⑨
「あれ? 悠さん、帰ってへんやん」
亜美は二人に聞こえるように言った。
駐車場の様子も見ておこうと、キングの二十六・五センチの靴をサンダル代わりに引っ掛けて出た。
世間はすっかり暗くなっている。敷地を囲うフェンスの切れ目、アパートの入口を照らす二つの自動照明が色違いの光を発している。あれは切れた電球を交換する際に、違う種類の物を取りつけてしまったらしい。
欄干に手を置くと、亜美の膝元をヒュッと風が吹き抜けていった。そこから見下ろした駐車場には、二台の自家用車が停まっている。アパートの住人が二人帰宅しているようだ。田中サイクルの軽トラは、やはりなくなっていた。そこに悠二の姿も見当たらなかった。静かすぎる敷地内から不気味さを感じた。
「サンダル履きのまま、歩いてパチンコ?」
亜美はため息混じりに呟いた。
緑網のフェンスに沿って敷地内をざっと見渡してから、踵を返してドアを開けた。何も気づかなかったように平静を装ったが、部屋へ上がるときに自分の靴に蹴躓いた。
亜美の目は駐車場を見渡した際、大家宅とアパートの間、ちょっとした家庭菜園スペースの入り口に人影を捉えていた。背恰好からあれは安堂だと思った。じっくりと見たわけではないし、目も合わせてはいない。しかし、こちらを見上げていたような気がする。元々の苦手意識も加味されて、不快な気持ちに身震いが起きるようだった。
部屋に戻り、すぐ左側にあるキッチンで悠二のコップを取った。冷めたブラックコーヒーが、彼女の喉を通る過程で苦みをまき散らしていく。亜美は砂糖とミルクを加えて、リビングへ戻っていった。
境界になる暖簾を分けると、キングとアベベは下着姿でポーズを決めていた。二人とも手足が長いので、なかなか様になっている。ボディビルダーのようなポージングに、得意気な顔がおかしい。
嫌な気分を一掃してくれるような出迎えに、亜美は大袈裟に顔を歪めて言った。
「もぉ、あんたらの前で脱ぐの、嫌やわ」
亜美はペタンと座り込んで、コップを置いた。
「なに言うてんのよ、早よ。三人でエロ写メを撮ろうやん」
キングはそう言うと、アベベと二人で亜美の脇に腕を差し入れた。
座った姿勢のままの亜美が、フワッと浮き上がった。
「ちょっと、なにをアホなこと言うてんのよ」
亜美は体をよじって二人から逃れようとしたが、アベベの余裕の表情と、キングの六つに割れた腹筋を見て、抵抗する気はすぐに失せた。
やがて始まった亜美の生着替えを、他の二人がニヤニヤと見つめている。キングがスケベおやじのように生唾を飲み込み、アベベの菓子をつまむスピードが若干速まった。
同性になにを期待することがあるのか? 銭湯でならまだしも、じっくりと見られながら脱いでいくのは、たとえ親友の前だけのことであっても恥ずかしい。亜美は、その視線に耐えられなくなって、下着を引っつかんで自室に逃げた。
二人の笑い声が追いかけて響く。亜美は、もぉ! と言い放ち、引き戸を閉めてその嘲りを断った。
深く息をつくと、すぐ横で同じくため息をつく自分がいる。亜美は壁に固定してある姿見と正対した。
買ってきた新しいブラを服の上から当て、映る角度をゆらゆらと変えながら、笑顔を作ってみたりする。店で一度試着しているのに、今さらだ。
夕刻に寄ったブティック内で、パーツマネキンたちは皆セクシーな下着を着けていた。それと比較して選んでしまったので、こうなったと思われる。元々、店に行く前から、今回は少し冒険する気でいた。もう学生ではないという思いからだ。しかし、自分の生活空間に戻ってみると、途端に恥ずかしさがフツフツと湧いてくるようだ。
いつもなら、亜美は買ってきた衣類をまずは洗濯することにしている。潔癖な性格でもないが、母の雪子がそうしていたので、それが普通だと思ってやってきた。が、今はリビングでうるさいのが二人も待っているのだ。上下ともサッと着替えて、また姿見と相談した。
店員に教わった通りにストラップを調整しながら、亜美は笑顔で首を傾げた。伊藤ベーカリーの〈売れ残ったケーキは持ち帰り可能〉な制度に問題がある、と責任転嫁。
「ちょっと、胸が大きぃなってへん?」
「半分以上透けてるやん。あんなん誰に見せんねん」
少し開かれた部屋の引き戸の向こうに、上下一つずつの眼球があった。
亜美が横目に睨んで、戸を閉めようと近づくと、下着姿の二人がワッと押し入った。
キングは、亜美に後退りする隙を与えない。「萌えるわ~」と、亜美を抱え込む。ワンテンポ遅れたアベベは苦笑いして悔しがっていた。




