⑥
これは良くないパターンと知りつつ、悠二は「ちょっとだけ、その台に興味ありますわ」と言った。久しぶりの十万超えに、少々浮かれているという自覚はある。
早速二人が並んで座り打ち始めると、悠二はいきなり二千円で当たりを引いた。
「な! やっぱり来たやろ」と、得意げに言った清の顔は、悔しそうにも見える。
だいたいこういう人は我儘で、自分が推した遊技台を他人が予想以上に出すと、不機嫌になるものだ。清の遊技台も好調なので今は笑顔を絶やしていないが、果たして三十分後の状況はどうなっているだろうか……。
そうこうしているうちに、悠二が清の台を覗きこむ回数が減っていった。案の定、大当たり中にしか鳴らない曲に耳を傾け、他愛のない世間話を上機嫌で語り合う時間は短かった。清の口と遊技台が突然に沈黙した。
所詮、パチンコなんてものは、他人がどうなろうと放っておいて構わないが、今日に限っては好情報の丸乗りという経緯がある。日付が変われば、悔しい気持ちもリセットされる。それがパチンカーの特徴だが、今はとにかくこの雰囲気的に居た堪れない。
二列に積み上がったドル箱が十を数えたとき、悠二は景品カウンターへ行き、清にお礼の煙草とコーヒーを用意した。
勝負を終えた悠二は、店内を背にして大きく一歩踏み出した。
いつもは反応が鈍く、何度か押し直さなければならない半自動ドアが、今日は一発で開いた。外に出た途端、アスファルトの熱気が悠二を襲う。そのねっとりとした空気が、否応にも外界は真夏なのだと思い出させてくれる。彼は顔の構成パーツを中央に寄せたが、心は清々しさを保っている。心頭滅却すれば云々、の境地にあるような気さえしている。
時刻は六時を回っていた。それでも外はまだ明るい。
悠二の手の中で、二つ折りの財布が自力で開いた。札の厚みがそうさせている。彼はその動作を三回繰り返した。その度に、にんまりと口角が上る。
ふと、顔を上げると視線の先に清がいた。煙草をゆったりと吸っていた。集られる心配よりも、今後の友好関係を重んじて歩み寄った。
「おおきに、清さん。ええ情報でしたわ。今朝に二ヶ月分の家賃を取られて、どうしようかと思ぅてたとこにコレで……。まぁ、復活プラスお小遣いをいただいたって感じですわ」
感謝を伝えつつ、あぶく銭はないとアピールしたつもりだ。
「それでもカンちゃん、今日はだいぶ儲かったやろう。たまにはウチの店で、お金を落としてってぇな」
清は煙草で店の方角を差した。
彼と話すようになって五年以上になるが、清が〈雅玉〉というスナックを経営していると、今初めて知った。他にも小さなラウンジを二つ持っているとか。
いつもなら、本日のデータをノートに書きまとめ、小料理屋で晩飯、帰宅後はノートとにらめっこしながらのビール……という流れになっている。今日に限っては、厚みのある財布が悠二の手を引いた。
「お、ほうか。来てくれるんか!」
清は何とも嬉しそうに、店の場所を告げた。
「あぁ、そこなら何となくわかります」とうなずいていると、甘い香りが鼻腔をくすぐった。それは清にもあったようで、二人は同時に振り向いた。
「あれ、ユキちゃん。こっちの店に来てるって珍しいやんか」
清は彼女の全身をさっと見る。
「打ち込むつもりやなくて、なんとなぁく寄ったんやけど。ほんま、知らん店はあかんわね」
雪子は外の暑さにうんざりといった表情で、歩み寄ってきた。
「仕事終わりで、直接寄ったんか?」
清の口から、煙草の煙がフカフカと漏れる。
「うん。部活動かなんか知らんけど、えらい汗臭いジャージ軍団に出くわしてしもて、帰りのバスがめちゃめちゃ混んでてん。暑いわ、臭いわで、ほんま辛抱たまらーん! て、なってぶらり途中下車のひと勝負やわ」
雪子は四つ折りにしたハンカチで、顔を扇いている。
三人にクスクスと笑いが漏れた。
それから、二人の会話は悠二を無視して続けられた。悠二は二人の傍に突っ立って、ただただ清の顔の広さに感心していた。
「今日は、このカンちゃんがやなぁ、なかなかノッテるジョッキーやって、ボロ儲けやねん。今からウチに来てくれるんやけど、雪ちゃんも久しぶりにどうや?」
清は突然思い出したかのように、悠二を前面に引っ張り出した。
「隣で打ってたし、知ってるって。すごかったもんね。私、このお兄さんのおかげで、だいぶ取り戻せたんやけど、ちょいマイナスやしなぁ……」
雪子は困った顔を悠二に向け、上目遣いに顔の前で手を合わせた。
ほぼ初対面でなんと図々しい! ――とは思わなかった。
「ОK、奢りますよ。いっしょに飲みましょう」悠二は即答した。
「きゃあ嬉しい!」
雪子はノリ良く悠二の腕に絡んだ。
では決まり、となったときに、熱い風に乗って負け犬の匂いがした。
店の横手から原チャリに乗った金田が現れて、か細いクラクションを二度鳴らした。ヘルメットも被らず、くたびれた髪の毛を頭皮に張りつかせている。
「もう、今日は最悪や!」と吠えた。
金田は軍資金を取りに帰宅して再挑戦を試みるも、それもすべて吸い取られたことを三人に語った。
「ほな、カネやんも、カンちゃんの運を分けて貰いに来るか?」
清は金田の背中に手を置く。
即座に悠二は、嫌だ、と目で合図を送ったが、清には伝わらなかった。
「今日はこれ以上、使われへんしなぁ」
全身に悲壮感を漂わせる金田がハンドルに突っ伏して、悠二を横目で見上げた。
そんな仕草をしても全然可愛くないし、可哀想とも思わない。雪子は悠二から離れて、苦笑いを浮かべている。
「――ちょっと、まぁええ日当が出たし奢りますやん」
悠二は金田から目を逸らして言った。
そうして雪子は清の車に同乗することになり、その後を金田が原チャリで追っていった。十九時までには合流すると約束をして、悠二は一人、店の横手に回った。
(忘れんうちに防犯登録を……。自転車屋って、何時まで開いとんやったっけ?)
悠二は自転車のロックを外した。顔に垂れた髪を耳へ掛け直して、自転車に跨った。雪子の胸の感触が、まだ肘に残っていた。あの風貌からして男に貢がせ慣れしてそうだ、と心に自重を命じた。
(このまま雅玉に行かへんかったら、あの人ら、一斉にひっくり返るやろか?)
想像して、一人で噴き出していた。




