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 ③

「こりゃぁ、横にザックリ裂けとるわ」

 創業何十年になるのか想像もつかない自転車屋の店主が言った。

「交換せなあきませんか?」

 悠二は中腰になって、店主の手元を覗きこむ。

「穴ぐらいやったら、チョチョッと修理で済むんやけどねぇ」

 店の看板と同じくらい古びた店主が、タイヤの裂け目をグイと引っ張った。

「何やろね? 飛び出た釘にでも引っ掛けはったんか?」

「いやぁ、全く覚えがないっす。昨日もコレに、普通に乗ってたんやけどね」

 悠二は工場でライン設備の保全をしていたので、多少の機械知識を持っていた。店主が儲けようとして、オーバーに言っているわけではないことくらいはわかる。

「チューブとタイヤ、両方ともあかんねぇ。交換するんやったら、工賃込みで三千二百円になるけど、どないしはる?」

 それは、悠二にとって大した金額ではない。この自転車にそこまでする価値があるのかと思って、う~んと唸った。

「そうそう、とくにこだわりがないんやったら、表に並べてあるリサイクル品はどう? 四千円で販売しとるけど」

 店主も、う~んと唸り、眼鏡を直しながら立ち上がった。

 自治体が放置自転車を回収して委託販売しているらしい。整備も防犯登録もきちんとされるので、お買い得品なのだそうだ。

 悠二は、目標額を超える勝ちを拾った後でしか、服などを買い求めることがない。捕らぬ狸の皮算用という言葉を肝に銘じている。彼はもう一度、う~んと唸った。


 出された冷たいお茶を飲みながら、考えること三分――。

 結局は自転車の廃棄処分だけを依頼して、悠二は手ぶらで表に出た。日頃の運動不足を理由に、今日のところはパチンコ屋まで徒歩にしようと決めた。パチンコ店の景品の中に、折りたたみ式自転車があったような、なかったような……と、都合のいいことを思い描いている。


 ところが、パチンコ屋へ直行するつもりだったのに、アパートの近くまで戻ってきたときには気が変わっていた。久々のウォーキングで、向う脛に鈍い痛みをおぼえた。足首を回しながら、まだぎりぎり二十代なのに、この衰え様はいかがなものか、と自嘲する。悠二はアパート前の路地へ折れ、一旦帰宅することにした。


 水道管の工事は掘る工程が終わっているようで、激しかった地響きは収まっている。アパートのフェンス沿いに歩いて、出入口の門柱の間を通ったところで、また、大家の安堂に出くわした。短時間に三回も出会うと、挨拶に困る。


「あら、神田さん。お早い帰宅ね。自転車はどないしはったん?」

 安堂が剪定を中断して脚立から下りてきた。麦わら帽子を脱ぎ、それで扇ぎながら寄ってくる。

 悠二が修理費云々で自転車を処分したことを話すと、安堂は少し考えてから言った。

「そしたら、アレを使わはったらええわ」

 安堂が指差す自転車置き場の左端に、前カゴのついた通称ママチャリがあった。それは先月に転居していった元住人の、困った置き土産らしい。

「要らんし好きに処分してくれ、て言うて出ていかはったんやけど、私も自分のがあるし……。見たら、これがまた結構新しいんよ。神田さん、乗らはったらよろしいやん」

 三者ともが助かる最高のアイデアを出してやった、とばかりに安堂は意気込んで、刈り込みバサミを鳴らした。

 悠二はその自転車をじっと見つめて、頭を掻いた。

 平日の昼間に図体のデカい無職のオッサンが、ピンク色のママチャリでパチンコへ通う……か。警察の職務質問を受けた際に、ややこしいことになりそうな気がしてならない。しかし、無料自転車を断る上手い理由は思いつかない。あれに跨る自分の姿を想像して、防犯登録のシールだけはきっちりしておこうと思って、鍵を受け取った。


 それから一旦部屋に戻った。

 空腹を感じていたので、すぐにでも定食屋へ行きたかったが、喉を潤すほうが先だ。水道水を蛇口から直接飲み、ついでに顔を洗う。ホッとひと息ついて、リビングの座椅子で脚を投げ出すと、途端に何もする気がなくなった。


 パチンコ屋へ出勤する気になったのは、シャワーを浴びた後。結局いつもと同じくらいの時刻になってからだった。


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