第四章 第七節 ~ 絶望の手のひら ~
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デーモンが拳を振り下ろすのに合わせ、リオナは転がるようにデーモンとの距離を詰めた。
拳を掻い潜り、無防備な懐へと入り込む。
「≪腰心砕手拳≫ッ‼」
ハイドルクセンとの戦いでも使用した武技≪腰心砕手拳≫。
腰回りの組織に甚大なダメージを与え、直立すら不能にさせる技だ。
命を奪うような技ではないが、相手は凶悪なモンスターであり、リオナは一切の容赦なく拳を叩き込んだ。
「グアッ⁉」
デーモンの巨体がよろめく。
ダメージが通った手応えがあった。
(このまま次のコンボに……)
繋げる。
リオナが行動しようとした途端、右方向からロケットのような勢いでデーモンの左拳が飛んで来るのが見えた。
慌てて姿勢を低くして回避し、追撃を受ける前に間合いから離脱する。
だが、下がろうとするリオナに対して、デーモンも素早い動きで追って来た。
その敏捷性たるや、あのハイドルクセンにも引けを取らない。
瞬く間に距離を詰められ、デーモンの鋭い爪の並ぶ手が迫って来た。
「≪ムーンフラワー≫っ!」
伸びてきたデーモンの手が凍りつく。
そこを中心として、デーモンの表皮にパキパキと氷が広がっていく。
やがて左腕全体が氷に包まれると、雪の結晶のようなエフェクトと共に氷が砕け、デーモンに凍結によるダメージを与えた。
「ガギャッ‼」
砕けた氷と一緒に、紫色の表皮もボロボロと崩れていく。
見てわかるダメージが入ったことに、ミラが拳を握った。
「よし……!」
デーモンが怯んでいる間に、リオナは再び距離を詰めた。
この好機を利用して、彼女は一気に追い込みをかけ、デーモンを行動不能に追いやるつもりだった。
「≪バーストフリップ≫ッ‼‼」
縦横無尽にデーモンの周りを駆け回り、すれ違い様に何十発と打撃を与える大技だ。
以前プレイしていた格闘ゲームで見た技を、自分なりにコピーしておいたのである。
この技は単に威力が高いだけでなく、次に繰り出す技に隙なく繋げられるという利点も有していた。
「≪砕撃≫ッ‼‼」
全身全霊を込めた最速の正拳突きをデーモンの身体に撃ち込む。
ドブッという鈍い音を立てて、リオナの拳がめり込んだ。
「ギャアアァッ‼‼」
デーモンが苦悶の声を漏らす。
リオナはそのまま伸ばす肘の力さえも拳に伝え、デーモンの巨体を大きく吹き飛ばした。
ドゴオォォオンッ‼という派手な音を立てて、デーモンは石壁に突っ込んだ。
ガラガラと観客席が崩れ、瓦礫の下に埋もれて見えなくなる。
リオナはミラと並び立ち、デーモンの沈んだ方を睨んでいた。
「……や、やったのですか?」
「……ミラ、そういうことは言わないもんだぜ」
そうでなくとも、リオナはまだデーモンを仕留めるのに足りないと踏んでいた。
攻撃は効いているようだが、致命的な大ダメージを入れた感覚がない。
これは拳で殴った手応えというより、リオナのゲーマーとしての勘が告げるものだった。
リングに佇むガダルスの様子を窺う。
彼は言葉も発さず、ニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべていた。と、
デーモンが下敷きになっていた瓦礫の山が吹き飛び、その下から殆ど無傷のデーモンが姿を現した。
「なっ⁉ そんな馬鹿なことが……」
ミラは驚愕に目を見開いていた。
あれだけ自分達の全力の攻撃を受けていながらほぼ傷を負っていないなど、有り得ない光景だった。
「どうなっているのですか⁉ 確かにダメージは与えたはずなのにっ‼‼」
「………………」
リオナがデーモンに厳しい視線を送る前で、先程ミラの魔法を受けてボロボロになっていたデーモンの左腕がシュウシュウと煙を上げ、傷がみるみるうちに治癒していった。
「……アークデーモンには、高い自己治癒能力が備わってる。細かいダメージでチマチマ削っていっても、あんな風にすぐ治されちまうのさ」
「そ、それではいつまで経っても倒せないではないですかっ‼‼」
「問題はそれだけじゃあない」
デーモンの瞳が怪しく光る。
魔力の増大を感じ、リオナは構えた。
「来るぞッ‼‼」
デーモンが左手を掲げる。
手のひらに真っ黒な魔力の光が集積し、砲弾のような魔法が撃ち出された。
「わっ⁉」
リオナがミラを突き飛ばす。
同時に、ミラのいる方とは逆の方向に自らの身体を投げ出し、飛んで来た砲弾を躱した。
人の身の丈程ありそうな巨大な砲弾が通り過ぎた後のリングは、土の地面が醜く抉れて畝のようになっていた。
(≪ダークカノン≫……レベル40以上の闇属性魔法! 闇属性は魔力の消費が激しい代わりに高威力の魔法が多い。一撃でも喰らったらアウトだな……)
そんな一撃必殺の魔法を、デーモンはあろうことか一秒間に数発というスパンで連発してきた。
爆撃のような衝撃がリングを襲い、あちこちに陥没を生み出していく。
流石のリオナも避けるのに精一杯で、ミラの様子を気にしている場合ではなかった。
「ッ! クソッタレ……‼」
リオナが強引に〝風の結晶〟を投げつける。
目の前に竜巻が現れ、飛んで来た砲弾を飲み込み、消滅させた。
(……モンスターにはプレイヤーと同様にクラスが設定されている。アークデーモンは〝魔術師〟クラス……つまり、魔法を使ってからがヤツの本領だ!)
