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 ⑬


 もうすぐ、夜の九時。

 亜美たちは、四袋のスナック菓子と、チョコとクッキーの箱を空にした。

 最後まで食べ続けたアベベが、指についた油を舐め取って勝利宣言をすると、亜美はトイレに立って、キングはゴミの回収を始めた。

 布巾でサッと拭かれた卓袱台の上には、ジュースに取って代わり、熱い梅昆布茶が置かれる。三人とも手を洗ってから、元の位置に座った。そろそろお開きといったところだろうか。


「あんたら、時間はええの?」

 亜美は音を立ててお茶を啜ってから言った。

 亜美に門限という概念はない。疲れたから、やることがなくなったから、観たいテレビがあるから帰ろうか、といった調子だ。

 門限を破るとどうなるかは、中学生の頃にクラスの友達から聞いている。小遣いカット? 父親が玄関先で仁王立ち? またまた、そんな大袈裟な、と思っていた。

 それが、キングの家で時間を忘れ漫画を読みふけっていた、ある日のこと。

 まだ夜の七時くらいなのに、キングのパパが、亜美をアパートまで車で送ってくれたことがあって、本当にそんな大層なことなのかと、考えが改まった。――すべては、悠二の教育方針のせいだと言えなくもない。

 アベベの家はというと、比較的門限は緩かった。

 兄弟が多くて、一人くらいいなくなっても気づかないとか、色黒なので闇に紛れるのが上手いとか、走るのが速いとか……が関係していると、亜美は思っている。


「アタシなぁ、三日前から一人暮らしになってん」

 キングは得意げに顎を上げた。

「マジで? キン大(キングの通う大学)って、家からたったふた駅やん」

 亜美は両手を後ろに着いた状態で、頭だけを向けた。

(何で、それをもっと早くに言わへんの。ここで寛いでる意味がわからへんわ)

 キングがアパートを探しているということは、数日前に本人からのメールで聞いていた。そのときに亜美は今と同じ台詞を返信していた。キングの一人暮らしに反対したわけではない。不思議だと思っただけだ。

 キングの広い屋敷を頭に浮かべながら、門限と言うのは、生活の質を下げてでも解き放たれたいものなのか、と改めて思った。

 キングは亜美の反応に苦笑する。

 物心ついたとき、すでに父親が周辺に見当たらなかった亜美から、親から離れたいという発想は出てこない。

〈キングのパパ=素敵〉

 クラスの女子の大半がこのイメージだったように、この感情を理解しろというのは難しい、と思っている。わかった振りをされるより、素直な亜美の反応を単純に面白がった。


 それとは別に、キングには野心があった。これは亜美にはもちろん、アベベにさえ明かしていない。

「ウチも手伝わされたんやで」

 アベベはクッションを枕にして寝転がった。

「まぁほとんどは、キンパパが一人で運び込まはったんやけど」

 キングがジロリと睨んだが、アベベはお構いなし。

「それで今晩、初めて泊まりに行くねん。亜美も来るやろ? めっちゃ狭いし、アポロ(キングアム家のキャバリア犬)までおるけど」

「そんなん無理やわ。明日は仕事やし……。電車の始発より早ぅ出勤せなあかんねんで」

……とは言ったものの、亜美は、アベベに「狭い」と言われるほどの部屋に、俄然興味が湧いた。久しぶりにアポロともじゃれたい。朝早くに車で送ってくれるなら問題はない。が、しかし三人とも車を持っていない。

 タクシーで出勤するか? ありえない所業だ。遅ればせながら、親友としては行っておかなければ――何時に寝て、何時起き? ――お泊まり会は楽しそうだ。亜美は思考を巡らせて、恨めしそうにアベベを一瞥した。


「それがやねぇ……」

 アベベは不敵な笑みを浮かべて、タメを作った。

 次の台詞を言おうと口を開いたときに、キングが割って入った。

「国道に出る手前んとこ、チョチョーイと入っていった路地にあるマンションやねん。伊藤ベーカリーやったら、ここからよりも近いぐらいやで」

「え、そうなん?」

 亜美は目を丸くして、キングとアベベを交互に見た。

「駅は遠くなったんやけど。アタシ、そのうちバイクで通学しようと思てんねん。それで、今、車とバイク、両方の免許を取りに行ってるんやわ」

 キングはバイクのアクセルを捻る仕草をする。

 それが便利なのか、時間短縮になるのか、キン大までの道のりもいろいろ含めて、亜美には見当がつかなかったが、

「何かええやん。今晩、お邪魔決定やん」と言って、胸の前で手を合わせた。


 早速、亜美はお泊まりの準備を始めた。

 明日、キングの所から、直接仕事場へ向かうことを一番に考えて、部屋を見渡すこと数秒。ちょっとした着替えと、化粧ポーチをトートバッグに放り込んで完了。

「ちょっと待ってて。すぐ用意するし」

 と自室に戻ってから、じつに三分と経っていない。

 暖簾を分けて「お待たぁ。行こう」と言った亜美に、二人が同時に「早っ!」とツッコんだ。

 そのツッコミを聞いて、亜美は満足気に笑みを浮かべた。



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