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 雅玉

 駅前の大きな交差点を南に折れ、商店街通りへと向かう。そこから一本外れた路地へ入り、雑居ビルの前で自転車を停めた。日暮れ以降、商店通りよりもこちらの路地のほうが、人通りは多い。

 悠二の眼前にそびえるビルは、一階から六階まですべてのフロアにアルコールが詰まっている。このビル一棟だけで、何キロのアルコールが消費されるのかと想像すると、悠二は毎度ニヤけた顔をするのだ。

 ひんやりとした夜風が、サンダルから飛び出た爪先を撫でていった。悠二は身震いを一つして、二階の〈スナック雅玉〉へ、階段で上がっていった。


 重厚な扉の取っ手に体重をかけて引く。頭だけで店内を覗く。八つあるテーブルは、すべてが埋まっていた。珍しく騒がしい。さらに首を突っ込んで見ると、ママの他に従業員の女性が二人、甲斐甲斐しく各テーブルを巡っている様子が窺えた。ここは食いがメインの店ではないので、この早い時間帯にテーブルが埋まるのは珍しかった。時期的に考えて、町工場の新人歓迎会といったところだろうか。

 いつもと違った雰囲気に、悠二は入店を躊躇った。一度扉を閉めて、表に(本日貸切)の札が掛かってなかったか、と確認した。


 悠二はそろりと入店して、カウンターの端のスツールにお尻半分で座った。

 すると、接客中だったママが背後からスッと近づいて、悠二に抱きついた。


「神田く~ん、なんちゅうタイミングええの! エプロン着けて手伝ってぇな」

 切羽詰まった証がママの額に滲んでいた。

 こんなことは以前にもあった。一度や二度ではない。

「早速、下からお皿を運んで来てな」

 ママは、悠二の了承を待たずに背中をトンと叩いた。

 今日は大きな買い物をしたことだし飲み代ぐらいは稼ごうか、と悠二はカウンター奥の扉を開けた。


 氷作りに煙草の買い出し、灰皿交換、グラス磨き、一階の中華料理屋から皿を運ぶ、と悠二はいいように使われて、時刻は八時半を回った。接客しなくていいので気苦労はなかったが、腰に加えて背中まで痛くなってきた。

 店内を包むオルゴール風の音楽に、ようやく耳を傾ける余裕ができた頃。スナック雅玉のママはカウンター席に着いて、焼酎の水割りを作った。


「神田くん、ほんまありがと。余ったフルーツは食べてええし、そこのボトルやったら開けてもええで」

 こだわりの竹炭マドラーで、カラカラと氷を鳴らした。

「一人、見かけん子がいてますやん。あの子は新しく入った娘?」

 グラスを拭いながら訊いた。

「今夜だけ、上の階からヘルプで来てもろうてるんよ。何と、まだ二十歳なんやてぇ。ちょっと口の利き方がなってないんやけど、若いってだけでええもんやわ。――そう言えば、あの子、亜美ちゃんは元気にしてんの? もう何年になるん?」

 悠二はお客に戻ろうとして、エプロンを外した。カウンター席へ回り込みながら、指を折って数えると「六、もうすぐ七年っすかね」と答えた。

「そんなに経つん? そしたらあの子、大きいなったやろ」

 ママは悠二と入れ替わりにカウンターに立ち、グラスに口をつけた。

(その水割りは、自分の分かいな……)

 煙草を抽斗(ひきだし)から取り出し火を点けると、遠い目をして煙を天井に向かって吹き出した。

「ママ、俺の分も。烏龍茶割りで」

「え? あぁそやね。ごめん、ごめん」


 ママは、悠二たちの事情を把握している、数少ないうちの一人だ。

 初めて出会ったのは、亜美がまだ小学六年生のとき。開店準備中にここに亜美と二人で訪れて、雪子が顔を出してないか、と尋ねたのだ。

 悠二の知る限り、ママが亜美と会ったのは、その一度きり。あの日の、終始うつむいて一言も喋らなかった亜美を思い描いているなら、街中ですれ違っていたとしてもママは気づかないだろう。

 悠二は含み笑いを漏らした。


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