外へ
家を出て歩き続けること約二時間。ようやくお爺さんの暮らしていた場所にたどり着いた。田舎町を流れる小川にかかる、小さな橋の下だ。
まずは報酬の先払いとして遺品をいただかないと。
(アイヴィーお疲れ。もういいわ)
(はーい)
私の身体を乗っ取っていたアイヴィーに語りかけ、憑依を解かせる。身体の感覚が戻り、私の身体からアイヴィーがすっと抜け出た。
「そ、それを見るのはあまり良い心地がしませんな……」
確かに憑依する時はともかく、解除した時はさぞかし不気味だろう。霊体も透けて見えるわけではないから、解除の様子をカメラなんかで連写したら人間から人間が生えているように見えるはずだ。
当然ながら、アイヴィーもお爺さんもカメラには映らないし、常人には見えないんだけど。
「ごめんね。でも長時間歩くと疲れちゃうし、私が疲れたら仕事にならないから」
そういうわけで、長時間の移動時はアイヴィーに身体を任せる。歩くのは私の身体だけど、精神的な意味もあって疲労感は違う。
「ところで、先に遺品を貰いたいんだけど……」
改めて辺りを見回す。河原にあたる部分はアイヴィーの身長ほどの幅しかない。
小川の水量が少なくて流れが緩やかであるとはいえ、こんな場所で寝泊まりしていたらしい。
ただ、それらしい形跡は見当たらなかった。
「ここにダンボールを置いて暮らしとったんですがね。ワシの遺体も残っとらんぐらいですから、家財は全て捨てられたんでしょうなあ」
我が身の遺体の行方がわからないことは、特に気にならないらしい。死後どれだけ時間が経ったかわからないみたいだから、それなりの覚悟があったということか。
「ちょっと、呑気にそんなこと言うけど遺品がないと働けないわよ?」
「ま、待ってください! 遺品はここには有りませんが、チビ助が持っとるはずです」
「例の犬が?」
犬が持っていると言うと、思い付くのは一つぐらい。
「はい。チビ助が付けとる首輪はワシがあげたものなんで、遺品になるはずです」
ちらりと振り向くと、アイヴィーはこくりと頷いた。遺品としては問題ないようだ。
「それじゃあ何にせよ、チビ助を早く見付けないといけないのね」
「ええ。ここにいると踏んで来たんですが……」
話によれば、チビ助は柴犬かそれに近い雑種のようだけど、それらしき影は見当たらない。しゃがみ込んで足下を観察してみるものの、犬の毛なんかは落ちていなかった。
ここには長いこと立ち寄っていないみたいだ。
「何か思い当たる場所とかは?」
「うーん……」
すぐに思い付くような場所も無いらしい。探し物とはなんと厄介なことか。
アイヴィーに探知能力でもあれば良かったのに。
「とりあえず保健所に行くわよ。もう保護されてるかもしれないし。最悪のことは考えたくないけど」
「は、はい……」
お爺さんは気が進まないようだけど、あてもなく探すのでは埒があかない。ここで待たせることも考えたけど、チビ助を判別するには彼が必要だ。
「さ、行くわよ」
もう日も高くなって、世間は昼時だろう。幸いにもまだお腹は空いていないから、腹の虫が鳴るまでには決着をつけたい。
目配せをして、アイヴィーを再び憑依させる。身体の重みがふっと消えて、意識だけが残った。
「チビ助ちゃん、きっと無事に見つかりますよ」
私の身体で私の声で、アイヴィーが無責任なことを言う。おまけに私らしくない、無垢な笑顔までつけて。
さすがに泣かれるのは嫌だから、文句をつけるのは後にしよう。
歩くこと十数分。役場や警察署、図書館や公民館が集うその一角に保健所があった。田舎とはいえ、それなりに大きい建物だ。
憑依を解いた私は、お爺さんとアイヴィーを従えて玄関をくぐる。
内装は役場に似ていた。入り口からすぐのところに長いカウンターがあって、いくつか窓口がある。どこに相談したらいいか分からないから、ひとまず近くの人に声をかけてみよう。
「すいませーん」
