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 ⑭

 星のない夜空の下、三人は縦に並んで階段を降りていく。

 買い物袋の擦れる音に、足音に、喋り声が混ざり合って、なんともけたたましい。

 先頭のキングが、一段だけコンクリートになっている最下段に着いたときに、二番手のアベベが止まって、アッと声を上げた。

「忘れ物……したかもしれん」

 三人は文句を言い合いながら、部屋へ引き返した。

 

 気を取り直して、また階段を降りていく途中、今度は亜美が声を上げた。

「あかんわ、悠さんに書置きをしとかな」

 また三人は、なじり合いながら階段を上がっていった。アベベの口撃は、先ほど責められた分、上乗せされている。

「みんなで戻ることないやん。下で待っててぇな」

 亜美の声は小型犬のように良く通った。

「ええやん、ええやん。ついでにトイレ」

 キングはアベベの尻を持ち上げるように押して先を急がせる。


 三度目の正直。また並んで階段を降りる。今回はアベベが先頭を行った。

「キングの部屋に何かあるんちゃう? 大いなる力が、お泊まりを妨害してるような気がするわ」

 アベベは神妙な面持ちで言った後、自らが噴いている。

 その後ろ姿にアフリカ原住のシャーマンが重なって見えたような気がして、亜美は鼻に手をやり、堪えるように肩を震わせた。

 キングはアベベを小突いてやろうと思ったが、間には亜美がいて届きそうにない。仕方なく引き攣った笑いを浮かべるだけに留めた。

 その場の空気が、彼女たちだけのものになっていた。階段下一○三号室の住民が、怒鳴りたい衝動と戦っていることに、三人が気づくことはなかった。


 自転車置き場に行って、それぞれが自転車に跨った。住民の車を回り込むように、フェンスに沿って出口へと向かう。一番荷物の多いアベベは少し出遅れた。

 先の二人は路地に出た所で、門柱の脇に立っていた安堂と出くわした。亜美が反射的に舌打ちをする。


「こんな時間から、お出掛けしはるの?」

 安堂が呆れ顔で、どちらともなしに訊いた。

「今からアタシん家で女子会なんですよ」

 安堂に一番近い位置にいたキングが、愛想よく返事をした。ヘヘッと笑った後に「お泊まりなんです」とつけ加える。

「へぇ、楽しそうやわね」亜美をちらりと見る。

(大きなお世話。ババァに関係ないやん)と心の中で言ってから、亜美は大人しく、貰ったお菓子の礼を言った。

 追いついて来たアベベが、その勢いのままにペコペコと頭を下げて言う。

「クッキーサンド美味しかったです。残さずいただきました。また、ください!」

 安堂は鼻の下に手を添えて失笑した。

「大家さんこそ、こんな時間に。どっかからの帰りですか?」

 さらに継続しようとするキングを、亜美はムッと睨んだ。

「違うのよ。それがねぇ……」頬に手を添えて首を傾げる。

 そのときに、こちらに向かってきた車のヘッドライトが、四人を照らし出した。

 白く浮き上がった安堂は、上下不揃いのスウェットに半纏を羽織っていた。およそどこかへ出掛けていたような出で立ちではない。

 その車は通過せず、亜美たちの手前で停まった。遅れて指示器が点滅する。アパートの住民がまた一人帰ってきたようで、四人は敷地内へ引っ込んで、出入り口を開けた。車が入ってくる様子を、四人は無言で見届けた。

 すっかり話の腰を折られた安堂は「えっと、それがねぇ」と、同じポーズで仕切り直した。

 亜美たちが一斉に注目した。


「さっきね。フェンスのあそこら辺に、男の人が立ってはったんよ。ウチの誰かのとこに尋ねて来はった、お友達かと思ぅたんやけど……。そしたら、おかしいの。入ってくるわけでもなし、通り過ぎるわけでもなしに、ずうっとあそこにいてはんのよ」

 安堂は(あそこ)を指で示した。出入り口から駅方面へ七メートルほどの所だ。

 亜美たちは自転車に跨ったまま、そちらに目をやってうなずいた。

「それで私、どちらに御用ですかって、声をかけたのよ。そしたら、なんも言わんとスイーって向こうに行かはったんやわ」

 安堂の指先を追って、三人の頭は、へぇ、と揺れていた。

「それが、今夜だけやないんよ。声をかけたんは今日が初めてやったけど、もう何回か見かけてんのよ。絶対とは言えへんけど、たぶん同じ人やったわ」

 安堂は両肘を抱えて、首を竦めた。

「なにそれ、怖いわぁ。アタシやったら、そんな怪しい人に、よう声をかけられへんわ」とキング。

 亜美とアベベは、目を細めてキングを見た。同時に(嘘や)と、心の中で言った。


「ほな、アタシらはもう行きますんで」

 キングが軽く頭を下げて、ペダルを踏んだ。

 キングが最も食いつきそうな話題だっただけに、亜美たちは内心驚いていた。二人は顔を見合わせて、同時に首を傾げた。

 安堂に「気をつけます」とだけ言って、二人はキングを追った。

「明るい道で行きなさいよぉ」

 後ろからかけられる安堂の忠告に、アベベだけが片手を挙げて応えた。


 三人は、この時間でも比較的往来のある大通りへと進んだ。歩道に乗り上げてから、キングを先頭に一列になって走った。

 アベベは安堂の話を広げて、学校でも不審者について注意喚起があったという話をしていた。

 キングは「春やし、いろんな人が出てくるやん」と、軽く言ったが、三者三様に表情は険しい。中でも亜美は他人事だと楽観できるほど、体力に自信があるわけではないし、仕事柄、夜道の一人歩きも多い。亜美は相槌を打ちながら震えて、絶妙な反応を見せた。

 アベベとしては、さらに過去の事件と絡めて、恐怖の高みへ昇りつめたいところ。しかし、縦一列に並んで走る位置関係に限界を感じて、話は頓挫した。


「大家さんに、犯人の特徴とか、もっと詳しぃ訊いといたら良かったやん」

 アベベがチラチラと亜美を振り返りながら言った。すでに彼女の中では、不審者がなんらかの犯人に仕立て上げられていた。

 それについて、亜美は返事をしなかった。

「もぉ危ない。ちゃんと前を見ぃな」

 アベベが振り返るたびに、亜美はブレーキを掛けた。

 しばらく聞き役に徹していたキングが「あ、ちょっと」と、自転車を停めた。


 二人を振り返ってニヤリ。反対側の歩道を指差した。

「不審者っていうたら、あんな感じとちゃう?」

 三人の視線の先には、怠そうに背中を丸めて、自転車のハンドルを肘で操る、悠二がいた。

 亜美は目を細めて確認してから「ひど~い!」と膨れた。

 キングとアベベが馬鹿笑いして、三人は他の通行人から注目を浴びた。


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