第三章 第十四節 ~ リオナ VS ハイドルクセン② ~
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リオナの呼吸法が変わった。
ハイドルクセンは戦士ではないが、数々の強敵と戦ってきた経験が、何か別の手が来ると告げている。
ハイドルクセンはサーベルを構え直し、じっとリオナの方を注視した。
(……今度は、何を見せてくれるんだい?)
集中力を限界まで高める。
魔法はいつでも撃てる状態。
彼女が僅かでも動けば、それに合わせて得意の魔法で反撃できる。
準備は万端だ。
さあ、次なる行動を……
リオナの姿が目の前にあった。
「な……ッ⁉」
リオナがフッと笑う。
虚を突かれた隙を狙って、鋭い正拳突きが飛んで来た。
完全に反応できる状態ではなかったが、それでも辛うじてサーベルで受け止められたのは、長い間戦いに身を置いていた経験のお陰だろう。
慌ててバックステップを踏む。
再び距離を開け、内心の動揺を抑える。
突然のことに驚きはしたが、二度も同じ過ちは繰り返すまいと、気を取り直してリオナの挙動に注目……
「甘いな」
「ガッ⁉」
今度は全く反応できなかった。
気付けば、リオナの握った拳がハイドルクセンの腹に埋め込まれていた。
鎧の上からでも伝わって来る重い衝撃に、ハイドルクセンは思わず膝を突きそうになる。
が、戦士系の相手に接近された状態でそのような無様は曝さない。
踏ん張ってダウンを防ぎ、近接用の魔法で迎撃する。
避けられてしまったが、距離を開けることはできた。
(何だ⁉ 何が起きているッ⁉)
先程から理屈のわからない現象が起きている。
まさかこの自分が、戦士系の相手に二度も接近を許すなんて……
(……しかも、私は彼女が距離を詰める初動すら知覚できなかった! 戦いの最中に惚けていた? 有り得ない! 私が相手を前にして、集中を欠くなど……!)
認識を超える速度で急接近した?
それも考え難い。
彼女はまだ冒険者になったばかりのレベル1。
敏捷性を瞬間的にブーストするスキルやアイテムはあるが、限界まで高めたとしても、自分が認識できない程速くはならないはず……
だとすれば、あとはもう瞬間移動したとしか……
(そんなこと、できるのかッ⁉)
困惑するハイドルクセンの前で、リオナはコツコツと爪先で足元の地面を踏み鳴らした。
悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべ、ハイドルクセンに向かって宣告する。
「……残念だが、コイツはテメェには見切れない。絶対に――絶対に、だ! テメェは優れた魔術師だが、それ故に、テメェはこの技に敗れるのさ」
リオナの勝利宣言に会場が沸いた。
だが、その喧騒すらイヌ耳に入っていない様子で、ハイドルクセンが声を上げた。
「む、絶対……だと? フフ、馬鹿を言っちゃいけないよ。絶対なんて言葉、この世には絶対に無いのだからな!」
ハイドルクセンが口角を吊り上げる。
ライトブルーの瞳に鋭い光が宿る。
どうやら彼は、まだ勝負を諦めていないらしい。
「……いいぜ。テメェの根性で何処まで張り合えるか、試してやるよ! せいぜい足掻いてみせろッ‼‼」
ハイドルクセンの視界からリオナの姿が消える。
彼女が何処へ行ったのかはわからない。
しかし、そんなことは彼には関係無かった。
「≪サイレントマイン≫ッ!」
≪サイレントマイン≫は空間に仕掛ける爆弾のような魔法だ。
術者の合図か対象が近付いた時に爆発し、ダメージを与える。
かなり威力が高いので、ハイドルクセンはこれまで使用を控えていたが、リオナの見えない攻撃に対する対抗策が他に思いつかなかった。
設置型の魔法を、ハイドルクセンは自分の周囲全方向に仕掛けた。
これなら、リオナが何処から攻めて来ようと、確実に迎撃することができる。
彼女の実力を考えれば、予め発動がわかっている魔法など躱されてしまうだろうが、彼女の体勢が崩れたところへ得意の状態異常魔法を撃ち込むという二段構えだ。
彼女は回復手段を持っていないようだし、バインドに持ち込めば完封できる。
