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 ⑦

 今日悠二が呑まれた遊技台は、さらに犠牲者を増やし、満足そうに沈黙していた。もう少し回せば吐き出すだろう、という予想も外れていたことになる。明日あの台に仕返しするのかは、感情に流されずに過去のデータと照らし合わせて、検討しなければならない。

 そして、その両隣もけっこうハマりが厳しいようだった。ここが駄目なら、その隣は調子が良いはず、などと安易な思考の持ち主が多いせいだ。その状況は常連さんたちもチェックしているだろうし、手柄は朝一組に持っていかれるやもしれない。もちろん、閉店後に釘をいじくり回されなければ、の話だが。


 悠二は他の客を侮蔑することで、惨敗による傷心を薄めようとしていた。ノートを閉じて、ゆるゆると立ち上がった。明日の復活に向けて、ちょっと泣いておこうかと思った。

 自室へ引きこもる前に洗顔を済ませて床に就いた。時刻はまだ一時。いつも朝方まで起きている悠二としては、かなり早めの就寝だった。しかし、負けたときの疲労感は、悠二をすぐに眠りへといざなっていく。

 そして懐かしい人に出会った。

 夢の中の雪子は、悠二の胸に頭を載せて悪態をついている。


「あんなデブに亜美を取られるとかありえへんわ!」

 太った人とすれ違うたびに「自分に甘すぎるねん! だらけきってるわ」と毒づくほど、雪子は肥満体型を嫌悪していた。

「なんでそんなに嫌いやの?」

 そう尋ねても返答はいつも「なんでも!」

 これは他人事だと笑っていられない。

 体育会系だった者は、その若い時分のままに量を摂取する傾向がある。それで運動を止めれば太るに決まっている。それが頭でわかっていても、やはり腹は減る。欲の中でも、こと食欲を抑えるというのは、侘しさを募らせていくものだ。美味いものを食うために働いていると豪語する者なら尚更だ。(運動すれば良いだけだが……)年齢とともに基礎代謝も低下するので、どこかで奮い立たなければ、その流れは止められない。胃腸が弱くなって、自然と食べられなくなってからでは遅い。


「ハゲるんはしゃーないと思うけど、デブはあかんよ。悠さんも、今のままやったら、あと十年もしてみぃ。ドカーンってお腹出てくるんとちゃう」

「そ、そうやな。なんとかするわ……。そやけど、料理人が太ってるんはええんとちゃうの? それだけ味見とか、研究を重ねてるって証拠やん?」

 雪子は悠二の脇腹をギュっとつまんだ。

 へらへらとして「イタタ……」と漏らす。

「こんなことなら施設にあずけてくれたほうが良かったわ。そっちのほうがよっぽど立派に育ててくれるわ」

 これには悠二の(たる)んだ腹も立った。

 娘を置き去りにして出ていくような母親だけには言われたくなかったことだ。そして、泣けてきた。


 失踪したはずの雪子に怒られ、腹をつねられていることに矛盾を感じて、目が覚めた。

 夢、か……。

 しかし、腹をつねられている感触だけが、今現在も残っている。

 そっと腹に手を添えると、現実につねる指に触れた。


「あ、亜美? お、お、お前なにしてんねん……」

「悠さん、何回も呼んだけど、ぜんぜん起きひんし」

「変な起こし方をすんなや。怖いやろう。――こんな時間になんじゃい」

 時計は確認していないが、床に入った時刻は覚えている。最低でもすでに一時は回っているはずだ。悠二は寝転んだまま、暗がりの中の亜美に目をやった。彼女は正座している。

(あれしか思い浮かばない。嫁ぐ寸前の娘が両親に対して行う、あの行事か? それなら、ただただ照れくさい。電灯を点けないまま、音声のみでさっさと終わっていただきたい。それと、やっぱり百万円くらいは置いていけ、と言ってツッコまれてやろうか?)


 亜美はなんの前触れもなしに、不器用に抱きついた。まるでぶつかり稽古でもしているかのようだった。

 悠二は混乱した。

 体を張った最後のおふざけ、亜美のジョークだと思っても、上手く切り返せなかった。夢の中の雪子と同じ体勢と暗がりが、悠二に錯覚を起こさせた。

 それで黙っていると、亜美が言った。

「私、悠さんにヴァージンを貰ってほしい」

 勢いをつけて踏み切ったのか、静寂と二人の距離を考慮せずに発した声は大きかった。

「はあ?」

 悠二は亜美を見た。どんな顔で言っているのか、を確かめる必要があった。が、見えない。

「お母さんが出ていって、もう関係がなくなったのに、むちゃくちゃ怒ってるはずやのに、ずっとここにいさせてくれて、ほんまに感謝してるねん。――私、公男さんから旅行に誘われてるんよ。今までのらりくらりと(かわ)してきたけど、今度は四国で二泊やし……たぶん抱かれると思う。私も、もうええと思ってるねん」

 悠二は黙っていた。

「だから、その前に……」

 言いかけた亜美を遮って、悠二は「そうか、わかった」と言った。

 長く息を吐いてから、亜美の頭を抱きしめた。


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