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 江利・キングアム

 キングこと江利・キングアムは、大学の南門前にあるバス停にいた。

 ベージュの革ジャンの前をはだけ、黒のスキニージーンズを履いている。肩から下げた片持ちのリュックは、本当に勉強道具が入っているのか、と疑いたくなるほどにぺったんこだ。

 キングは運行表を見てから、スマートフォンで時刻を確認した。到着予定時刻を五分ほど過ぎている。遅れているのか、もう行ってしまったのかわからなかった。

 もう一度時刻表で確認すると、次のバスは三十分後とある。彼女はバスが来る右手の方角を睨みつけて、小さく舌打ちした。手持無沙汰にレンガふう板石の歩道を靴の爪先で叩く。時折、涼しげな風が通っていったが、金色のショートボブが揺れるほどではなかった。


「なぁ、声かけてみぃひん?」

「あんたがかけぇさ」

「あんたのほうが英語の成績ええやんか」

 キングの左後方で、女性たちが言い合いをしている。その声は、キングが大学のキャンパス内を歩いているときからしていたが、自分についてきているのだとわかったのは、その娘たちの話している内容が耳に届いた、今だ。

 キングは暇潰しに、彼女たちへ視線を流して微笑んだ。

 間髪入れずに、彼女たちからヒャーと大きな悲鳴が返ってくる。その四人ともが、タカラヅカの男役スターを見る目になっていた。予想通りの反応に、キングの頬が微細に緩んだ。

(このままお持ち帰りで、美味しくいただいたろか)

 どれにしようかなと、無作法にも心の中で迷いフォーク。そのフォークの先が、他よりも一歩下がり、比較的静観しているように見える娘で止まった。できれば、ああいう娘を落とすほうが面白そうだ、と直感が働いた。

 キングはよだれが出ていないかと、顔を背けてそっと口に手をやった。こちらから話しかけようとして一歩踏み出したときに、見慣れたバスがこちらに向かって来る。彼女の重心がノッキングする車のように前後し始めた。そのジレンマは、バスが停車して乗降口の扉が開くぎりぎりまで続いた。

 結局はキングは、またの機会ということで、先約を優先することにした。

 乗り込む際に、背中の一点がズキッと痛んで、顔を顰める。途端に不機嫌になって「あのボケは……」と独り言ちた。背中に手を滑らせてチョンチョンと痛点を探り、痛みを再確認しては、またアウッと仰け反る。痛いなら触らなければいいのに、繰り返してしまう。

 彼女たちは、バスの中まではついて来なかったが、歩道からずっとキングを見上げ、目で追っている。キングはその視線を無視して、吊革につかまり進行方向を見据えた。彼女らが振るちょっとした挨拶に応えてやることもなかった。


 彼女は最寄りの駅で一旦バスを降り、だいぶ迷って、また違うバスに乗った。九つ目の停留所で降りて、大きく伸びをした。また背中にズキンと痛みが走る。そこからしばらく歩いて、鳥居に似た古めかしい門をくぐると、時代劇のセットを思わせるような路地へ入っていった。

 両脇に立ち並ぶ古風な家屋は、すべてが商売を営んでいる。並べてある商品は、竹細工であったり団子であったり、西洋風の物をわざと排除している感がある。この路地に入ってくるときに〈軽車両の立ち入りを禁ず〉と書いた立札があったと記憶しているが、目の前に現代を象徴するような白いバンが一台停まっていた。往来する人も洋服を着ているので、この通りで記念写真を撮ろうとしても、なにかしら雰囲気を壊す物が写り込んでしまう状況だ。

 毎度のことながら、ここを歩いていると何組もの外国人観光客とすれ違う。外国人が珍しくない路地。なので、この通りでキングが好奇の目に晒されることはない。が、見られるという行為自体は、普段と変わったものでもないようだ。それは、異国で同郷の者に遭遇した、という視線か。それとも、キングの容姿が優れているからなのか。

 和服を身に着けている外国人もちらほらと見える。この商店の並びの中ほどに、レンタル着付けサービスをしている店がある。チョンマゲのカツラを被って棟梁跋扈(とうりょうばっこ)する黒人にだけは、彼女も手を振って応えた。

 キングは眉の辺りをコリコリと掻いて思う。自分もああいうふうに見えるのだろうと。彼女は早くも成人式に着ていく服の心配をしていた。


 キングはずんずんと歩いていき、朱色の大きな番傘とセットになった木製のベンチの前までやってくると、足を止めた。そのベンチにリュックを一旦置いて、革ジャンを脱いで小脇に抱えた。空いたほうの手で、再びリュックを拾い〈甘味処〉と彫られた木の看板を見上げてから、店の中へ入っていった。


「いらっしゃいませぇ。あ、まいどおおきにぃ」

 商品を補充していた丸顔の女の子が、胸の前で手を合わせ、お辞儀で迎えた。

 キングは人差し指を天井に向けて、首を傾げてみせる。

「はい。お二階席、空いております」

 店員は、時代劇に登場してくる町娘風の恰好をさせられている。狙ってやっているのか、頬紅が笑えるほどに真っピンクだ。カツラのサイズが少々合っていないようで、耳の上辺りを頻りに気にしていた。

「今日は、どれになさいますか?」

 キングはケースの中を見渡して「この新作ってやつと、緑のと、白の丸いやつを」と、慣れた手付きで指を差していった。

「おおきに、ありがとうございます。どうぞ、すぐにお持ちしますので」手のひらで階段を指し示した。


 ここへは何回も来ている。キングは店員に目礼して、二階へ向かった。

 階段を中ほどまで上がると、燈芯草の香りが充満していた。彼女はスンスンと鼻を鳴らし指で擦る。お決まりの仕草だ。最初にすうっと匂った瞬間だけ、毎回なんとも嫌な気分がした。どうにも慣れない香だった。

 二階へ上がって振り向いた所、茶道具一式の傍らに、作務衣姿の上品な初老が座していて「ごゆっくりどうぞ」と、頭を垂れた。その姿をも写真に収めようとする外国人が数名。

 座席に面した窓には、障子を模した磨りガラスが填まめられている。それは、陽が和らぐ和紙と違って、白い光がいやに眩しかった。全体的に、いかにも外国人客が喜びそうな造りになっているが、ここでは靴を脱ぐ必要はない。座る所だけが畳敷きになっていて、パンパンに膨らんだ座布団が敷いてある。

 その一番奥の席に、一人の老婦人がこちらに背を向けて座っていた。キングは脇目も振らず、その一番奥の席まで行った。


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