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 ④


 リビングの座椅子に頭だけを載せて、寝転んでいる。

 今日は負けた。四万円の損失は確実に家計を圧迫する。気を強く保てているのは、三百万円以上の棚ボタ収入のことがあるからだ。預金にはまだ手をつけていないが、あるというだけでやはり気構えは変わってくる。その証拠に、悠二は夕飯をいつも通りのボリュームでいただいていた。

 勝負台は家を出る前から決めているので、動揺という言い訳は自身の中でも通らない。狙いは間違っていなかった、と今でも信じている。ひたすら打ち続けていればいずれ当たるが、単に今日は資金が足りなかったと。


 ここ数年は、こういうときでも困らないようになっていた。〈負けた。ヘルプ〉と、亜美にメールしておけば、遅くとも夜の九時には、賞味期限ギリのパンを持って帰ってきてくれるからだ。

 悠二の視線は玄関ドアまで一直線。今、ふて腐れた顔でドアノブを見つめているのは、別の理由だった。

 亜美から一言も相談がなかったことと、北極熊くんの容姿が気に入らないこと。亜美の選んだ男が不真面目な奴であったほうが良かった。単純に反対する理由が見つけやすいからだ。二号店をなんとかかんとか、と自慢気だったあの顔を思い出すと、また違ったムカつきが腹中に去来した。

 拳をカーペットに突き立てて、ぐりぐりと摩擦して腕立て伏せの要領で起き上がった。せめて外見のタイプが自分と似ていれば、嬉しかったのかもしれない……。


 悠二はコーヒーを淹れた。

 キッチンでひと口ひと口啜っていると、にわかに階段を上がってくる足音が聞こえた。時計に目をやる。七時半。亜美にしては、少し早い。隣の住人だろうか? 車の音はしなかったから、やはり亜美かもしれない。

 急に顔を合わせづらくなってきたので、少々慌てた。今のうちにパチンコ屋へ逃げようか。本日の最終データをゆっくりと取って、雅玉で飲んで、亜美が眠ってからこっそり帰宅しよう。そう思い立ったが、せっかく淹れたばかりのコーヒーが残っている。気ははやるが、なにせモノが熱い。

 そうしているうちに、バーノブが動いた。一瞬、美紀と再会したときのことが頭に浮かぶ。しまった、とやっぱりが同時に浮かんで、咄嗟にドアに背を向けた。


「あ、悠さん」

「お、おう、おつかれ」

 ドアの閉まる音に続いて施錠する音。亜美は、ただいま、も言わずに靴を脱いであがった。

 一瞬だけ亜美を見て、悠二はまた熱心にコーヒーを啜る。

「晩御飯は?」

「食ぅた」

 ふ~ん、と亜美は伊藤ベーカリーの袋をキッチンに置いた。そして部屋に引っ込んだ。すぐに出てきて、今度は風呂場へ入っていく。


 悠二はシャワーの音が聞こえ始めてから袋の中身を覗いた。普段より量が多い。沢山売れ残っただけのことかもしれないが、アイツが持たせたのだろうと思うと、また無性に腹が立ってきた。


 悠二は自室から藤原からあずかった箱と名刺、それと預金通帳を持ってリビングへ行った。シャワーの音は続いている。もう一杯コーヒーを淹れて、座椅子にどっかりと収まった。


 そしてドライヤーの音が消えるのを待って、亜美を呼んだ。

「なに?」

 顔を向けると、バスタオル一枚でスッピンの亜美が、暖簾を分けて顔を出している。

「話があるさかい、服を着てこいよ」


 やがて戻ってきた亜美は座椅子に座って、もう一度「なに」と訊いた。しかし、用事があるから悠二は呼んだのに、先に口を利いたのは亜美だった。


「言おう、言おうと思ってたんやけどさぁ。私、悠さんとすれ違いが多いやん。それで……」

 亜美の視線は、確実に卓袱台の上の箱と預金通帳を捉えていた。見ていないような素振りをしている。が、悠二からはバレバレだ。

「明日の朝は普段通りに出勤して、開店準備が整って、配達とかだいたい全部終わったら、荷物を運び出し始めようってことになったねんよ。公男さんが、車出してくれるって言うから」

(公男さん? ハム男やからあんなに太るんやな。肉屋のほうが似合うってるっちゅうねん)

 勝手にしろ。元々親子でもなんでもない。清々する。そんな言葉は浮かんでは消え、結局口から出たのは、

「そらまた急やのぉ。まぁ、しゃーない。わかった」だった。

「……うん。ごめん」

「べつに謝らんでもええがな」


 どうしようもなくつのる苛立ちから、自分のフィールドへ持っていこうとして、悠二はプレゼントの箱と通帳を押して寄こした。


「一昨日の晩にな。亜美の親父さんがここへ来たんや……。藤原さんていうらしいわ。お前、知ってたか?」

 亜美は返事をせず、ただ目を丸くして驚いていた。

「親父さんの記憶は全然ないんか?」

 そう言って、名刺を指先でくるりと方向を変えて、亜美の目の前に滑らせた。

 その表情から思考がグルグルと回っている様子が窺える。

 悠二は亜美の額をチョンと突いて「まぁ、聞けや」と、彼女の目の焦点を安定させた。


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