そんな彼の算段は、リオナによってあっさりと破られた。
「冷静な判断だが、詰めが甘かったな!」
声はハイドルクセンの頭上から聞こえてきた。
てっきり前後左右の何処かから攻撃を仕掛けてくるものだと思っていたハイドルクセンは、頭上への警戒を怠っていた。
「せえやぁッ‼」
「ッ!」
ハイドルクセンが即座にその場から飛び退く。
直後、リオナの強烈なかかと落としが降って来て、リングが派手に陥没した。
「くッ! その細身で何処からそんなパワーが湧き出てくるんだ⁉」
「力っつうよりか、力の使い方だな!」
落ちて来たリオナに向かって、ハイドルクセンは魔法を放つ。
しかし、そこに彼女の姿は既に無く、リオナはハイドルクセンの背後に立っていた。
「オラよッ!」
いつの間にかリング端まで追い詰められていたハイドルクセンは、下がることもできずにリオナの拳を喰らってしまう。
大ダメージとまではいかないが、着実に体力は削られていた。
この先、攻撃を何発も喰らい続けるのは、避けた方がよさそうだった。
そうは言っても、リオナの攻撃をハイドルクセンはますます読めなくなってきていた。
前にいると思ったら後ろにいる。後ろにいると思ったら左にいる。
前後左右上下裏表から飛んで来る拳や蹴りの嵐に、ハイドルクセンは為す術がない。
絶対王者とまで言われたハイドルクセンが押され始めたことに、会場は驚愕と興奮の声に包まれていた。
「す、すげぇ……あのリオナって子、〝幻影〟を押してるぜ⁉」
「こりゃあ、まさかのどんでん返しも有り得るかもしれねえなあ!」
「でもよ……〝幻影〟の様子、何かおかしくないか? まるで、彼女が見えていないかのような……」
(……見えていないかのような、だと⁉ まさか、観客達には彼女の動きが見えているというのか⁉)
いや、それは有り得なかった。
ハイドルクセンのレベルは、そんじょそこらの冒険者とは桁が違う。
仮令離れた所から見ていたとしても、自分に見切れない攻撃を観客席の彼らが見切るなど、できるわけがなかった。
だから、見えていないのには、自分の側に何か問題があるわけで……
(……???)
混乱極まった彼は、最早いつもの人当たりの良い笑みを浮かべることも忘れていた。
ここまで狼狽した彼の表情など、観客達は見たことがなかった。
そんなハイドルクセンに対して、リオナは言った。
「……ふむ、何が起きているのかわからない、って面だな? いいぜ、答えを教えてやるよ。……人間の脳は、知覚した全ての情報を処理できるわけじゃない、って知ってるか?」
「……何?」
「いいか? 人間の脳ってのは、五感で受け取った情報を無意識のうちに要る情報と要らない情報に振り分けて、要る情報だけを認識しているんだよ。そうじゃねえと、扱う情報量が多すぎて脳がショートしちまうからな。んで以て……」
リオナがハイドルクセンの目の前に現れる。
先程拳で撃ち抜いた腹部を、人差し指でちょいとつついた。
「……オレが使ってるのは、自分の存在を人間の脳にとって要らない情報に紛れ込ませる体術だ。こうすると、相手はオレの存在を認識できなくなって、一瞬オレの姿を見失う。相手にしてみりゃ、あたかも瞬間移動しているかのように見えるってわけだ」
リオナの姿が再び消え、気付いた時にはまた元の位置に戻っていた。
「これが古武術≪朧抜き≫! まあ、似たような技は色んな流派にあって、呼び方も様々なんだが、オレはこの名前が気に入ってる。変幻自在の術者を霞がかった月に喩えるなんざ、なかなか風流だと思わないか?」
ケラケラと笑って種明かしをするリオナに、ハイドルクセンは胡乱な視線を向ける。
「……それ、対戦相手にバラしちゃってよかったのかい?」
「ああ、別に構いやしねえ。絡繰りがわかったところで、どうにもならねえ技だからな」
「……どういう意味だい?」
ハイドルクセンが眉をひそめる。
温厚で紳士のような性格の彼だが、こうも真っ向から可能性を否定されると、流石にプライドに傷が付くようだった。
リオナはハイドルクセンの怒気にも怯えず、淡々と答えた。
