確認作業
ふっと目が覚めた。
今まで眠っていたのが嘘のように、眠気の余韻もなくぱちりと瞼が開く。
見慣れない天井、妙にふかふかしたものの上に寝かされた体。
今は昼なのだろうか、部屋の中は明るい。
暫くじっと天井を見つめて、今の状況がおかしい事にやっと気付いた。
雨の降り続ける山の上にいたのに、何故部屋に寝かされているのか。
生贄として送り出された子供を、わざわざ助けに来る者などいない。
それに、見える天井は村のそれとは違っている。
俺の村の建物は、木を削り、組み合わせただけの簡素なものだ。
町長の家や、村唯一の宿屋でもそれは変わらない。
だけど、今見ている天井は見慣れた木の天井じゃない。
木でできているようには思えない、白色の、細かい模様の入った綺麗な天井。
視線を動かして見た天井はとても広くて、その中心に何か丸くて白っぽい物がぶら下がっていた。
ひとしきり天井を眺めて、それから漸く自身の体の事に考えが向いた。
雨に濡れて発熱し、空腹と疲労とでふらふらだったはず。
もしかしたら数日眠り続けて熱は下がったのかもしれないが、空腹感を感じないのは感覚が麻痺しているんだろうか。
体がどこも痛くないのもおかしい。
山頂で意識を失って、山の斜面を転がり落ちたはずなのに、だ。
此処は一体どこなんだろう。
もしかして俺はもう死んでいて、此処は死後の世界とでもいうんだろうか……。
「あれ、目が覚めたんだ」
混乱していた俺の耳に、女の声が聞こえた。
どう言葉を返していいものか、口を微かに動かしながら考えあぐねていると、顔に影が落ちた。
「少年、気分はどう?」
顔を覗き込んでるのは、先程の声の主だろう女。
肩の辺りまで伸ばされた黒髪が、首を傾げるのに合わせてさらりと揺れた。
顔つきからして、この地方の人間じゃないように思う。
実際に見た事はないけれど、異国の女というのはこんな顔をしているんじゃないかと思う。
俺よりは年上なのは分かるが、どこか幼く感じる顔立ちをしているせいで年齢がはっきりしない。
「少年、聞こえてる?」
思わず考え込んでいた俺の額を、女の白い手がピタピタと叩く。
荒れていない、白く綺麗な手。
こんな部屋がある家に住んでいるのだから、どこかの金持ちの娘なのかもしれない。
俺が反応しないせいか、額を叩く手に少し力が籠められた。
痛みはないが、反射的に小さく声が漏れる。
「ほら、聞いてるんだから答えなさい」
「……聞こえてる」
掠れた声で返事をしたが、口の中が乾いているせいか咳が出た。
こうしてまともに言葉を話したのは久しぶりな感じがする。
「それで、気分はどう?」
「……悪くない」
「そう、良かった。此処に転がってきた時は虫の息だったからちょっと慌てちゃったけど、意識もしっかりしてるみたいだし、大丈夫そうか」
女はさらっと口にしたが、虫の息……という事は、やっぱり俺は死にかけていたんだと知る。
そんな状態からまるで何もなかったかのような今の体の調子になるまで、一体どれだけの時間が流れているのか。
良い所のお嬢様のようだから、お抱えの医者に治療を頼んでくれたのかもしれない。
分からない事だらけだが、彼女に尋ねて整理をしよう。
「あの、此処は……」
「私の家」
簡潔に返ってきた言葉は、俺が聞きたい事じゃない。
微かに上がっている口角に、彼女もそれを分かっていて返事をしたのだと分かる。
「じゃあ、今度は私が尋ねようか。君は何処を目指して歩いてきたの?」
その質問に、俺はちょっと考えた。
すっかり忘れていたが、俺は生贄として山を登っていた。
俺は山頂を目指して歩いていたが……
「一応、魔法使いの住処……?」
「なにそれ、一応って。しかも疑問系。……まぁ、いいわ。此処はその『魔法使いの住処』よ」
あっさりと告げられた言葉は、確かに耳に届いていたけど理解をするのに時間を要した。
魔法使いの住処、霧の向こうにあるらしい場所。
辿り着いた者が本当にいるかどうか分からない御伽噺のようなその場所に、今俺がいると?
山頂で前のめりに倒れたのはぼんやり覚えているから、転がり落ちた俺は霧の中に突っ込んだとは思う。
……そうすると、これは全て幻覚で、俺は霧に惑わされているんだろうか。
山を登って帰らない者たちも、こんな風に霧に囚われてしまったとしたら?
すっかり黙り込んだ俺に、女は俺に顔を近づけた。
黒い瞳が、まっすぐに俺を見る。
「別にいいわよ、信じなくても。後で嫌でもはっきり分かるから」
こちらの疑う気持ちが伝わっているのに、彼女は怒る事も悲しむ事もなく淡々と告げた。
はっきり「後で分かる」と言い切るだけの何かがあるのだ。
俺の疑いが霧散してしまう何かが。
彼女の言う通り、此処が魔法使いの住処なのだとしたら……
「あなたは」
「一応、魔法使いって事になるわね」
そう言って、彼女は面白そうに笑った。