その夜
話を続ける前に、少しこの世界についての説明をしておこう。発端は21XX年の新東京から始まるー
ナゴヤ近海において発掘された石油に代わる新エネルギーの活用を背景とし、50年前に行われたナゴヤへの「遷都」以来、かつて東京と呼ばれていた街には大きな3つの変化が訪れた。
第1に人口の過剰流出、第2に入植者たちの台頭、そして絶対階級制の導入である。
行政、司法、報道機関、主要な都市機能は全てナゴヤに移転、政府主導による新都計画の一環として10ヶ年計画で行われたインフラ整備も完了し、新天地での生活補助も充分以上だった。
結果として東京の人口は遷都後半年も経ぬ内に50万人を切り、首都機能を全て奪われた事による機能不全の連鎖の後、更に半年後には、ほぼゴーストタウンと化した。
荒廃した東京に現れたのが「第3世代」を名乗る入植者たちである。
彼らの詳細な背景は未だに公開されていないが、少なくとも我々土着の日本人と同じ肌の色と黒い髪、黒い目を持っており見た目は何ら変わらなかった。
一説によれば身体のどこかに在る密教の真言の様な痣が、彼らと我々を隔てる目印らしい。(現大統領の眼の下には「吽」と読めなくもない痣がある。)
彼らはカントウ以北にある「地図に載らない」治外法権区域、通称「第13区」から突如上京、東京暫定自治機構ADAMSを立ち上げた。
立ち上げに関わった13区からの来訪者達を「アダム」、初期入植に貢献した13区以外の出身者を「カウボーイ」、近隣区域から攫って来た労働力達を「デミヒューム」と呼称し、完全な階級制を敷いた。
主な産業はソフトウェア開発、マイクロチップ生産等アダムが13区から持ち込んだエレクトロニクス技術を用いた情報工学関連製品の製造。
階級制を取り入れる事で労働層を固定化し、アダム達は己が地位を盤石なものとした。
話を戻そう。この復讐譚の第一幕は新東京発足から丸100年、アダム連中の暦でいえばPOST.REM100Y、執行官から逃亡し所属組織からも身を交わしたこの俺、墓瀬二郎のベースメント(シェルター基地)から始まる。
一郎兄貴がいざという時に調達していたアジトだ。二段ベッドに簡易トレーニングキット、医療用ポッド、栄養素合成オートメイターと一通り生活に必要なものは揃っている。
俺は昨夜自宅の方には戻らなかった。
組織の方には既に兄貴の脳死報告が体内センサーを通して行っているだろう。
勿論俺の生存も。あの交戦から25時間が既に経過していた。
組織の規則によれば何らかのミッション中に不都合が起これば24時間以内に本部へ直接現状報告を行い、状況を全員で共有する義務が生じる。
生体センサーやオートハックされた事件区画のカメラを用いて現状は当事者以上に把握され切っている筈だが、情報完成、その最後の1ピースは当事者の感想、初見を以って行う。だからだ。
24時間を超えても報告がない場合には追っ手が駆り出される事となる。
俺には怪我一つない。玉置は発砲すらしなかったのだから当たり前といえば当たり前だが精神はボロ雑巾の様に傷み切っていた。
組織に拘束されれば俺は敵前逃亡に対して弁明を行う事となる。
だがどんな弁明を行おうと組織における身内を放置しての逃亡に対する罰は死を以って償う、それしかない。
処刑庁からの追撃について考えたが、恐らくその線は薄いだろう。
もし俺が執行対象であったならば今頃こうして息はしていない。
あの場には死体が2つ転がる事となっていた筈だ。
つまり当局でマークしていた執行対象は兄貴だけで、俺は網を逃れている可能性が高い。
当面は組織からの追っ手についてのみ気を向けるべきだろう。
俺は栄養素合成オートメイターの目盛りを調整し、オートメイターから伸びるケーブルの先を頸動脈に差し込んだ。
起動音と共にケーブルを通じてセロトニン素が流れ込む。不安と絶望が霧消する。
ケーブルを外しベッドに身を横たえると泥の様な眠りの中に落ちていった。