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 ⑲


 アルファとオメガで(カンちゃん)と呼ばれている常連客が、グラッツェ安堂アパート事件の関係者だと知っている者は三人ほどで、少ない。いや、少なかった。

 それを吹聴して回ったのは、アパートに何度も足を運んでは悠二に追い払われているフリーの雑誌記者。他の常連客の肩を叩いて「あの人はどういった感じの人物か」と聞き回っているらしい。よほど暇なのか、悠二を嫌っているのか。

 だいたいの客の場合は、悠二をよく見かける程度なので答えようがない。遊技の邪魔というわけだ。が、空調設備の整った店舗を、くつろげる場として通ってくるような年金生活者にとっては、恰好の暇潰しネタであるようだ。

「あんた、大変そうやな」と、さも同情しているように話しかけてくる。

 悠二が「何のことっすか?」とすごんでみせても「ほら、あの血の繋がらないお嬢さん」と、物怖じもせず不躾に返してくる始末。

 亜美を知りもしないで、あの、とは何だ、と悠二は嫌悪する。一度だけここの駐車場でパンを販売していた亜美の姿を思い出し、伊藤ベーカリーで働いていることを知ってのうえか、とさらにその老人たちを訝しむ。普段は濁っている彼らの眼に、好奇の光が点灯していた。

 老人たちの口を塞ぎ、背骨をへし折ってゴミ箱に投棄するのは現実的でないので、悠二は飲みかけのカップコーヒーを手に席を立った。


 本日の勝負台は今のところ沈黙している。いずれ当たりが来るという自信はあった。その根拠はデータノート……。が、できれば早めに頼む、といった具合。

 まだか、まだか、と息をつき、首を捻った拍子に、今日もあの雑誌記者が視界の中へ入ってきた。通路の端のベンチに腰掛けて、悠二のほうを窺っていた。悠二には、それがわざと嫌がらせしているように思えてしかたない。

 なので、それで詰め寄れば「反論があるならどうぞ。話を聞かせてくださいよ」となるのは目に見えている。あれの思惑通りになるのが、悠二には堪らなかった。嫌いな奴をやり込めるより、近づかないという選択をするのは、学生時代より変わっていない。


 ふと見ると、記者が立ち上がって、また客に話しかけていた。その男は応じるようで、二人して歩き去っていく。ホール内は音に溢れているので、外へ行くのだろう。――清だ。


 しばらくして店内に戻ってきた清は、最初からこの島に悠二がいたことを知っていたかのように、ずんずんと向かってきた。息が少々あがっている。左隣に腰を下ろすと、何事もなかったように「おぅカンちゃん、まいど」と言った。釘も上部カウンターも確認しない。一万円札をヘビ柄の財布からさっと抜き出して、遊技台へ滑り込ませた。

 とくに喋ることもなく打ち続けていると、やがて悠二の台が鳴きだした。当たりだ。それは十一連チャンでピタリと止まった。カウント数だけならまずまずといったところ。が、四ラウンドというカスみたいな当たりがカウント数の半分を占めているので、大した勝ちは拾えなかった。


「もう、あがるんか?」

 皿の玉を落とす悠二に、清が言った。悠二の背後にあるドル箱へちらりと目をやる。

「なんか集中でけへんていうか、今日は止めといたほうがええ感じですわ。また夜に出直すかもしれまへんけど」

「ほうか」

 悠二は片手をあげると、ドル箱を運ぶ店員についていった。


 昨夜、安堂夫妻から言い渡された提案を、悠二は素直に飲もうと思っている。

――大家側が転居費用を負担、家賃一か月分の免除、退去期限は半年。

 独り身になったこともある。近所の目から逃れたい気持ちもある。もちろん、新居で支払っていく家賃は自腹なので、部屋のグレードアップとはいかない。それどころか、もっと狭い部屋でいいと考えている。とくに住処にこだわっていない悠二にとって、その提案は納得できるものだった。


(日本で一番のパチンコ都市といわれている名古屋へ行ってみようか……)

