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「午前中の面会は遠慮してくださいね」
看護婦に怒られた悠二が、後頭部を掻きながら出勤していった後、亜美は昨日と同じ新聞雑誌が置いてあるコーナーへ寄っていた。もちろん今週号の記事を見るためだ。ところが何気に手に取ったものなので、何という週刊誌だったか覚えていない。それで亜美は手当たりしだい取ってめくっていった。
あきらかにボロボロになっている物は無視して探していくと……あった。たしかに一昨日読んだ記事だ。写真も同じ。間違いない。亜美は表紙と号数を確認した。
これの次のやつは……とマガジンラックをちょいちょいと指であさっていく。が、無い。ベンチごとのラックを回ってみる。
「もぉ、同じ種類別に並べといてよ」
苛立ちまぎれに独り言ちた。すぐ傍で新聞を読んでいた爺さんがムッとして顔を上げる。
最新号はまだ仕入れていないのか、と鼻息とともに体を起こすと、がっかりして一番近くのベンチに腰を下ろした。通路のほうが慌ただしい。昼食を運び込む配膳車が、ぞろぞろと列をなしている。
「ああ、もう昼飯かぁ」
亜美の目の前に座っていた中年の入院患者二人が、食事をさも苦痛と感じているように言って同時に立ち上がった。読んでいた雑誌をきちんとラックに戻さず、ポンと横に置いて立ち去っていく。今週号だった。
たとえ個室であっても、昼食の時間には部屋に戻っていないと怒られるし、読む時間なら後からでもたっぷりあるのに、亜美はそれを手に取った。
「お母さん……」
安堂が悠二に心酔していたことや、身に覚えのないDNA鑑定、それと被害者の親子に血縁関係にないことなどが書かれていた。(過ぎた愛情)とありふれた見出しから始まる記事を、亜美は最後まで読んだ。女性週刊誌だからなのか、安堂を一方的な悪とせずに、悠二の曖昧な態度を非難するような内容だったので、憤った。
これでは、悠二が安堂を唆したようにも取れる。常日頃から悠二が少女Aに手を出していたように思う人もいるかもしれない。そのために引き取ったのだとさえ邪推する人がいるかもしれない。
亜美は怒り心頭で雑誌をゴミ箱に投げ入れた。
歯を食いしばって、まだ泣かないように病室へ急いだ。お腹の痛みが理性を留めてくれている。途中、サンダルが脱げて取りに戻る。エレベーター内では、誰にも顔を見られないようにうつむいて、個室に飛び込んだ瞬間、亜美は声を上げて泣いた。
午後の回診で亜美はまともな返事をせず、首だけで応えていた。
「こんな所に閉じこもっているほうがしんどいわね。それももう少しの辛抱やから、頑張ってね」
見当違いのことを言っているが、医者も看護婦もすべてを知っているように思えてしかたがない。
「それじゃ、お大事に」
いつもの台詞で出ていった。清々した。
ところが、それから三十分もすると、今度は久しぶりに精神科医のお出ましだ。こういうのを至れり尽くせりというのだろうか。亜美は職務中の大人が納得できるように、母親のことと週刊誌のことを説明して、独りにしてもらった。
母が小学校の運動会に来てくれたときのことや、夜具の中で話をしたときのことを思い出すと、また泣けてくる。安堂のことは、夜な夜な母とも話していたのに、心は警戒信号を出していたのに、まったく注意していなかった。悔やまれて悲しかった。
そこへ現れたのはアベベ。ノックも何もない。
「いやあ、まいったわ!」
言いながら、彼女は靴を脱いでベッドへ上がった。亜美と反対の方から脚を突っ込んでいく。亜美の暗い表情を見ても気にすることなく、いきなり愚痴をこぼし始めた。
アベベならしかたがない、と亜美は体を上へずらして枕を抱いた。
聞いて、宥めて……いつしか亜美の心に少し晴れ間が広がっていた。
そしてキングの話をすると、また気が滅入ってくる。
キングはまだ一度も亜美の見舞いに来ていない。(合わせる顔がない)と言うのだ。安堂と月一の情報交換を大いに気にしていた。
それを聞いた亜美は、すぐキングへ電話している。しかし、彼女は電話の向こうで謝るばかり。自分が許せないと繰り返すのだ。
アベベによると、実は病院の出入り口までは一緒に来たことがあるらしい。そこまで来て、キングはやっぱり合わす顔がないと言って帰ってしまったのだそうだ。
二人の付き合いは長い。親友に順位を付けるなら、アベベにとっての一番は、キングで相違ない。もう少し時間がほしい。そう言ったのはアベベだが、思っているのはキングかアベベか……。
結局、アベベは小一時間ほどいて、新たに読み物を補充し、読み終わった本を回収して帰っていった。残された亜美は額に腕を載せて目を閉じる。実際に頭痛がした。
――今日だけで何べん泣いたやろう?
すべてを忘れて眠りたい。頭痛がするので眠れない。忘れられるなら、きっと頭痛も起こらない。
体が熱い。差す陽が目に痛い。いづこから聞こえてくる音がうるさい。
起き上がったほうが、頭痛が和らぐ感じだったので、来客用の椅子へ移動した。そして、やたらと喉が渇く。飲めばそのまま首筋から流れ出るようだった。自分の体が怖かった。自分は病院内にいる。呼べばすぐに誰かが来てくれるはず。
「悠さん……助けて」




