知らない記憶
あの入学式早々のトラブルからの始まったリアスのルメスさんへの敵視だけれど、家の力を大々的に使うのは僕が阻止しているから嫌がらせはあの子個人の人脈の利用する範囲で収まって・・・・・・まあ、何とか周りの人間に助けて貰った彼女は厄介事を回避しているから一安心だ。
「昔はあんな子じゃなかったのに。レナスさえ生きていれば、僕さえもっとしっかりしていれば・・・・・・」
夏休み前の臨海学校も終わり、また嫌がらせが失敗に終わった事で屋敷に帰ってからも始終不機嫌でレナに八つ当たりしていたリアスを宥めて褒めて何とか落ち着かせた後、僕は気分転換に裏庭にまでやって来ていた。
もしレナスが生きていたらレナとだって子供の時みたいな関係だったろうし、グリフォンの子供を一匹貰う約束をしていたから此処で飼って居ただろう。ポチって名前も決まっていたんだ。
でも、そんな事を考えても全部無意味だ。レナスは十年前に僕とリアスを守って死んだ。あの時に少しでも力があったら、落ち込んだ時に聖女の再来って期待されて付け込まれたリアスが増長するのを僕が止められていたら、そんな”もしも”を幾つも考える。
ああ、僕の人生は後悔と無力感だらけだ。結局、情けない自分をレナスのせいにしている最低の屑が僕なんだよ。
僕に出来るのはリアスの近くに居てあげる事だけ。諌める事も出来ない情けない兄だけれど、それだけはしてあげないと。
だってリアスは淋しがり屋で、自分の周りの人間が力でしか自分を見ていないって知っているから。
だから最後まであの子の味方で居るって僕は決めたんだ。
「それにしてももう少しどうにかならないかな? 僕の方で裏からフォローするにも限界があるしさ。お祖父様は自由にさせた方が使いやすいからってスタンスだし・・・・・・」
自分が崇められる光の使い手で、彼女が忌み嫌われる闇の使い手だから気に入らないんだろうけれど、根本としては特別な人間は自分と僕だけじゃなくちゃ嫌だって我が儘だ。
気に入らない相手は徹底的に潰そうとする我が儘なあの子は上手く使われて裏の仕事も任されて益々倫理観に問題を生じさせている。
それでも僕が怒られ罵倒されながらも何とか落ち着かせて来たんだ。でも危うかった均衡が崩れ始めている。あの日から。そう、舞踏会の夜に接触して来た奴によって・・・・・・。
「おい、姿を見せろ。居るのは分かっているんだ」
夜の帳が降りた頃合いだったとしても屋敷の使用人は働いている。ドタバタと音を立てず優雅に手早く動くけれども今は流石に静か過ぎる。窓を見ても人影一つ見えないのは不自然だ。
ああ、気分転換に外に出たのに自己嫌悪ばかりで嫌になっていたのに、更に嫌な気分になる奴が来るなんて……。
夜の闇の中でも街中だったら建物から漏れ出る明かりが照らしてくれる。人が本能的に恐れる闇であっても完全に世界を覆うなんて事は不可能なんだ。
だけど僕の呼びかけによって一カ所から完全に光が消え去り、人の形をした闇が完成する。眼に当たる部分だけは赤く怪しく光り、風に揺られる様に揺れる姿は靄か煙みたいだ。
『よく分かったな、”神殺し殺し”』
「その呼び名は止めろって言った筈だ。”テュラ”!」
普段は使わない強めの言葉遣いが口から出る。冷静さを失っては駄目だと分かっていても目の前の相手が相手なだけに冷静では居られなかった。その理由は嫌悪であり、恐怖であり、憤怒。
リアスを益々変にしてしまった此奴が僕は嫌いだ。とても敵う相手ではなくとも倒してしまいたいと願っている。
そんな心中を既に察しているのか闇の中から聞こえるのは何処か面白そうな女の声。ちょっとだけ、とても比べ物にならない位に冷たいけれど、本当に少しだけレナスの声に似ていて、話し掛けられた時にリアスがレナスだと思った程だ。