 そんなことを考えながら、換金所からドリンクコーナーへ戻ると、そこに清がいた。

「まだ退院でけへんのんか?」

 悠二は缶コーヒーを買ってスツールに着いた。

「予定やと明日、明後日くらいには退院できるはずやったんやけど、ちょっと体調を崩しよったみたいで、延びましたんですわ」

 清が苦い顔をして、ため息をつく。

 そこへ半自動ドアが開いて、金田が顔を出した。清と悠二を見て「ういっす」と片手を突きだす。二人もそれに応えた。

「病院にも例の週刊誌が置いてあるんで、あいつ、それを見よったんですわ」

「ほうか……。そらショックやったやろうな。――それで、ユキちゃんの遺骨は?」

 二人のやり取りを金田は立ったまま聞いていた。パチンコの話でないことはすぐにわかったはずで、口を挟むことはなかった。金田になら聞かれてもいい、と悠二は続けた。

「俺が警察から受け取ってきました。位牌も作ってもろぅて、まだ俺んとこにあります」

 ふんふんと細かくうなずいた清は、

「ワシ、いっぺん、手ぇ合わしに行きたい感じやな」と言った。

 金田もそれに真面目くさった顔で同意する。悠二は薄く笑みを浮かべた。


 その後、悠二は話題を変えるように、昨晩、安堂の息子夫妻が訪ねてきたことや、グラッツェ安堂が終わることを、二人に語った。二人に力を借りようという気はない。ただ話したかった。


 それまで黙って聞いていた金田が、雑誌の記事に怒っていた。

「うちのコンビニに置いてるもんやさかい、何種類か読むんやけどな。まぁそうやな……話は黒幕がいるとかどんでん返しにすると、やっぱり興味が湧く内容になるし。カンちゃんには他にも女がいて……」

 悠二と清は視線を交わして、ため息をついた。

 他の客が飲み物を買いに来たので、三人は一旦店の外へ向かった。

 南側出入り口から出ると、見知ったノボリが風にはためいていて、伊藤ベーカリーとある。移動販売車が後ろのハッチを開け放ち、その奥で伊藤のオヤジがパンを並べていた。

 清が片手をあげ、オヤジが応えた。悠二もペコッと頭を下げると、オヤジは忙しそうに下を向いた。

 金田は少ない髪を押さえるように手をかざして、話を続ける。

「他にも女がいてるもんやさかい、子連れのユキちゃんが邪魔になって、老婆を(たぶら)かしたっていう展開に、どうにかしてもっていきたいんとちゃうやろか」

 悠二は派手に顔を歪める。


「カンちゃん、あの写真に撮られてた女は?」

 清がそう言うと、金田もそれが訊きたかったというふうに、悠二を一瞥する。

 悠二は鼻で息をついてから、美紀のことを話した。

「……それで、今年に入ってから離婚したらしくて、また俺んとこに連絡を寄こすようになったんは、一ヶ月ほど前のことなんすけどね」

 二人に話していて、悠二はハッとする。

 ごそごそとポケットをあさり電話を取り出すと、美紀にかけた。

「――出よらんな」

 留守電に切り替わったところで電話を切った。


 清が澄ました顔で、自分のスマホを差し出す。すぐに意図がわかったので、悠二はそれを受け取り、美紀の番号を押した。二人から離れるようにして歩き出す。

 彼女はすぐに応答した。悠二が何も言わないうちに、

「ちょっとええって思える人ができたんで、もう悠ちゃんと連絡するのやめるわ。ごめんな。もう電話もかけてこんとってほしいんよ」

 なかなかに勝手な言い分だ、と思ったが、悠二は了解した。

 記者にベラベラと歌ったのは美紀で間違いなさそうだ、と腹が立った。しかし、彼女にいろいろと喋ったのは悠二自身だ。

 じつのところ、悠二は清、金田、雅玉のママを疑っていた。そのことを言含めて、スマホを返すときに「すんません」と後頭部を掻いて言った。


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