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時に人は裏切るが、筋肉は裏切らない

  今回の臨海学校はサバイバル訓練も兼ねている……とされている。実際は大貴族の派閥に所属”している”者達は食料の調達や薪等を準備する必要は無く、所属”させて貰っている”貴族達は朝から大忙しだ。使用人は臨海学校は現地の集合時間以降は連れ込めないので事前に集まって準備を行い、悠々と現地にやって来た貴族達は気軽なキャンプ気分だ。


「ねえ、本気で戦う気なの? それにこの辺は入っちゃ駄目だって言われてロープだって張られていたのに」


「当然。一流の職人に発注した剣の試し斬りに丁度良いさ。それに見つかる前に出て行けば良いだけだよ」


 この彼もそんな生徒の一人。立場は派閥の中の下で臨海学校中に遊ぶ余裕があった。今も下の立場の生徒達が必死に動き回っている間、護衛の者達の警護の下でモンスターの狩りを楽しんで自信を付けた彼は仲の良い女生徒を連れてモンスターを倒す姿を見せようとしていた。


 手には派閥内での躍進を約束し、その為の道具として用意して貰った剣を手にし、自分達に気が付いていないのか背を向けたままのモンスターに忍び寄る。


 モンスターの名は”ゴリラネコ”。猫の頭部と体毛を持つ小柄なゴリラである。それ程押し殺せていない小声と雑な忍び足。草や落ちている小枝を踏む音、彼や彼女から漂う香水の匂い、不意打ちが失敗する要因は整っていて、そもそもゴリラネコが見せた隙は偽物だ。


「死ねっ!」


 剣の練習も碌々受けていないであろう力任せの振り下ろし。だが、彼が特殊なのではなく、基本的に貴族は戦わない。時に大将として部下を率いる場合もあるが、作戦の立案等も軍師が立案し、部下達による討論で決まる。


 魔法とは全ての人に与えられし力であり、その強弱の差こそ在れど戦う為の力の有無と身分は無関係なのだ。確かに力持つ者が率いるならば志気が上がるのだろうが、基本的に死んだ時点で部隊の負けと同義な貴族は危険な接近戦の技術よりも学ぶべき事が多いのもある。


 故に彼が弱いのは彼の責任とは言い難く、情け無い姿でもない。



「ニャッホ」


「え?」


 だが、自分の迂闊な行動の責任は取らなければならないのがこの世の中だ。少なくても今は尻拭いをしてくれる相手は居らず、振り向いたゴリラネコが横から叩き付けられた腕によって剣が弾き飛ばされた後、彼の身を守るのは彼の行動だ。


「わっ!? た、助け……」


 剣を弾き飛ばされ無防備となった彼の頭を掴んで潰そうと肉球の付いた腕が伸ばされる。足腰を鍛えて居なかった事が幸いしてか、転んだ拍子に彼の頭は下に移動して避ける事が出来た。だが、それまでだ。腰が抜けて立ち上がれず、格好良い所を見せ、あわよくば物陰で、と邪な企みの対象としていた少女は剣が弾き飛ばされた時点で一目散に逃げ出していたのだから。


「ひっ! ひぃっ!」


 這って逃げようとするが剣を弾かれた時に痛めたのか力が入らない。それでも逃げたい、生きたい、そんな風に願い必死に動く彼の足がゴリラネコによって掴まれ、骨が折れる寸前の力で握られながら逆さに持ち上げられた。


「お、お願い。見逃して……」


「ニャッホ」


 股間を暖かい物が濡らし、服を伝ってアンモニア臭い液体が顔を垂れる。それに僅かに不愉快そうに鼻を動かすゴリラネコには当然だが人の言葉など分かる筈が無いし、そもそも分かったとしてもこんな風に返答されるだろう。”先に殺しに来たのはお前だろう”。


 先程同様に顔に手が伸ばされるが、触るのが嫌だったのか目の前で止まり、代わりに足を掴んだ腕を振り上げた。振り下ろす先には岩。このまま叩き付けられれば真っ赤な血が飛び散るだろう。前だけでなく後ろからも臭い物が漏れるのを感じた彼の脳裏に今までの人生が蘇った。


「た、助けて。誰かぁあああああああああっ!」


 木々の間に響く声。それに構わずゴリラネコは勢い良く彼を振り下ろそうとして、その脇腹に叩き込まれた強烈な蹴りによって吹き飛ばされた。


「ひっ!?」


 その際に足を掴む手が離されて宙に投げ出された彼は地面に点在する大小の石を目にして思わず目を瞑るも一向に痛みはやって来ない。代わりに感じたのは太い腕に受け止められ、そのまま優しく地面に置かれる感触だった。


