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 別れ

 悠二は縦に長いので一見すると細身に映るが、こうして抱きついてみると、意外にもガッシリとしている。

 亜美はギュっと目を瞑って、悠二の指先を感じていた。キスはない。羞恥に堪えきれず逃れるように背を向けた。それでも追ってくる悠二の指は、亜美の尻から前に移動して、太腿の内側から這い上がってくる。十の点となった指先が背中や腹を行ったり来たりするうちに、体から芯が抜けていった。

 全裸にされても逆に熱さは増していくようで、押し殺していた息遣いがしだいに喘ぎとなり、ふと悠二の感触がなくなると、ハッとして不安になる。すぐ後ろに悠二がいて、耳に息がかかっているのに、それを感じている余裕はなかった。ただ自分だけが悶え、どろどろに溶かされていくようだった。

 何事もキスから始まると思っていた亜美は、じれったいほど緩慢な悠二の手に、自分の手を添えた。悠二の手に唇を寄せたかった。

 ところが、一旦は握り返してきた手が、そこをすり抜けて、亜美の膨らみへと下がっていった。手は逃がしたが、代わりに悠二の突起物を太腿あたりに感じた。

 螺旋を描くようにしてようやく山頂に登りつめた悠二は、両方の乳首をつまんで、これでもか、というほど引っ張った。

「痛っ、え? イタタタ……」

「色気づきやがって。ガキは屁ぇこいて、さっさと寝ろや」

「ええ……」

 呆気に取られながら、ズキズキと痛む胸をさすった。


 亜美は初体験を果たせなかったが、それでもホッとしている。そのままの姿で、悠二の腕を無理やり広げさせ、そこへ頭の載せた。

「ええの? めっちゃ勃起してるみたいやけど……」

「コイツは別人格や。そっとしといたってくれ」

「ふ~ん。――私、ちょこちょこ帰って来るからね」

「ああ、年に一回くらいでええぞ」

 亜美はピシャッと悠二の胸を打った。そして、すぐに規則正しい寝息を立て始めた。

 悠二は眠らなかった。


 そして、長い一日が「お前の部屋で目覚ましが鳴ってっぞ」で始まった。

 亜美は何度か呻いて、素っ裸のまま悠二の床からふらふらと出ていった。

 これでゆっくりと眠れると思ったのも束の間、床に脱ぎ捨てられている亜美の下着を取って、起き上がった。洗面所から水の音がしている。悠二は亜美の部屋を少し開けて、下着を放った。

 キッチンに置いてあった袋に手を伸ばし、パンをくわえながら冷蔵庫を物色していると、背後を亜美が駆けていく。電気ポットのスイッチを入れ、湯が沸く間に、もう一つパンを取った。


「昼頃に一旦戻ってくるけど、悠さんはどうせパチンコに行ってるんやろう?」

 出勤準備を整えた亜美が、悠二の横に立ってコーヒーを啜っている。

「ああ」

 別れは昨夜に済ませた。今は通常の朝。湿っぽくなるのはよろしくない。

「昼に帰ってきたら、ちゃんと大家さんに挨拶しとけよ。俺独りになったら、水道料金を千円安ぅしてくれはるからな」

 グラッツェ安堂は個々に水道メーターを設置していない。共同水道は定額で使い放題だが、二人以上で暮らすと千円が上乗せされる。

「もぉ、細かいぃわ。面倒くさいぃわ。そんなん悠さんから言うといてよ」

「細かいとか、せこいって話やないやんけ。亜美もそのうちに経営側の人間になるんやろ? そういうの、大事なんやぞ」

「……まあ、留守やなかったらね」

 ゴニョゴニョと歯切れが悪い。「そしたら、行ってくるわ」

「おう」


 閉まる玄関ドアを見ていた。階段をいく足音はすぐに聞こえなくなった。

 悠二はサンダルを引っ掛けて表へと出ると、欄干に肘を載せた。亜美を見送るなんてことを未だかつてしたことがなかった。

 亜美はピンクの自転車を引っ張り出していた。振り返ることはない。悠二に見送られているなどとは、露ほども思っていないだろう。

 あの自転車は元々悠二が乗っていたものだ。

 雪子の白いフレームの自転車は、駅に放置されていたところで見つかっている。失踪届を出して、三ヶ月ほど経った頃だった。警察から連絡を受けて、一旦は二人で取りにいったが、亜美はその自転車を廃棄処分していた。当時、どちらも同じくらいの状態だったが、亜美はピンクの自転車を選択した。

 向こうへ持っていって、まだ乗り続けるつもりだろうか……。


 亜美がペダルを漕ぎだすと同時に、大家宅からカラカラと音が鳴った。悠二と亜美は同時にそちらへ視線をやる。

 安堂は寝間着姿のような恰好のまま、出てきた。


「大家さんって、こんな朝早くから起きてるんやな……へえ」

 亜美も同じように感じたかもしれない。遠目に、驚いているような表情が見えた。

 そのまま会釈だけして行ってしまうか、それとも引っ越しのことを伝えるか、を悠二はニヤニヤとして見守った。

 亜美は自転車から降りて、安堂の前まで自転車をおした。悠二の予想を覆し、ちゃんと挨拶していくような様子だった。

 しかし突如、悠二は顔を強張らせて階段へ向かった。悠二が下り始めたのと、亜美が自転車もろともその場に崩れて落ちたのは、同時だった。

 亜美が腹を抱えてうずくまる。その手の先に包丁があった。


「亜美ぃ!」

 悠二は生涯最大の音量で叫んでいた。


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