カウンターの向こうに声を投げると、すぐ近くのデスクで作業していた人が気付いて応対してくれた。
その人が保護犬の担当者に声をかけてくれて、最初のステップをクリアした気分になった。
「今日はどういったご要件でしょうか?」
保護犬担当の人は中年の女性で、柔和な印象を受ける。
「あの、うちの犬が迷子になってしまって。こちらで引き取られていないか、確認したいのですが」
「それでしたら……少々お待ちください」
そう言うと女性は元いたデスクに戻り、積んであった分厚いファイルの中から一つを持って来た。
カウンターでそのファイルを開き、パラパラとページをめくることしばらく。目当てのページを見つけた女性は、見やすいようにファイルをこっちに向けてくれた。
「こちらが現在保護している迷い犬のリストになりますね」
彼女が提示してくれたのは、ちょうど見開き三ページ分だった。一ページに三枚の写真が載っているから、十八匹が保護されているということになる。
迷い犬の意外な多さに驚きつつ、お爺さんと一緒に写真を確認した。
怪しまれないように横目でお爺さんの反応を伺いながら、ゆっくりとページをめくる。
最後のページまで見終わったものの、お爺さんの反応は変わらなかった。
「あの、少し前の記録も見ていいですか」
「ええ、構いませんよ」
「ちょ、ちょっと心の準備が……」
女性に許可を取り、狼狽えるお爺さんを無視して提示されたのより前のページを開く。既に処分されてしまった犬たちのページだ。
顔を覆いながらもしっかり目を通していることを確認して、少しずつ記録を遡る。
しかし二月ほど遡っても、チビ助の情報には行き当たらなかった。お爺さんが死んでから二月以上は経っていないはずだから、まだ保健所では保護されていないということになる。
私はふぅと溜め息をついて「それっぽさ」を醸し出しながら、ファイルを女性に返した。
「すみません、ありがとうございました」
「とんでもありません。もし写真などを頂けるのであれば、こちらで保護した際にご連絡いたしますが?」
その提案に乗りたいところではあったけど、写真なんて持っていない。そもそも連絡をもらう手段が、私にはない。
「あー……いえ、もうしばらく探してみます」
「そうですか。迷子の子、見つかるといいですね」
「ありがとうございます」
軽く一礼をして、私たちは保健所を後にした。
外は春らしい陽気で、昼を過ぎてやや日が傾きかける頃だった。
「いったい、チビ助の奴はどこにいるんでしょうか……」
お爺さんが肩を落として呟く。処分されていないことには安心したものの、見付からないのが不安で仕方ないといった様子だ。
「そんなの私が聞きたいわよ。手掛かりゼロだなんて……はぁ」
先が思いやられて、思わず溜め息が漏れる。携帯も持っていない私にとって、探し物系の依頼は難易度が高い。
実際にこの足で歩いて探すしかないのは、どう考えても非効率だ。
「あんたに探知能力でもあれば良かったのにね。何かないの? ほら、鎌でも投げて切っ先の向いた先にいるよ〜とか」
「そ、そんなことしても意味無いと思うけど……やってみる?」
アイヴィーはすっと、虚空から鎌を手に取る。柄だけで身の丈もある、絵に描いたような大鎌を。
その横でお爺さんがたじろいだのを見て、私はアイヴィーに向かって猫騙しをする。
「こら、お爺さん驚いちゃうでしょうが。鎌投げるのも冗談に決まってるでしょ」
「うう……ごめんなさい」
すぐ涙目になって私とお爺さんに頭を下げ、アイヴィーは鎌を虚空へ溶かした。
「はぁ。あても無いわけだし、とりあえず腹ごしらえに行くわよ。策は食べながらでも考えるわ」
空腹のままではイライラが増して良くない。どうせすぐには見付からないんだから、お腹を満たして完璧な作戦を練るんだ。
そんなことを二人に言い聞かせつつ、内心では早く決着が付くことを祈った。
これ以上、面倒と出費が増えて欲しくないから。