「この技を打ち破るには、敢えて必要のないことに意識を向ける必要がある。そして、それは熟練の戦士でも、そう簡単にできることじゃねえ。……例えるなら、今正にナイフを突きつけられている状況で、空気中に舞う埃の数を数えるようなモンだ」
空気中の埃を数えるだけでも相当な集中力を要求されるのに、そこに自分の命が危機に曝されている状況が加わったとしたら、もう埃を数えるどころではない。
誰もがいつ振り下ろされるかもわからないナイフに気を取られ、空気中の埃のことなど、存在すら忘れ去ってしまうはずだ。
つまり、≪朧抜き≫を見破るには、自分の命すらも忘れて関係の無いことに意識を向けるという並々ならぬ精神力が必要なのだった。
「……そんな精神力、一日二日の修行で身に付くモンじゃねえし、ましてや、魔法を使うのに物凄え集中力が必要になる魔術師にゃあ、まず見破れねえと言っていい。相手の動きを探ろうと集中すればする程、それ以外のどうでもいい情報に対する意識は薄くなっていく。≪朧抜き≫の格好の餌食だ」
一通り説明の終わったリオナが、再び≪朧抜き≫で距離を詰めてきた。
彼女の言った通り、〝どうでもいい情報〟に意識を向けてみようとするハイドルクセンだったが、生粋の魔術師である彼は、さっぱりその感覚を掴むことができなかった。
そのうちに、満タンだったはずの体力が、リオナの攻撃によって半分以上削られてしまった。
「ウッ……ハァ……ハァ……」
「どうだ? そろそろ無駄な足掻きってことがわかってきたんじゃないか?」
ハイドルクセンの呼吸が乱れる。
何度試してみようと結果は同じ。
リオナの≪朧抜き≫を見切ることが、彼には終ぞできなかった。
しかし、
(――しかし、このままタダで負けるわけには……!)
ハイドルクセンは乱れた呼吸を整え、サーベルの剣先でスラスラと魔法陣を描き始めた。
自分の知らない術の気配に、リオナは好奇心で足を止める。
術式の途中で攻撃するような無粋な真似を、当然リオナはしなかった。
術式を練っていたハイドルクセンが口を開く。
「……残念なことだが、確かに君の言う通り、あの≪朧抜き≫は私には打ち破れないらしい。君の体術の冴えには、脱帽せざるを得ないよ。
……でもね、私にも闘技場の王者として、一冒険者として、或いは一人の男として、譲れないものはある。このまま黙って引き下がることだけは、絶対にしないッ! 私の最後の魔法、とくと味わいたまえッ‼‼」
描かれた魔法陣が三つに分離する。
それらは正三角形を形作り、ハイドルクセンの注いだ魔力を数倍に引き上げた。
膨張したそれらの魔力は、正三角形の中心へと凝縮され、辺りに身が震えるようなプレッシャーを放ち出した。
「――≪ミルキースパーク≫ッ‼‼」
魔法陣の中心から、眩い光線が放たれる。
文字通り光の速さで射出されたその光線は、リオナの方へ真っ直ぐ飛んで行き、彼女の姿を飲み込んだ。
それだけに勢いの留まらない光線は、リオナの背後にあった観客席下の石壁にぶち当たり、その表面を削り取ったところでようやく消滅した。
「ッ……はぁ……!」
これまで顔色一つ変えずに魔法を連発していたハイドルクセンだが、流石にこの魔法を使うのは消耗が激しいようだった。
乱れた呼吸を整えつつ、リング上を俯瞰する。
リオナの姿は見えない。
光属性の攻撃魔法は全般的に、飲み込んだ物を消滅させる効果がある。
≪ミルキースパーク≫を喰らっていたとすれば、その肉体は跡形も残らず消え去っているはずだった。
それ程の魔法を――人を殺せる程の魔法を、ハイドルクセンは躊躇せずに使ったのだ。
だが、誤解無きように言っておくが、彼にはリオナを殺すつもりなど毛程もなかった。
女性を傷付けるような真似は絶対にしないという彼の信条は、ダイヤモンドのように硬く、砕けることがない。
それでも、彼が強力な攻撃魔法を使った理由。それは――
「……残念だが、そんな速いだけの弾幕はナンセンスだぜ?」
背後の気配に、ハイドルクセンは振り向く。
余裕の笑みを浮かべ、傷一つ負っていないリオナが立っていた。
「はは……やはり、避けていたか」