よーく聞けば全然別物だって分かるんだけれど。レナスの声は母親が子供に向ける物で、此奴のは使い捨ての道具に向ける物でしかない。
『嫌われた物だな。お前の妹は私の頼みを聞いてくれるのに困ったものだ。”光の神殺し”には”闇の神殺し”を追い詰めて貰わねばならぬのに、兄であるお前がそれでは……乳母が蘇る事は無いぞ?』
「……黙れ」
『私が復活した際には面倒な世界の統治を任せる約束をしたが、追加報酬として死した者の復活もくれてやると言っただろう? 未だ疑っているのか?』
「……」
あの日、ルメスさんへの嫌がらせの為に大勢の前で彼女のダンスの相手を奪おうとして断られて恥を掻いた事に憤って会場を抜け出したリアス。それを追って会場を出た僕が見たのはリアスに接触するテュラの姿だった。
封印を解く手伝いをすれば世界の管理を任せるという誘惑に対し、リアスはすっかりその気になっていて……。
「駄目だって、リアス! 幾ら何でも怪しいから止めるんだ!」
「五月蝿い! ロノスの分際で私に意見しないで!」
あの日、レナスが死んでから僕とリアスの関係も変わってしまった。レナスの分も僕に頼ろうとする双子の妹の期待に応えたくても十歳の僕に大きな事が出来る筈も無く、近くに居ないと癇癪を起こし、近くに居てもこんな感じだ。
そんな彼女に幻滅される毎日だけれど、流石にこれは黙ってなんていられない。僕はお兄様だから、妹を守らなくちゃ駄目なんだ。だって、レナスとの最後の約束なんだから。”何があってもリアスを守る”って約束したんだから……。
「リアス! こんな事をレナスが知ったらどう思うか考えろ!」
「……それは」
よし! レナスを利用するのは心苦しいから今まで一度もしなかったけれど、だからこそ効果があった。今まで期待に添えない負い目から出さなかった強めの声を出して説得に掛かる。それが功を奏したのかリアスも迷い始めたし、これで何とか……。
『……ふむ。その様子ではその者は死んでいるらしいな。なら……蘇らせてやろうか? ほら、この通りにな』
雲一つ無かった星空が一瞬で暗雲に覆われ、突然の落雷が大きな木に落ちる。其処を巣にしていたリスや鳥の黒こげになった死骸が転がって、瞬く間に傷一つ無い状態で蘇った。
「死者の蘇生だって!? そんな馬鹿な!?」
『私は神だぞ? さて、それでどうするのだ? 例え私への助力を叱る者だとしても生きてさえいれば許されるだろう。いや、叱るという関わりでさえも良いのではないのか? さて、どうする?』
「受けるわ! 世界を私が手に入れて、レナスだって取り戻す! ロノスもそれで文句は無いわね!」
「……うん」
『決まりだな。では、今度は頼んだぞ』
向こうが僕達をあざ笑って居るのは分かっていたけれど、それでも僕は頷くしか出来なかった。リアスが見せた笑顔は普段の傲慢で嫌な感じのする物じゃなくって昔見せてくれていた物だったから。
そして何よりも僕だってレナスともう一度会いたかったから……。
でも、それじゃあ駄目だったんだ。あんな奴の誘惑じゃなく、僕の力で妹の笑顔を取り戻そうとするべきだったんだよ。
時既に遅く、リアスはレナまで巻き込んでテュラの命令に従って、僕が時折止めても意味が無い。
ああ、僕には無力を嘆く事しか出来やしないんだ。
『さて、この辺りで前払いの報酬を渡すべきか。例えば肉体だけ蘇らせてやるとかな。生活に必要な事はするが肝心の中身は成功報酬でだ』
「……黙れ。レナスを弄ぶな」
『貴様こそ黙れ。所詮は彼奴が必要とするから貴様にも力を借りているだけだ。分を弁えろ、人間』
最後まで僕を見下した様子でテュラは姿を消し、使用人が動く姿と働く音が世界に戻って来る。
「前払いの報酬か。それでレナスが……」
ああ、僕は本当に……。




