第二章 第三節 ~ 宿屋へ ~
☯
「うぅ……頭痛いですぅ……」
「無茶するからだ」
リオナの背中で、ミラはぐったりとしていた。
二人の酒飲み対決はリオナの圧勝だったわけだが、それでもミラが食い下がろうとした結果、御覧の有様となっている。
慣れない酒を無理に飲もうとした、当然の帰結だ。
行動不能となったミラを背負って食堂を後にしたリオナは、今晩泊まる宿屋を目指して街道を歩いていた。
夕食時が過ぎても尚賑わう人々の波を、するりするりと抜けて行く。
結構な人波だが、流石に夕方の新宿程ではない。この程度の人波の中を歩くことなど、リオナにとっては容易いことだった。
「オイ、宿はどっちだ?」
「んう……あっち……」
指示された方向に向かって進む。
≪サンディ≫のマップなら隅々まで完璧に記憶しているし、宿屋もゲームで何度も訪れていたが、ゲームとは違い、宿屋などこの街には無数に建っている。
立ち並ぶ建物も全て似たような造りをしており、どれが目的の宿屋かまでは流石にわからなかった。
「ん……ここです」
「ほう」
ミラが指差したのは、木と土の壁で造られた三階建ての建物だった。
普通の家よりは大きいものの、看板に宿らしき絵が描かれていなければ、他の建物と間違えそうだった。
扉を開け、中に入る。
カウンターには細身の中年男性が一人立っており、宿泊客の姿を認めるや否や、優しげな微笑で出迎えてくれた。
カウンターに歩み寄り、その男性に向かってリオナは声をかけた。
「女二人、二人部屋、一晩。何も起きないはずがなく……」
「起きませんっ‼‼」
宿屋のカウンターで盛大にボケ始めたリオナを、背中のミラがウサ耳で叩いた。その元気があるなら、体調は大丈夫そうだ。
ケラケラと笑うリオナの背中から下りたミラは、咳払いを挟んでから、カウンターに立つ宿屋の店主に向き合った。
「コホン……えーと、一晩お願いできますか?」
「ふふ、いらっしゃい。一晩でいいんだね? お二人様一部屋……と。食事は付けるかい?」
「いえ、食事は結構です」
「わかったよ。……ベッドは一つでいいのかい?」
「……二つで」
「はは、そうかそうか。じゃあ、お代を計算するから、ちょっと待ってね……」
そう言って、店主はカウンターの下からそろばんを取り出し、慣れた手つきで石を弾き出した。
十秒とかからないうちに、店主はお代を提示した。
「ふむ、出たよ。お代は三百五十ロンドだよ」
(安いな……)
MMORPGシェーンブルンでの貨幣単位は〝ロンド〟という。
現実の貨幣との交換価値がどれ程なのかは明らかでないが、レベル33程度の平均的な冒険者の月収が、だいたい14~5万ロンドと設定の端っこに書いてあった気がする。
(この異世界じゃどうか知らんが、ゲームの中だと宿は一泊五百ロンド、高い所だとその十倍ってところだ。それが二人で三百五十とは……)
気になったリオナは、ミラに尋ねてみることにした。
「オイ、この世界の宿は何処もこんなに安いモンなのか?」
「そうですね、流石に王都の宿屋ともなると、こうまで安くはありませんが……。街の宿屋は、ギルドが助成金や用心棒等の支援を供出する代わりに、宿泊料金を低く設定するよう取り決められているのです。冒険者さんに心身をしっかり休めてもらって、ダンジョン攻略でたくさんの成果を上げてもらう為なのですよ!」
「へえ、そんな設定があったのか」
ゲームでは語られなかった裏事情に対する未知が既知となったことに、リオナは満足げに頷いた。
提示されたお代をミラが銅貨で支払うと、店主はカウンターの後ろに掛かっていた鍵をミラに手渡した。
「はい、じゃあこれが部屋の鍵だよ。ミラちゃんならわかっていると思うけど、夜はあんまり騒がしくしないでね。他のお客さんの迷惑になっちゃうからね。それと、今日の大浴場はあと一時間くらいしたら閉めちゃうから、入るなら急いだ方がいいよ」
「わかりました。お世話になります」
鍵に記された番号を見て、あてがわれた部屋へと足を向けるミラ。
彼女と店主とのやり取りを聞いていたリオナは、彼女の後に続きつつ、その背中に尋ねた。
「ここには風呂があるのか?」
「はいな! ここの地下からは天然温泉が湧き出していて、この宿の自慢なのですよ! 日頃の探索で疲れの溜まった冒険者の方々にとっても評判なのです!」
「そいつは楽しみだな」
まさか異世界に来て天然温泉を楽しめるとは思っていなかったリオナは、冒険者に評判だという宿の温泉に、期待で胸を膨らませた。
リオナの前を歩くミラも、温泉が楽しみなのかピョンピョンと跳ねるような足取りで歩いている。
部屋の前に着くと、ミラが渡された鍵を使って部屋の扉を開けた。
ギィ、という僅かに扉の軋む音と共に、二人は部屋の中へと足を踏み入れた。
部屋は二十畳程のスペースとなっており、かなり広々としている。
藁の上にシーツをかけたベッドが二つと衣装棚、小さな机と椅子のセットが置いてある他に目立った家具はなく、余計に部屋が広く感じられる。
天井から吊り下げられたランプの明かりは頼りないが、窓から差し込む月明りのお陰で、部屋の中は十分過ぎる程明るかった。
如何にもRPGの宿屋というような部屋の内装に、リオナは喜色の笑みを浮かべた。
「うむ、やっぱ宿はこうじゃねえとな」
「お気に召されましたか?」
「ああ、控えめに言って最高だぜ!」
ボスン!とベッドに勢い良く飛び込むと、何処か懐かしいような落ち着くような草の香りが部屋に満ちた。
現代のベッドのような柔らかいクッションは効いていないが、これはこれで新鮮であり、ゆったりと眠れそうだった。
そのまま睡魔の誘惑に身を委ねてしまいそうになるが、まだ自慢の天然温泉を味わっていない。
軽くベッドから飛び起き、部屋の隅で荷物を整理していたミラに向かって言う。
「んじゃ、早速風呂にでも行って来るか」
「もう、リオナさんはせっかちですね。今持ち物を整理しますからもう少しお待ちを……」
「そんなん後でいいだろ? そら行くぞ!」
「ふにゃあ⁉ ちょ、リオナさん! ウサ耳は! ウサ耳はやめてくださいっ!」
座り込んで自らの鞄を漁っていたミラのウサ耳を強引に引っ張り、リオナは宿の大浴場へと向かった。
次回、待望の温泉回!(※画像や映像はありません。妄想でお楽しみください)