「当たりめーだ。軌道さえ読めてりゃあ、あれしきの光線、避けるのは造作もねえ」
発動と同時に相手を射抜く光の魔法も、ゲーマーとして数々のシューティングゲームをクリアしてきたリオナにとっては、止まっているのと変わりなかった。
軽く足踏みをして、余裕をアピールするリオナに対して、ハイドルクセンは頭を振った。
「参ったな……これで倒せないとなると、もう君に勝てる方法が思いつかないよ」
「何だ、降参か? ま、そうだとしても、オレの遊びには最後まで付き合ってもらうぜ?」
リオナが拳を構える。
この一撃で仕留める――そういう強い意志が、握られた拳から感じられた。
ハイドルクセンは、挑戦者を迎え撃つ王者として、自分から勝負を降りるようなことはせず、彼女の全力の一撃を真っ向から受けることにした。
「来たまえッ! 美しき挑戦者よッ‼」
「ああ、それじゃあ……遠慮なくッ!」
リオナが≪朧抜き≫でハイドルクセンの懐に入り込む。
鎧の上半身と下半身の間、丁度防御が薄くなった所目掛け、右の拳を叩き込んだ。
空気が震える程の迫力を備えたリオナの拳は、分厚い鎧を砕く甲高い音と共に、ハイドルクセンに大ダメージを――
「……ん?」
「……あれ?」
ハイドルクセンにダメージは無かった。
それどころか、鎧に傷を付けた形跡も無い。
てっきりこの一撃で戦闘不能に陥るだろうと踏んでいたハイドルクセンは、思わず間の抜けた声を上げてしまった。
拳を撃ち抜いた姿勢のまま、リオナは静止している。
予想外の展開に、観客達も唖然としてその光景を見つめていた。
リオナの眩い金髪から覗くうなじを見下ろしながら、ハイドルクセンは問いかけた。
「あ、あの……リオナ、ちゃん?」
「……ふ」
リオナが短く息を吐く。
その瞬間、彼女の身体が陽炎のように小さく揺らめいた。
少なくとも、ハイドルクセンや周りの観客達にはそう見えた。
だが、これは間違いなく彼女の攻撃であり、それを認識した時には、ハイドルクセンは経験したことのないような激しい衝撃に見舞われていた。
「≪腰心砕手拳≫ッ‼」
「何……グハァッ⁉」
巨大モンスターに殴られたくらいの衝撃を受け、そのまま吹き飛ぶかと思われたのだが、不思議なことに、ハイドルクセンは足が地面に縫いつけられてしまったかのように、その場から動けなかった。
意識は保っているが、足腰に力が入らなくなり、彼は地面に倒れ込んでしまう。
立ち上がることもできなかった。
「こ、これは、どういうことだ……? 体力はまだ残っているはずなのに……!」
「悪いが、オマエは暫く立つこともできねえだろうな」
「な、何だと……」
彼女の言葉通りだった。
いくら立ち上がろうとしてみても、まるで生まれたての山羊のように足腰が砕けてしまう。
立ち上がれない彼に対し、リオナは言った。
「≪腰心砕手拳≫は、人体を支える腰の辺りの組織を破壊する技だ。コイツを喰らうと三日三晩は立てなくなると言われてる。ポーションとかで回復しない限り、オマエはもう戦うこともできないってことさ」
「そんな技が……」
(……まあ、ゲームには無いわな)
≪腰心砕手拳≫は中国拳法に由来する技だ。
この異世界の住人が知っているはずがない。
通常攻撃や普通のスキルでダメージを与えられないリオナは、自らが培ってきた様々な武術に頼る以外に、戦う方法が無いのだった。
倒れ伏すハイドルクセンの頭上の耳元に顔を近付け、リオナは囁いた。
「それで、どうする? オマエは立つことすらできねえわけだが……その状態からでもまだ打つ手があるってんなら、付き合うぜ?」
何処か面白がるように笑うリオナの瞳は、まだまだ遊び足りない子供のようだった。
キラキラと光る金眼に暫く見とれていたハイドルクセンだが、不意に「フッ……」と表情を崩すと、
「……申し訳ないが、君が期待するようなサプライズは、もう用意できそうにない。この〝決闘〟は、君の勝ちだ!」
その言葉がリング上に響いた瞬間、この大会の最後の勝者が決まり、試合終了のコールとそれを掻き消す程の歓声とが闘技場を包み込んだ。
何ともエグい技を使いやがる




