間にアリアに向かって勝ち誇った笑みを浮かべたのを彼女は見逃さなかった。
今まで危ない場面に巻き込まれた場合、自分がして貰った事を別の誰かがして貰っている。それも自分が座りたい席の数を一つ奪うであろう恋敵がだ。
基本的に他人へ抱く感情は薄く、蔑まれても少しも心が痛まないアリアだが、この瞬間は激しい嫉妬の炎が燃え上がる。ロノスに恋をした時と同様に感じる激しい感情にアリアは我を忘れようとしていた。
「”デモンズ……”」
「アリアさん、悪いけれどドラゴンをお願い! 君なら勝てるって信頼しているよ!」
「はい、お任せ下さい! ロノスさんの期待に応えて見せますから!」
だが、矢張りロノスを除けば他は僅か数名にしか彼に対してより大きく劣る感心を向けていないアリア。恋する相手に頼られれば嫉妬の炎よりも歓喜の感情の方が上回ってネーシャへの感情は何処か彼方へと飛んで行く。今は戦闘中に僅かに意識を向ける密着よりも頼まれ事をこなす方が大切だった。
「待っていて下さい、ロノスさん! 速攻で倒してお手伝いします。私とロノスさんなら楽勝ですね!」
要約すると”速攻で倒して密着状態を終わらせてやる”、そんなネーシャへの宣言であった。
「あら、頼もしい。ですが無理は禁物ですわ。ロノス様ならばこの程度の相手に負ける筈も無いのですから。だから焦らず慎重に戦って下さいませ」
要約すると”余計な事をするな。もっと密着状態を長引かせろ”だ。
互いに相手の本音を感じ取っており、それを貴族らしく上辺を取り繕って隠している。この世界では恐ろしき風貌とされるペンギンとそれを従える正体不明の刺客を前にして別の意味で恐ろしき女の戦いが始まろうとしていた。
「……さてと。本当にさっさと倒しちゃいますからね」
自らより巨大なポイズンドラゴンを前にしても一切臆する様子を見せないアリア。以前の彼女、ロノスと出会って関わる過程で少ない数だが濃度は一般的な物とは比べ物にならないレベルの鍛錬や実戦を体験する前の彼女ならば怯えた振りこそすれ”まあ、仕方ない”と心の中で諦めるだけで今のように張り切って見せる事は無かった。更に言うなら今の彼女は心の底からの発言だ。
それ程に彼女はロノスによって変わり、彼に心を奪われている。
「ピィィィ……」
その様に明るく振る舞っての勝利宣言を行うアリアに対してポイズンドラゴンは威嚇として低く鳴きはするけれど獰猛な気性に任せて飛び掛かりはしない。
ポチやタマの場合は主が特殊なだけで本来ドラゴンと人は言葉での意志疎通は不可能であり、故に妙な自信に何か裏があると勘ぐっての警戒ではない。先程アリアが唱えようとした魔法の発動前に発せられた僅かな力の波長を本能で感じ取った結果だ。
故に動かない。
ゲームであれば”魔女の楽園”はターン制のコマンド入力式だったが、現実はリアルタイム式、それも平気で連続行動を行う物だ。
「来ないのなら……私から行きます!」
そして、ポイズンドラゴンが動かない事がアリアが動かない事に繋がりはしない。
「!」
魔力を練り上げ両手を前に突き出す動作によってポイズンドラゴンの視線がアリアの腕に注がれる。言葉は分からずとも何かをする気なのは伝わり、故に手元への警戒。咄嗟に飛び立てるように両翼を広げ脚に力を込める。
人は特殊な例を除いて飛べぬ生き物であり、アリアがその特殊な例ではあるがポイズンドラゴンは知りはしない。
なのに直ぐに飛び立たないのはアリアが何をするか分からないから。
闇属性という未知の力の波動によってポイズンドラゴンは彼女を危険な存在と見なし、慎重に動くという選択肢を選ばせた。
地上ならば脚と翼の二つの選択肢が存在する故の行動は間違っては居ないだろう。
宙で翼に痛手を負えば無防備な姿を未知で危険な相手に晒す事になるのだから。
「……掛かりましたね」
何を言っているか分からないがアリアの表情から既に何かを行って勝ち誇っている事を察したポイズンドラゴンはこの時になって漸く気付く。
アリアの手元に意識を集中させていた事で注視が疎かになっていた彼女の足下に存在する影が二股に分かれ、それが大きく迂回しながら自らの背後に伸びていた事に。
「ピッ!」
それはグリフォンさえも集団でなければ襲わない程に強力な種族としての本能だったのだろう。
ポイズンドラゴンは咄嗟に前に向かって転がるように飛び出す。
だが、一歩遅かった。
左右から水平に振るわれた漆黒の剣はポイズンドラゴンの両翼を深く切りつけ右翼を完全に切断、左翼も骨に僅かに届いて血が流れ出る傷口から断面が見えてしまっている。
思わずアリアから視線を外して背後に頭を向けたポイズンドラゴンが目にしたのは悪魔……と見紛う漆黒の騎士だ。
地獄に存在するという黒い炎が騎士鎧と剣を形どったような風貌。
見る物の恐怖を煽る騎士達の足元は影と同化し、その影はアリアの影と繋がっていた。
「”シャドーナイト”、無詠唱で使える中では一番便利な魔法です。では、さようなら」
死を悟ったのかポイズンドラゴンの口の中に全魔力が集中する。
これより放たれるのは鉄さえも溶かし、一滴だけでも肌に付着すれば骨肉を腐らせ内臓を蝕んで人を絶命に至らせる毒液のブレス。
アリアの対応次第では本来はこれより弱い代わりに速射性能が高い毒液を次々と吐き出し、それに対抗する彼女の水着が僅かな飛沫によって溶け落ちるといった展開もあったのだろうが、今回の彼女はやる気に満ち溢れ、直ぐに終わらせる事で恋敵の邪魔を合法的に行う気だ。
更に言うならば皇女を助けるという実績を得る事でクヴァイル家の嫁の座に近付く魂胆もあった。
「じゃあ、さようなら。……最初に飛ばれなくて助かりましたね」
ポイズンドラゴンが毒液のブレスを吐いた瞬間、アリアの影が更に分岐し大きな盾を構える三体目の騎士がポイズンドラゴンの真正面に現れる。
毒を含む吐息も、煙を上げながら岩を溶かす強酸性の滴り落ちる血も、魔法によって生まれた騎士には一切の痛痒を与えはしない。
「ピィイイイイイイイイッ!」
意味を理解出来ない言葉だが自らを既に倒した気なのだと察したポイズンドラゴンの死力を尽くした生涯最大威力のブレスは自らのクチバシをも溶かし肉を蝕む程の濃度の毒を含み、勢いは普通の水であったとしても岩を貫通する程。
だが、通じない。
巨大なタワーシールドに阻まれたブレスは左右に弾かれ島の形を変えるだけで仇敵には一滴すら届かず、背後より頭と心臓を貫かれた事でポイズンドラゴンは絶命に至る。
オマケとばかりに盾が叩き込まれ、三体の騎士を構成する闇の魔力が至近距離で解放される。
一切の音はせず、ポイズンドラゴンの巨体を飲み込んだ闇が晴れた時、其処には毒液と血によって溶けた岩以外にポイズンドラゴンの存在した痕跡は微塵も残っていなかった。
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