ひとつの始まり
良くある話だった。
少なくとも、小さく閉鎖的な村には。
天災や飢饉が起きて、人々が縋るのは形のないモノ。
その地に残る言い伝えや信仰が生み出した『神』という存在だ。
何か良くない事が起こると、それを神の怒りと恐れ戦く。
そして、怒りを鎮めようと選択する手段は、実に下らない。
生贄だ。
その土地によってそれぞれだが、選ばれるのは主に女子供。
つまり、集団という数と力に敵わない、弱い存在が選ばれる。
村の偉い連中は口ばかりで、自分を犠牲にしようなんて気は更々ない。
そして、生贄なんて本当は意味のないものだという事を知っているのも彼らだ。
天災も飢饉も、自然がもたらすものだと知っている。
中には、本当に信心深く神の怒りだと思い込んでいる人間もいるけれど。
ただ、村人たちの不安や不満が爆発し、自分たちに向かないようにする為の犠牲。
生贄が、命と引き換えに神の怒りを鎮めに行く。
村人たちは、その事実に胸を痛めるだろう。
小さな村なけば、全員が顔を知っている誰かが選ばれるのだから。
そこで生贄としての役割は半分。
村人たちの負の感情はひとまず、生贄に対する同情と、自分や家族が選ばれなくて良かったという暗い安堵にすり替わる。
そして生贄が村を出て、状態が好転すれば良し。
もし状態が続いたり、更に酷くなったとしても、生贄が神の怒りを鎮められなかったのだと、責任を擦り付ける事ができる。
神に捧げられる人身御供の実態は、村を円滑に保つ為の道具に過ぎない。
私は、そんな道具に選ばれた。
村を襲った長雨。
その始まりは、いつも通りの雨の日、ただそれだけだった。
だが、それが一日、二日と雨が続き、一週間も続くと誰もがその異常に気付いたのだ。
嵐や大雨のように、一時を耐えれば過ぎていくものではない。
いつ降り止むのか分からない雨に、人々は不安と恐れを抱いた。
降り続く雨は、徐々にその牙を剥き始める事になる。
作物の葉は枯れ、大きくなり始めていた実は成長を止め、病気が蔓延し始めた。
刈り取った穀物や牧草を乾燥させる事ができず、ほとんどが駄目になってしまった。
そして、普段は穏やかで細い川が氾濫し、あらゆる物を流していく。
元々貧しく、自給自足でなんとか成り立っていた村だ。
蓄えられていた食糧もあったが、十分な量がなかった。
普段、食べていくだけでもやっとな日々が多かったのだから。
近くの村も同じような状態で、外に分ける食料なんかない。
そのうち、食糧の奪い合いが始まるのではないかと思うほど、殺伐とした空気が立ち込めていた。
村長も切羽詰っていたんだろう、ついにあの言葉が口から出た。
生贄を、と。
そして、私が選ばれた。
理由は実に分かりやすい。
それは、私が独りだったからだ。
長雨が村々を襲う前、唯一の家族を失った。
元々体が丈夫ではなかった母が、病で倒れ、すぐに逝ってしまった。
あっという間の出来事に、為す術もないままに。
子供だった私には村が世界の全てで、母はその世界の中心だった。
太陽を失ってしまった幼い私は、暗い世界に蹲り、子供ながらに絶望していたのだろう。
何もかもがどうでも良かった。
だから、生贄なんて死刑宣告に等しいそれに頷いたのだ。
村長に告げられたのは、山に登り身を捧げよ、と。
示された山は、越えると魔法使いの住処があるとされる有名な山だった。
魔法使いの住処は、円を描くように連なる山々に囲まれた中にあるという。
村は、そんな山々のうちの一つ、その麓にあった。
一番標高が低く、他の山よりも勾配が緩やかな為、魔法使いの住処へ行こうとする者の多くはその山を目指す。
何処にいるか分からない神より、少なくとも居場所が特定できる魔法使いを頼ろうと考えたのだろう。
近くに目指す場所があるのだから。
しかし、私が身を捧げ、例え雨が止んだとしても、その後に待ち受ける飢餓をなんとかする術がないのに。
だが、そんな先の話を私が考えても仕方がないと、すぐにその思考を放棄した。
生贄が村に戻る事はないのだから。
夜のうちに住んでいた小屋を簡単に片付け、村の片隅に眠る母の墓へと挨拶に行った。
体は此処へは戻って来ないだろうから、私は貰った名をそこへ埋めた。
生贄に指名された次の日、私は身一つで旅立った。
母との思い出が浮かぶのが唯一辛い事だったが、それもすぐに終わるのだと考えて、ただひたすら山の頂上を目指して。