「大丈夫かい! 俺が来たからにはもう安心だ!」


 妙に張りの良い大きな声に恐る恐る目を開けた時、彼の視界にはタンクトップの上からでも分かる程に鍛え上げられた鋼の肉体が君臨していた。


「ニャッホォオオオオ!」


「未だ動けるんだな! 彼を助ける為に手加減したが、それでも動けるとは見事な肉体だな! だが、俺の筋肉がお前の筋肉よりも優れていると教えてやろう!」


 何の覚悟も無しに冒した危険によって訪れた命の危機と、それを救ってくれた恩人の姿。彼が少女ならば一目惚れするのが物語の定番なのだろうが、彼は男だし、抱いた印象は別の物。


「あ、暑苦しい……」


 目の前の筋肉の存在だけで周辺の気温が三度は上昇したと錯覚する少年であった……。




「ニャッホォオオ!!」


 先に動いたのはゴリラネコ。その巨体からは想像できそうにないが、矢張りゴリラと猫が合わさった身軽な動きで木をスルスルと登り、暑苦しい男に向かって跳び掛かる。繰り出すのは両の拳を合わせての叩き付け(スレッジハンマー)。常人の頭を熟れた果実のように叩き潰す一撃だ。


「はあっ!」


 その常人ならば即死は必至の一撃に対して彼は回避ではなく迎撃を選択した。掛け声と共に力を入れた手足の筋肉が膨張し、強靭な足腰で踏み込んだ瞬間に地面が揺れる。そのままアッパーを振り下ろされる豪腕に叩き込んだ瞬間、僅かの拮抗も無くゴリラネコの両腕が真上に弾き上げられ、空中で後ろに反った体勢となった事で無防備に腹部を晒す。


 それでも常人には、例えば先程命を奪われそうになった少年が剣を振るおうと表面に僅かに傷が付けば幸運な程に強靭腹筋だ。金属に等しい程に頑強かつ柔軟なその筋肉はまさに天然の重装甲。だが、其処に目掛けて拳を突き出した彼の筋肉はそれ以上の物だった。本来ならば雲泥の差があるモンスターと人の肉体。それを補うのは過酷な修練。


 そしてこの勝負の勝敗は自らの肉体を苛め抜いた故に彼の勝利となる。



「惜しかったな。踏ん張りの効かない空中を選んだ事が、足腰の筋肉を蔑ろにした事がお前の敗因だ。覚えておけ。筋肉は! 決して裏切らない!!」


 鍛え上げた足腰による踏み込み能力を乗せたストレートがゴリラネコの腹部に突き刺さりった。雷鳴の如き轟音が響き、衝撃が腹筋を突き抜け背筋すら貫通する。天然の筋肉鎧を身に纏う重量級の筈のゴリラネコの肉体は木をへし折りながら突き進み、大岩に激突して漸く止まった。


「た、助かった……」


 危険から救い出してくれた相手は一見すると不審者で、二度見すると更に不審者でしかないが、よくよく見ればズボンは制服で、腰には制服の上着を巻いている。落ち着いたからか救い主の姿をしっかりと見る余裕が出来た。紫の髪をスポーツ刈りにして肌は健康的に焼けている。何よりも印象的なのは逞しい肉体。上はタンクトップだけだが腰に上着を巻いていた。


 この強さなら何処かの派閥による引き入れる工作を行いそうな物だが噂にさえなっていないし、目立つので見知らぬと言うのは不自然だ。


 つまり考えられるのは上級生。生徒が違反行為をしたり危ない目に遭っていないか警戒する監督の補佐に選ばれた優秀な生徒。……助かったと一安心した彼の中に現れたのは今はチャンスだという欲。何とか取り込めば派閥内での地位が万全の物となるという事。


「な、なぁ……」


「所で君! このエリアに入るのは禁止だった筈だ! しかも女の子を連れ込むのは頂けないな!」


 勧誘の言葉を吐く前に両肩に乗せられたのは凍傷という言葉とは無縁そうな太い指。濃い顔が間近に迫った。




「だが君も怖い目に遭って反省しただろう! そして今回みたいな行動は筋肉を鍛える事で得る強靭な精神力さえ有れば防げた! よし! 罰則の名目で浜辺で筋トレと行こうじゃないか! 先ずは軽めにスクワット三千回だな!」


「え、あの……」


「おっと、しまった! 名乗ってなかったな! 俺の名前はニョル・ルートだ。宜しくな!」


「あっ、はい……」


 ”勢いが凄くてそれだけしか言えなかったよ”、後に彼はそう語った……。


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