表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/51

1-1

 四肢を奪われ、心臓に刃を突き立てられて、大地に縫い止められて、そこまでされて、女はようやく動くのをやめた。それでもまだ生きている。

 仰向けになった女の顔を、ユウマはのぞき込んだ。


「お前、マカラの女だな。名前は?」

「シュリ・マカラ」


 こんな状況だというのに女は淀みなく答えた。ユウマを見上げる女の顔には、さすがに濃い死相が浮かんでおり、目つきも虚ろだった。

 しかし声ははっきりしている。


「お前は、トランの男だな。それもこの力、《炎の手》か?」

「うん」

「やはり、そうか。名はなんというんだ?」

「ユウマ・トラン」


 女は吐息をもらした。

 それと一緒に、真っ黒い血を口からだらだらと力なくこぼした。

 女はうわごとのように続けた。


「夜の散歩に出て、たまたま出会った敵が、《炎の手》か。ついてない。……いや……それともついているのか。人生の最期に、クドで最強の戦士と一騎打ちができて、……」

「……」

「おい、トランの《炎の手》よ」

「うん?」

「私は、強かったか?」

「うん。死ぬ前に、名前を聞いておこうと思うくらいには」

「…………」


 それに対する返答はなかった。女はすでに死んでいた。

 最後の答えは聞こえていたかな? という疑問がユウマの頭に一瞬浮かんだが、考えても意味のないことだった。彼はそれをすぐに忘れた。


 ユウマは、女の腹の真ん中を串刺しにしていた剣を引き抜いて、鞘に納めた後、腰元から二回りほど短い短剣を取り出した。それで、女の死体の喉から股間までを、一気に切り裂いた。

 ドバっと中身があふれてくる。湯気が立つほど熱い内臓だ。それをきれいに取り除いた後、ユウマは丁寧に女の皮を剥いでいった。


 残虐趣味。というわけではない。


 この地に生まれた人間は、誰もが《炎神ミラ》の血を引いている。死んでなお、その肉体には神の力が宿るのだ。

 殺した相手の肉体を利用して武器防具を作るのは、彼らにとって戦いの勝者の正当な権利である。


 さすがに損傷の激しい死体で、大した素材は手に入らなかった。

 皮と、あとは肋をいくらか収穫して、ユウマはその場を去った。残った部品は放置だ。


 彼らに埋葬の文化はない。

 死体は常に野ざらしで、二、三日で乾いて《クド》の大地に還る運命にある。





 ユウマが、トラン氏族の集落に帰った時には、月は中天に近くなっていた。

 自分の天幕に戻ったユウマを、氏族の男が出迎えた。帰りを待っていたらしい。


 男はユウマを見るや、鼻をひくつかせて眉をひそめた。


「血の匂いがしているぞ」

「ああ。一人殺した」

「どこかに攻め入っていたのか?」

「いや、地トカゲを狩りに行ったんだ。その途中、マカラ氏族の女に遭遇した」

「待ち伏せられたか?」

「いや。偶然じゃないかな。向こうも一人だったし」

「そうか。まあ、無事ならいい。しかし、今後は遠くに出るなら、誰かに言づけてから行け」

「何かあったのか?」

「夢占師が、お前を呼んでいる」


 今度はユウマが眉をひそめる。

 夢占師とは、炎神ミラの意思に触れて、それを伝える役目を負った氏族の先導役だ。非常に重要な役であり、そのため普段は軽々しく言葉を発することはない。

 それが、ユウマを呼んでいるということは。


「何かあったのか?」

「知らん。だが、緊急の用件のようだったぞ」


 すぐに行くと答え、ユウマは一度自分の天幕に入った。

 取ってきた皮をつるして干し、肋は大切にしまっておく。小さく姿を変じたラに見送られ、彼は天幕を出た。


 美しいクドの夜である。


 さえぎるものが何もない、満天の星空だ。

 蒼月は、手を伸ばせば届きそうなほど近い。

 昼は一面真っ白に輝く荒野が、今は青白い燐光をほのかに浮かび上がらせている。澄んだ風がそれを撹拌して、中空に巻き上げてゆく。


 不意に、首筋にひやりとしたものを感じて、ユウマは天を仰いだ。

 はっとした。星も月も消えていた。


 代わりにそこにあるのは、巨大な黒いかたまりだ。

 巨大という言葉では形容しきれない、満天の空をはみだすほどの、おどろおどろしい黒いかたまりが、とぐろを巻き、まっすぐ触手のようなものを、地上に下ろしてきている。


 触手は、ユウマの首筋を二、三度優しくなでた。どことなく喜悦のような感情が、そこから伝わってきた。

 ユウマは満身を緊張させた。

 これが初めてではない。その黒いかたまりを見るのは三度目だった。


 それはいつも、ユウマの人生が何か大きな分岐を迎える時、不意に現れて、ただ触手で触れて、あとは何をすることもなく、姿を消すのだった。


「これから、何か始まるってことか」


 触手はすでに消えている。

 空を覆っていた巨大な黒いかたまりもすでになく、無数の星々が瞬くばかりである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