竜巻の影に隠れながら、リオナは対策を必死に練る。
半端な攻撃は意味が無い。
かと言って下手に大技を狙えば、あの強力な砲弾の餌食になってしまう。
一体どうすれば……
思考を巡らせるリオナの一方、デーモンの戦いぶりを見ていたガダルスが恍惚の表情を浮かべていた。
「ハハ……ハハハハハハッ! 素晴らしいじゃねえかッ‼‼ これが全てを破壊し尽くす最強の召喚獣の力ッ‼‼ そうだ、俺が……俺こそが、最強の冒険者なんだッ‼‼」
召喚獣の力を自らの力と勘違いし、酔いしれるガダルスは、傍から見ていてとても滑稽だった。
だが、現状では彼に近付くことすらできないのもまた事実。
彼を止めることさえできれば、召喚獣の動きも止められるのだが……
(……ん?)
その時、リオナはガダルスの背後からこっそりと忍び寄ろうとする影があるのを見つけた。
気配は希薄で、よく見ていなければ存在すら見失ってしまいそう。
リオナはそれが〝潜伏〟という状態によるものであることに気が付いた。
ガダルスはまだ影の存在に気付いていない。
慢心し、油断したガダルスに、影は一歩一歩確実に這いより、そして――
「覚悟っ‼‼」
「ッ⁉」
間合いを計り、一足飛びにガダルスに飛びかかる。
その手には、分厚い刃の短剣が握られていた。
両手で短剣を振りかぶった人影は、自らの体重や落下の力も利用しつつ、思い切り短剣を振り下ろす。
完全な不意打ちだったが、
「ハアッ! この俺に近接戦を挑もうなんざ、十年早えんだよォッ‼‼」
ガダルスは素早く腰の長剣を引き抜き、振り下ろされた短剣を受け止めた。
ギリギリと力比べの構図となるが、犬人族でレベル50の戦士である彼に敵うはずもない。
人影――ミラは大きく弾き飛ばされた。
「きゃあっ!」
バランスを崩し、尻餅を突くミラ。無防備になったところに、ガダルスの剣が振り下ろされた。
咄嗟に短剣でガードするも、突き崩されて短剣を手放してしまった。
「あ……」
ミラの喉元に剣先が突きつけられる。
ガダルスは勝ち誇ったようにニィと笑った。
「ヒヒ、いい度胸だなァ? 自ら敵の得意な間合いに飛び込んで行くなんてよォ?」
剣先がミラの首筋をなぞる。
彼女の綺麗な肌の上に、つうと細い朱線が走り、うっすらと血が滲み出した。
痛みか恐怖か、彼女が短いうめき声を漏らした。
「ぅ……」
「さあて、この俺にこぉんな危ないモノを向けてくれやがって……これからどうしてやろうかなァ?」
ねめ回すようにミラの身体を眺めた後、
「……そうだ、面白いことを考えついたぞォ……!」
ニタニタと邪悪な笑みを浮かべたガダルスは、デーモンに向かって、その邪悪さに相応しく吐き気を催すような命令を下した。
「アークデーモンッ‼‼ この小娘を――お前の嫁にしてやれッ‼‼」
命令を受けたデーモンは一瞬のうちにミラの前に立ち塞がり、口から長い舌を覗かせると、生臭い粘液を滴らせながら、彼女にジリジリとにじり寄った。
巨大な影が覆い被さり、ミラは悲鳴を上げた。
「ひいっ⁉」
彼女は慌てて逃げ出そうとするも、片足をデーモンの舌に絡め取られ、宙吊りにされてしまう。
必死に暴れて脱出を試みたが、拘束が緩む気配は全くない。
恐怖と嫌悪感のあまりミラは涙目になって、リオナの名をか細く呼んだ。
「リ、リオナさん……助け……」
「チッ! あのバカが……ッ‼‼」
リオナが竜巻の陰から飛び出す。
幸い、デーモンの注意はミラに向けられていて、リオナに対する攻撃は止んでいた。
足裏に力を溜め、地面を蹴ってデーモンの方へと駆け出す。
(こうなりゃイチかバチかだ!)
デーモンに向かって真っ直ぐ突貫して行くリオナ。
その進行方向に、ガダルスが立ち塞がった。
「おおっと! これから楽しいショーの始まりだァ。大人しく見ていてもらおうかッ‼」
ガダルスが長剣を横薙ぎに繰り出す。
攻撃が迫って来るが、まともに相手している時間はない。
リオナは構わずに速度を上げた。
「邪魔だッ‼‼」
「およッ⁉」
リオナは≪朧抜き≫でガダルスの死角に入り込み、自らの姿を眩ませた。
彼女を見失い、動きを止めたガダルスの脇をすり抜けて、一目散にミラの元へと向かう。
リオナはこの異世界に来て、初めて全力を出した。
――それでも、
(クソッ! 遅えなレベル1……ッ‼‼)
思うようにスピードが出ない仮の肉体に苛立ちが募る。
こうしている間にも、デーモンの青紫色の舌がミラの身体をまさぐっていた。
好奇心からか、徐々にその侵食が彼女の身体の深い所へと伸びていく。
「や、あ……」
気色悪さに身を悶えさせるミラに、デーモンがゆっくりと手を伸ばした。
その手が彼女の身体に届いてしまえば、彼女の無事は保証できない。
リオナは焦燥し、力の限り叫んだ。
「ミラあああぁぁぁぁあああ――――ッ‼‼」
「リオ……ナ、さ……」
弱々しく漏れたその声は、モンスターの手の中に消えていった。
吐き気を催す邪悪(2回目)




