1-1
四肢を奪われ、心臓に刃を突き立てられて、大地に縫い止められて、そこまでされて、女はようやく動くのをやめた。それでもまだ生きている。
仰向けになった女の顔を、ユウマはのぞき込んだ。
「お前、マカラの女だな。名前は?」
「シュリ・マカラ」
こんな状況だというのに女は淀みなく答えた。ユウマを見上げる女の顔には、さすがに濃い死相が浮かんでおり、目つきも虚ろだった。
しかし声ははっきりしている。
「お前は、トランの男だな。それもこの力、《炎の手》か?」
「うん」
「やはり、そうか。名はなんというんだ?」
「ユウマ・トラン」
女は吐息をもらした。
それと一緒に、真っ黒い血を口からだらだらと力なくこぼした。
女はうわごとのように続けた。
「夜の散歩に出て、たまたま出会った敵が、《炎の手》か。ついてない。……いや……それともついているのか。人生の最期に、クドで最強の戦士と一騎打ちができて、……」
「……」
「おい、トランの《炎の手》よ」
「うん?」
「私は、強かったか?」
「うん。死ぬ前に、名前を聞いておこうと思うくらいには」
「…………」
それに対する返答はなかった。女はすでに死んでいた。
最後の答えは聞こえていたかな? という疑問がユウマの頭に一瞬浮かんだが、考えても意味のないことだった。彼はそれをすぐに忘れた。
ユウマは、女の腹の真ん中を串刺しにしていた剣を引き抜いて、鞘に納めた後、腰元から二回りほど短い短剣を取り出した。それで、女の死体の喉から股間までを、一気に切り裂いた。
ドバっと中身があふれてくる。湯気が立つほど熱い内臓だ。それをきれいに取り除いた後、ユウマは丁寧に女の皮を剥いでいった。
残虐趣味。というわけではない。
この地に生まれた人間は、誰もが《炎神ミラ》の血を引いている。死んでなお、その肉体には神の力が宿るのだ。
殺した相手の肉体を利用して武器防具を作るのは、彼らにとって戦いの勝者の正当な権利である。
さすがに損傷の激しい死体で、大した素材は手に入らなかった。
皮と、あとは肋をいくらか収穫して、ユウマはその場を去った。残った部品は放置だ。
彼らに埋葬の文化はない。
死体は常に野ざらしで、二、三日で乾いて《クド》の大地に還る運命にある。
ユウマが、トラン氏族の集落に帰った時には、月は中天に近くなっていた。
自分の天幕に戻ったユウマを、氏族の男が出迎えた。帰りを待っていたらしい。
男はユウマを見るや、鼻をひくつかせて眉をひそめた。
「血の匂いがしているぞ」
「ああ。一人殺した」
「どこかに攻め入っていたのか?」
「いや、地トカゲを狩りに行ったんだ。その途中、マカラ氏族の女に遭遇した」
「待ち伏せられたか?」
「いや。偶然じゃないかな。向こうも一人だったし」
「そうか。まあ、無事ならいい。しかし、今後は遠くに出るなら、誰かに言づけてから行け」
「何かあったのか?」
「夢占師が、お前を呼んでいる」
今度はユウマが眉をひそめる。
夢占師とは、炎神ミラの意思に触れて、それを伝える役目を負った氏族の先導役だ。非常に重要な役であり、そのため普段は軽々しく言葉を発することはない。
それが、ユウマを呼んでいるということは。
「何かあったのか?」
「知らん。だが、緊急の用件のようだったぞ」
すぐに行くと答え、ユウマは一度自分の天幕に入った。
取ってきた皮をつるして干し、肋は大切にしまっておく。小さく姿を変じたラに見送られ、彼は天幕を出た。
美しいクドの夜である。
さえぎるものが何もない、満天の星空だ。
蒼月は、手を伸ばせば届きそうなほど近い。
昼は一面真っ白に輝く荒野が、今は青白い燐光をほのかに浮かび上がらせている。澄んだ風がそれを撹拌して、中空に巻き上げてゆく。
不意に、首筋にひやりとしたものを感じて、ユウマは天を仰いだ。
はっとした。星も月も消えていた。
代わりにそこにあるのは、巨大な黒いかたまりだ。
巨大という言葉では形容しきれない、満天の空をはみだすほどの、おどろおどろしい黒いかたまりが、とぐろを巻き、まっすぐ触手のようなものを、地上に下ろしてきている。
触手は、ユウマの首筋を二、三度優しくなでた。どことなく喜悦のような感情が、そこから伝わってきた。
ユウマは満身を緊張させた。
これが初めてではない。その黒いかたまりを見るのは三度目だった。
それはいつも、ユウマの人生が何か大きな分岐を迎える時、不意に現れて、ただ触手で触れて、あとは何をすることもなく、姿を消すのだった。
「これから、何か始まるってことか」
触手はすでに消えている。
空を覆っていた巨大な黒いかたまりもすでになく、無数の星々が瞬くばかりである。